科捜研の天才

閑静な住宅街の中に佇むコンクリート造りの小さなアパート。
その入り口近くにシルバーのBMWが横付けされた。

「え、まじ。ここ?」

目的地がアパートであることは知っていた。
しかし予想よりコンパクトだったその規模に、横付けされた車の中から綾瀬がそのアパートを見上げる。
管理は行き届いているようでそれなりに小綺麗ではあるのだが、建築からは随分と経っているのだろう。
見るからに老朽化が進み、比例して耐震性も低そうである。

「住所が間違っていない限り、このアパートっスね」

「やだなー、小さい。玄関狭そう」

「あ。そう言えば、この事件が片付いたら現場で拾ったヘポニャ。持って帰っていいそうっスよ」

「仕方ない。我慢しよう」

「じゃ、管理人さんに聞き込み行ってくるっスね」

普段から崇拝しているだけあり、健なりに綾瀬のウイークポイントは心得ているようだ。
やれやれと肩を落とした綾瀬に一言残し、車のエンジンを切ると健は管理人室へと向かった。


「あっれー、この名前…」

住人は不在との話を受け、管理人からマスターキーを借りた健と共に、目的となる部屋の前へ着いた綾瀬は表札を前に立ち止まると軽く眉をしかめた。

「知ってるんスか?」

「どうだろ。ただの同姓同名かも。被害者リスト、もう出来てたよね?この名前と一致するやつがいるから本人かどうか、管理人に確認とって来て。中は先に調べとく」

「了解っス」

「さてさて、何が出てくるかな」

綾瀬にマスターキーを手渡し被害者リストを取りに車内へ向かった健を見送って、綾瀬は小さく笑った。




行き詰まりを見せるかと思われた捜査に朗報をもたらしたのは、左目を包帯で覆い隠した多少癖のある黒髪の青年。
大好物の団子を報酬に請け負ったからには細部まで隈無く調べ尽くすその徹底振りは蓮音も舌を巻く程で、それは今更驚くには値しなかった。

「…居住者不明の住所?」

「そ。矢野って人、随分と筆圧が強いみたいでさー。押収したメモ帳の一番上の紙に、切り取られたその前の紙に書いた文字の跡が残ってた」

「公安が見過してたのはそれ?」

「だろうねー。手付かずで残ってたわけだし」

蓮音の言葉に朗報をもたらした青年、小崎明が眉尻を下げて頷く。
公安の捜査についてとやかく言う気は皆目ないけど、このくらい気付いては欲しい。思いながら明は復元したメモのコピーを浹へ手渡した。
彼は特殊警察関西支部科学捜査研究所に所属する科学者で、一時期アメリカで科学捜査班として犯罪捜査の前線にいたこともある有能な人物だ。
その頭脳は支部で一、二位を争うほどであるのだが、普段から好物の団子を食べては昼寝をしたり支部内を散策したりのんきすぎて説得力がない。
最も、本人にとっては明日の団子に困らないことがなにより重要視すべきことであるため、他人からどう見られようとどうでもいいようなのだが。

「誰が住んでるかまでは行ってみないことには判らないけど、とりあえず。矢野でないことは確かだね。住所も居所も持っていないから」

「じゃ、私そこ行く」

「積極的だな。珍しい」

先陣をきって希望をあげた綾瀬に和人が好奇の目を向ける。
どうやら今回のやる気は一応本物であるらしい。

「容疑者がいればラッキーだし、いないかそもそもハズレだったとしても何らかの収穫はあるわけじゃん?それに被害者のところ一々回って歩くのめんどい」

「ああ、本音はわかった。足が必要なら久保連れて行け」

「はーい。久保ちゃん運転よろしくね」

「え、あ、はいっス!」

無邪気に笑いかけられ、健も思わず笑い返した。




鍵を開けて入ったその部屋はカーテンが閉められ、昼間だというのに暗い闇が浸透していた。
一筋のライトが上下右往左往してある一点で止まる。
探し当てたのは部屋の照明を付けるスイッチだ。

