それぞれの思惑

颯人の指示により払われた人気のない大学病院の通路。
現在は鑑識課による鑑識作業その他が行われている為、未だ一部の階層は部外者の立ち入りが規制されたままだ。

「あは、こってりしぼられたねー」

後方を歩く和人の方へ綾瀬がくるりと振り返る。

「チッ、少し涙目になってただけじゃねぇか。つーかあれ俺が悪いの?」

「林檎ちゃんは泣かしちゃだーめ。て言ってただけだからね。良し悪しは関係ないんじゃない?可哀想な和人」

「心にもない事を」

和人の髪を撫でながら、わかった?と悪戯めいた笑みを浮かべて小首を傾げる綾瀬の手を和人が払う。
不愉快であったのもあるが、元より和人は他者に触れられる事を好まずにいた。
所在を無くした手を降ろした綾瀬の表情は愉しげで、気にした風は看られない。

「それで?」

「ん?」

「あいつを見捨てたのはどういう了見だ?」

僅かに目を丸めて見せた綾瀬を咎めるでもなく、ただ冷然とした面持ちで和人が続ける。
その様子に綾瀬は何一つ悪びれる事なく笑った。

「障壁の事ね。別に見捨てたんじゃないよ。あれは、単に発現が間に合わなかっただけ。ぴりあちゃんに落とされて咄嗟の事だったし、私も君と同じで万能ではないからね」

嗚呼、胸糞が悪い。
整った顔にただ、綺麗に張り付けられただけのその笑みに和人が心で毒づく。
相手が誰であれ、無機質なそれを向けられる側に立つのは気に入らない。
綾瀬に至っては例え見透かされていると理解していたとしても尚、剥がす素振りも見せないのだ。
質が悪いと言うか面倒臭い。

「まあいい。今回はそういう事にしといてやるよ」

「あは、あーりがとー。君のその面倒嫌いなとこ、好きだよ」

「知ってる」

当然の様に返す和人に、綾瀬もだよね。とでも言う様に目を細める。
口許には相変わらず笑みが湛えられているが今は穏やかな色が浮かんでいた。

「一つだけ、いい事を教えておいてやるよ」

和人の指が綾瀬へと伸びてその頬を撫でる。
和人同様に、綾瀬は他人からむやみに触れられる事を嫌う傾向にあるのだが。
特別である故からか、その手を払う事はせずにいる。


「颯人は警察が唯一、壬生から保護できた被害者だ」


そっと後頭を引かれて、耳元で囁かれた言葉に綾瀬の表情が凍りつく。

「よかったな。俺が助けていて」

そんな綾瀬には構わず、和人は不敵に笑いかけるとその場を後にした。









「教えてしまって、だ、大丈夫……なんですか?」

大学病院エレベータ前。
和人しかいないはずのそこに、癖の無い低く落ち着いた女性の声。

「聞いてたのか」

「ご、ごごごめんなさい。貴方に通達があって、でも、その、気になったので」

冷めた和人の態度に反応し、声の主は弾かれた様に必死に言葉を紡ぐ。
動揺しながらも素直に謝罪するその人に和人が苦笑を漏らせば、機嫌を損ねたのではないのだと気付き、再び口を開いた。

「危険、じゃないですか?綾瀬は、」

「颯人を餌に壬生を狙うだろうな」

と、しれっと言ってのけ、和人はエレベータのスイッチを押す。
壬生とは、姓名を壬生千晴といい約十五年前に連続幼児誘拐殺人事件を起こし、今だ逮捕はおろか名前以外詳細な情報は得られずにいる謎多き殺人犯である。
判明している名前も戸籍上のものであるのか疑わしいところだ。
その手口は巧みな変声術等により警察関係者を撹乱・誘拐した幼児の両親から遠ざけ、両親に指定場所へ身の代金を持って来させ受け取ると同時に幼児を解放する。
その後、解放した幼児とその両親を殺害し金を持って逃亡するという忌々しくも慎重なものだ。
最終的には当時壬生を追っていた警察及び検察関係者二名を殺害しその行方を完全に暗ました。
颯人は幸いにも両親が防弾となり助かった幼児誘拐殺人の被害者、殺害された警察及び検察関係者の一人娘であった綾瀬は被害者遺族となり浹の意向により和人と同じ施設へ保護される事となった。
颯人にとっても、綾瀬にとっても、壬生は両親を殺した人間となるのだ。
最も、颯人は事件のショックから保護され病院で目覚める前の記憶が綺麗さっぱり失われてしまっているのだが。
更に、颯人については壬生と直に接触している事からも再度狙われる危険性が高いとして、一部の人間を除き生存の事実は伏せられている。
綾瀬には生存者の存在のみが伝えられていた。

