はちみつと林檎

窓際に立つ薄茶色の短い髪の看護師らしき女性に、にこにこと上品に林檎が笑いかける。

「ありがとうございます」

病院のベッドに身体を横たえながら微笑む姿は包帯の量こそ多いものの、先刻緊急の手術を受けたばかりの者とは思えない。

「Ha,礼なら適切な応急措置を施した颯人と予定を蹴って捜索、手術にあたったツートップや恩田に言ってやれ。俺は然して何もしちゃいねぇ」

そんな林檎に、短髪の女性もニヒルに笑いかけた。
その目は鋭くも優しげな色を帯びている。

「救急車の中で痛みを和らげてくれていたのはさわわでしょ?」

だから、ありがとう。

そう笑顔で告げられ、短髪の女性−さわわこと佐和は降参したように肩を竦めるとそのまますうっ、と窓から射すに光溶け込んで消えてしまう。

「よっ、りんこ。リンゴ食う?」

入れ替わるように、病室の戸をスライドさせて和人が入室をしてきた。
手には華やかにラッピングが施されたバスケット。
中にはいっぱいに赤々と熟したリンゴが入っている。

「もうっりんこじゃなくて、り・ん・ご!」

「ああ、悪い悪い。で、食うか?」

「……ダーリンがうさぎさんに剥いてくれるなら」

絶対改善する気ない。
拗ねたのか口を尖らせて答えた林檎に、和人は悪びれる様子も無くバスケットからリンゴを取りだして洗うとリクエストの通り慣れた手つきで切り分けていく。

「おっ邪魔邪魔〜」

「キャア〜ッあーやん待ってぇん」

すぱーんと勢いよく戸を開け放ち、現われたるは弄り屋の異名をとる刑務官No.2。
林檎の病室は個室のため多少騒いでも問題にはならないとふんでの所業か遠慮が見られない。
そして病院といったらこの人、年齢不詳のピエロ&解剖大好き医大生兼医者ことおんさん。
独特な奇声は相変わらずである。

「綾瀬におんさん、こんにちは」

「はろはろぉ〜ん。どこか痛いとこあるぅ?」

こてりと顔を右へ傾けて容態を気にするおんさんに、林檎は無いよ。とふうわり笑って答える。
事実、無理な動きをしなければ然したる痛みは無く、これといった不安感もなかった。
おんさんは一般の患者の他に特警に属する刑務官を診る立場でもあることから、医師名鑑といった人名録には載っておらず医界でこそ有名ではないが医療技術の高さ、実際上の臨床経験の豊富さは相当なものだ。
何より、常に患者と対等に、そして自身の持つ医学知識と経験を使い適切に患者を快方へと導く努力をしてくれる。
それを理解しているだけに、主治医がおんさんであることが短期とはいえ、はからずも患者となってしまった林檎には心強かった。
綾瀬は元より和人のリンゴが目当てだったのか、林檎に軽く挨拶を返し和人の隣を陣取っていた。
その図式は和人が果物ナイフでリンゴをうさぎさんカットにしてから皿に置く。
それを綾瀬が端から摘んでは休むことなく食べていく。

切る。
食べる。
切る。
食べる。
切る。
食べる。
切る。
食べる。
切る。
食べる。

「俺食ってねぇ!!」

「わっ」

突然リンゴを入れたバスケットを綾瀬にぶん投げて和人がキレた。

「俺が食うために持ってきたのに何で俺が切って、お前に食わせなきゃいけねぇんだよ!?」

「あははははは、はい林檎ちゃん。アーン」

「アーン」

「人の話聞け!!」

こめかみに青筋を浮かべた和人に睨まれながら胸倉を捕まれているにも関わらず、綾瀬が笑いながら摘まんでいたリンゴを林檎に食べさせる。
その傍らではバスケットを受けとめたおんさんが、バスケットと一緒に舞い上がったリンゴを器用に中へキャッチするという芸当を披露。