「あちゃぱ。悲惨だねこりゃ」

照明を付け部屋を見渡した綾瀬は、その部屋中に隙間なく張り巡らされた紙を前に渇いた笑いを漏らした。
丁度その時、玄関が開けられ健が駆け込んできた。

「綾瀬隊長!リストの男と部屋の住人、一致し……っなんスか。ここ……」

アパートの管理人に確認を取って戻ってきた健はその部屋の異様な光景に我が目を疑い、息を飲んだ。
部屋中を覆う紙。
その一面には大きく“死”の文字が綴られていた。




「まさか本当に残るなんて、ね」

微かに笑みを溢して、蓮音が淡いクリーム色のカップをデスクに置く。
視線の先には鑑識が拾い集めた破片で、爆発して飛び散った爆弾を組み立て直している和人。
今回の捜査に関しては和人と綾瀬が加わらなくとも捜査に必要な人員は揃っており、犯人の特定に到っていない以上和人までが出歩く必要はないと判断されるのが現状である。
また、本部には浹に加えぴりあも常駐している。
二人の持つ移動能力により犯人の特定等何かしらの進展若しくは問題が生じた場合には速やかな対処を行えることから和人が残っていても非合理ではない。

「悲しいかな颯人は俺に冷たいからな。邪険にされると分かってついて行くより、残る方がいいだろ。なんせ傷付かなくて済む」

軽く言って流した和人に蓮音は目を細めて笑う。

「よく言うわ。気にする処か、何とも思っていないくせに」

「その根拠は?」

「勘ね」

「そうきたか」

言いながらくるりと座っていた椅子を回転させて蓮音がデスクのPCへ顔を向ける。
その動作と言葉に眉を下げて和人は笑い、爆弾を組み立てる手を止めた。

「過去に何があったのかよくは知らないし知る必要もないわ。けど、貴方は係る全てのことを受け入れる覚悟を持ってした事なんでしょう?自分のした事に後悔はしていない。…なんせ、自分で選んだ事だものね。綾瀬が敢えて何もしないのも「ストップ。もういい。俺が悪かった」あら、残念。ギブアップ?」

くすくすと楽し気に笑う蓮音にギブギブと投げやり、和人が小さく嘆息する。
蓮音は人間としても女性としてもその見目の良さや性格等好みではあるが口で勝てないという点がどうにも頂けない。
春菜もそうだが特警に所属する美人の類に入る人間は理性的過ぎる気がする。
悪いことではないが面白味には欠けるよな。

「やほー和兄。暇そうだね。ドーナツあげる」

そんなことを考えていたらラボに入ってきた明にドーナツを渡された。

「通信局に要請しておいたデータ届いた?」

「ええ、丁度今届いたみたいよ。すぐ解析するわ。ところで、私には何もないの?」

「ドーナツやるよ」

「え、ちょ…っ酷い!和兄のために買ってきたのに…!」

明から受け取ったドーナツの入った箱を和人が蓮音に投げる。
驚いた明に構わず、和人は明が手にしている袋に目を止めた。

「蓮音には何買ってきたんだ?」

「シュークリーム」

「じゃあお前それ食え。俺は団子を食う」

「Σそ、そんなっ、ご無体な……!!!」

団子に加え、ドーナツとシュークリームまで買ってきたのはその二つを生け贄に明が団子を独り占めするためである。
しかし、相方同様に暇潰しのためなら他人を奈落の底に蹴落とすことも意問わない和人がそうそう見逃す筈もなく。
思惑が仇となり、明の幸せは儚く消え去った。

「苛めすぎると、お兄さんにキスされるわよ」

しょんぼりと落胆する明を見兼ねて、蓮音が助け船を出すも。

「いーよ。別に」

あっさり両断。
沈没した。

「あら、前はあんなに嫌がってたのに。遂に開き直……、」

「蓮姉?」

「どうした?」

「爆弾…の時限信管に使われた携帯の着信から、着信時間とその発信元の位置を特定したんだけど…見て。発信地と現場がぴったり重なってるのよ」

PCの画面が和人と明にも見えるよう、カラカラ、と音を立てて蓮音が椅子の位置をずらす。
今回使われた爆弾は時限式であり、その時限信管には所有者の特定が難しいプリペイド式の携帯が使用されていた。
当該携帯に着信があった時点で時限装置が起動。数分後には起爆を起こす仕組みになっていた。

「この時間帯だと、全ての居住者が避難を終えた頃よ。中に居た人間ていったら…」

「王子…、とアップルちゃん?」

「いや、もう一人居た」

蓮音は鑑識の作業の為に現場では颯人と林檎との接触はしておらず、作業後はすぐ押収した証拠を持って科捜研へ入っている。
明も事件について聞きかじった程度で分析を始め今に到るのだ。
颯人と林檎をひき止めたもう一人の被爆者について把握に到っていないのも仕方がない。
そんな二人が証拠が示す一つの可能性に過らせた戸惑いの色を、和人はどこか可笑しそうに拭うと、

「居るんだろ。ぴりあ」

「……、はい、です」

影に潜んでいたぴりあに声をかけた。

2008.10.21




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