「わかっているなら……」

「奴を釣れるのは颯人だけ。それはあいつも理解してる。確実に息の根を止めるまでは護りきるさ」

でなければわざわざ教えてやった意味が無い。
普段なら綾瀬が何をしようと自ら進んで関わり合いになる気はない。
しかし今回は有能な刑務官、果ては自分のシフトに大きく関わる事である。
その上颯人が欠ければ、その傍に居るためだけに特警に留まっている林檎までも失う事になるのだ。
また今回の様な事があるとは考え難いが掛けられる保険は掛けておくに越した事はない。

「それに、もう十五年。いい加減ケリを着けてもいいだろ」

「そう、ですね……」

「どうでもいいけどよ。出て来ねーの?」

「へ?あっ、あああそうですね。そうですよね。し、失礼します」

和人の指摘に、声の主が慌ててその姿を現わす。
薄茶色のポニーテールに、女性らしいほっそりとした首。スタイルはそれなりに良い部類に入るだろう。
顔の造形も整っているものの、見るからに度のきつそうな分厚いレンズの眼鏡が地味というか気が小さく根の暗そうなイメージを与え、折角の外観を台無しにしている様に見られる。
そんな彼女は山田朱実といい、特警において本部から支部へ、支部から本部への各連絡を行なう役割を担う人物である。
必要であれば本支部間だけに限らず本部長から個人への通達等結構何でもしてくれる万屋だ。
気の優しい女性だが、反面気が弱く何かと運に見離されている節が見られるのが欠点と言えるだろう。

「それで、配属は刑務官に決まったのか?」

「いえ、まだ最終面接が残っています。面接官は本部長ですので……答えによっては別の課になってしまいますね」

「浹か。なら是非とも通過してもらいたいもんだな。配属が決まったら、必要な書類全部俺のデスクに置いとけ」

「はい。……あ、あの、」

小さく消え入りそうな声で言い掛けた朱実の囁きを捕えたが、和人は敢えて先を促さず黙って朱実の言葉を待った。

「本気で……佳奈ちゃんを殺す、つもりですか?」

言葉にして、朱実は和人の横顔を見つめたまま握った右手に左手を添える形で胸元に手をやった。
通常、特殊警察は各省庁からの要請による捜査協力であれば、協力に派遣される事となる特警関係者は要請をした当該各省庁の方針に従い捜査を行う。
派遣される者の中には刑務官も含まれるが、自身が刑務官である事を明かす事はなく、他の部所に所属する者として偽名を用いて捜査に加わる。
しかし、佳奈に係る事件については特別指名手配には至っていないものの、捜査途中のまま特例として特警にその捜査の全権が移転しその管轄下に置かれている。
これは主にお宮入りの可能性が高く、かつ、大きな社会不安をもたらすような凶悪な犯罪事件に適用される特別措置だ。
特別法令の定めにより時効制度の適用除外とされている事から、特警の持つ伝家の宝刀の一つと言われ、内部者でもこれについて知る者は上層部のみと少ない。
壬生千晴に係る事件についても同様の措置がなされている。
そして、当該特別措置が適用された各事件の犯人については、生きた状態で確保するのが望ましいとされるものの、
その危険性から担当刑務官の保護を最優先するとして、発見次第、射殺その他これに類する行為が認められている。
これまでの犯行等から佳奈が大人しく捕まってくれる可能性は零と言っても過言ではないだろう。
何より、佳奈は和人と同様に飛鳥の教育の下に育てられた人間で、生け捕りにしたいなどと甘い考えで対峙出来るような相手ではなく。
和人の希望もあり、結果として浹は和人に係る全てを一任した。

「あの時も、同じ事を聞いたな」

「……はい」

肯定し俯いた朱実の眉間に深く皺が刻まれる。
あの時−数少ない気の置けない友人であった宇佐見響を自ら、克に代わって始末すると申し出た和人に同じ事を尋ねた。
いくら任務であっても、大切な友人を自らの手で殺そうとするなど到底理解できなかったのだ。
その真意を確かめたくもあったし、何より和人自身が心配でもあった。


「答えは変わらねぇよ」


うっすらとやわらかな笑みを浮かべて言い終えるとほぼ同時に、エレベータのドアが開く。

「っ、あの時とは違う……。彼女はもう、いないんですよ……」

震えるようにゆらゆらと語気が揺らめく。
数回の足音の後、エレベータのドアが閉まる音がすると共に和人の気配が消えた。

「私は……また、見ている事しか出来ないのね」

佳奈の件に関して、関係者どころか刑務官ですらない自分に深入りする権利はない。
あったとしても、やはり何もしてあげる事は出来ないだろう。
朱実の顔がふと歪み、やわらかな光がその体を包み込む。その光がほのかに強まり、拡散し消えたときには朱実の姿もエレベータ前から無くなっていた。


“俺は、それしかあいつを止める方法を知らない。”


そう、笑って告げた和人の声が頭から離れない。
大切だからこそ他人の手ではなく、自らの手で終らせる事を選んだ彼の、名前を呼んで、けれどそれ以上何も言えなかった。









「今更だが、本当にやるのか?いくらお前でも殺されかねないぞ」

高層階ならではの染み入るような夜景が広がる高級ホテルの一室。
上質の生地に目にも綾な刺繍が施されたソファに飛鳥は足を組んで座っていた。
窓際に置かれた大きめの円卓には強く鼻を霞める甘い香を焚く陶磁器、香炉が置かれている。

「和人が?私を?……もし私を敵と見なしたなら、そんな親切な事してくれる筈がないよ」

アレは、酷い男だからね。
そう付け足して、濡れた髪もそのままにシャワールームから綾瀬が出てくる。
用意しておいたミネラル水を煽ると、タオルを肩にかけ、備え付けの冷蔵庫からフルーツシャルロットを取出してナイフを入れた。

「闇の能力者は光の能力者と同じで独自の亜空間を作り出せるからね。並の能力者じゃ太刀打ち出来ない」

「…飲み込まれたら最期、なぶり殺されるだけだからな」

「面倒な能力だよねー。お陰で今の刑務官で確実に佳奈を殺せるのは春ちゃんと和人、それに私の三人くらい。でも春ちゃんは任務でもない限り動かないし、私は私でもう佳奈を殺せない」

「かと言って、かずに殺らせるわけにはいかない。か」

「今はまつりちゃんがいないから。精神的な意味での自殺行為みたいなものだよ。本人は無自覚だとしてもね」

浹が、綾瀬達の行動を把握しながらも咎めずにいるはそれを避けたいと言う思惑もあっての事だろう。
ナイフを置き、切り分けたシャルロット持って飛鳥とテーブルを挟んだ向かいのソファに綾瀬が腰を降ろす。
濡れた髪から滴る水を視線に捕えると、我関せず、優雅にベッドの上に横たわっていた猫が動いた。
綾瀬の後ろへ立つとその肩にかけられたタオルを手に取り濡れた髪を丁寧に拭いていく。

「だが放っておけばいずれかずは佳奈を殺す」

「そ。だから、殺さなくても済む状況を作り上げなきゃならない」

「……山荘の廃屋であないなっとったのに、あん人に殺れますの?」

小首を傾げて猫が綾瀬の髪を白い指で梳いていく。
口に含んだシャルロットを飲み下すと綾瀬は可愛らしい微笑みを浮かべた。

「殺れるよ。二度も醜態を晒すような無能じゃないからね。本当、可愛くなーい」

「そうか?俺にはかずも、お前も愛しいものだが。それにしても、今日は随分と機嫌がいいな」

飛鳥の言葉に、不貞腐れた様に口を尖らせていた綾瀬は、

「捜し物をひとつ、見つけたんだ」

再び、にっこりと口元に笑みを象った。

2008.12.11




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