「か〜ずり〜ん。おんさん全部拾ったあ元気出してぇん」

「……、いい子」

「キャッおんさんいい子ぉ〜」

リンゴはすべて無傷のまま回収され、和人へと返された。
頭を撫でられおんさんは上機嫌である。

「ああ!おんさんズルい…!ダーリン今度は私が剥いてあげるね」

目をキラキラさせて、机におなざりにされていた果物ナイフを手に取り、林檎がきれいにリンゴの皮を剥いていく。
はい。と笑顔で差し出されたそれを和人が口に運ぶ。

「……やっぱ相方、りんこがいいかも」

「なんと!?」

リンゴを飲み下して和人がポツリと呟いた一言に、さすがの綾瀬もびっくりしすぎてうっかり丸かじっていたリンゴを落としてしまう。
そんな哀れなリンゴにおんさんはほろりと涙した。
林檎はどこか嬉し恥ずかし気に両手で自分の頬を包んでいる。
そこへ、

「何血迷ったこと言ってるの。林檎は僕の相方だよ」

決然と言ってのけ、不機嫌さを顕に颯人が入室をしてきた。

「あっ、ハニー」

「いつから恋人同士に?」

「もー、みーな可愛い…じゃなくて冷たーい。検査、終わったんだね。怪我は大丈夫?」

「元々大して怪我なんかしてないからね。あったとしても、もう治ってるよ」

心配そうに伺う林檎を安心させるように颯人はにこやかに答える。


「はーたんはぁ自己再生力が強いからイヤ〜ン」


いきなりイヤンとか言われても。


不意にそう言っておんさんが口を尖らせぷっくり膨れる。
また個人的に診察させて欲しいとアタックして断られたのだろうか。
思って颯人を除く三人は苦笑した。
颯人は心臓移植後どういうわけか自身の傷等肉体的苦痛を癒す自己再生力(自然治癒力)が突出し、軽い体組織の損傷であればものの数秒で治癒・再生するようになっていた。
浹が言うには潜在的にではあるが治癒・再生に特化した能力を持っていた颯人、そしてその心臓のドナー。
宇佐見響双方の能力が当時颯人の生命を維持するため佐和が使用していた光の能力に何らかの影響を受け、突然変異を起こしたのではとのことだが実際のところは解らず仕舞いである。
颯人については他にも何らかの能力があるようだが、現時点ではそれも明確にはされていない。
いずれにしろ、治癒に関してはあくまでも無意識的なもので、和人たちのように自由自在にその力を使えるわけではない。
颯人にはドナーの名前は伏せながらも治癒に関する事は伝わっている。
最も、そのおかげで颯人は精密検査等は受けるものの特別な場合を除き、おんさんや他の医師の診察を必要とせずにいた。
おんさん的にそれがちょっぴりジェラシーらしい。
担当医としてはきちんと診察しその状態を確り把握しておきたいのだそうだ。
そしてアタックする度断られてはこうして拗ねている。

「僕も君はキライだよ」

「Σキャヒッ…!!う、嘘ぉ嘘なのぉ〜だからそんなこと言わないでぇん…おんさん、何か悪いことしたぁ〜??」

爽やかに言い切られ悲しかったのかおんさんが若干涙ぐむ。

「した。採血。やだって言ったのに」

採血とな。
意外な行為におんさんが周囲にクエスチョンマークを飛ばす。
確かにやだと言われながらも先ほど行った気がするが。それはあくまでも臨床検査のためである。

「何、お前まだ注射ダメなの?」

「黙ってよ。自分だって上部消化管内視鏡検査嫌いなくせに」

「ほっとけ。つーか正式名で言うな。胃カメラでいいだろ。水上のくせに生意気だぞ」

「何なのその言い種…!」

和人の愚劣な言葉に颯人は文句を言わざるを得ない。
毎度のことだが何故この人はこうも人の神経を逆撫でするのがうまいのか。

「ケキャ〜ンッ次からは痛くしないからぁんキライなんて言わないでぇ〜ん」

イライラしていたらおんさんに涙のタックルをかまされた。

「……今正に痛いんだけど」

「許してぇ〜許してぇ〜」

「わかったよ。だから退いて」

嘆息混じりに言うとケヒッ、と声を上げておんさんがすぐに体を起こす。
しかし、同室内で事件は二つ起きていた。
今度は嬉しかったのか鼻唄混じりに万歳して回るおんさんを余所に林檎たちの方へ視線を移した颯人の目に飛び込んだのは、

「きゃーっ綾瀬、ストップストップ!危ないよーっ」

「あは、林檎ちゃんいなくなっちゃえば和人とは組めないもんねー」

「ちょ…っ、何してるのさ!?」

金属バットを振り下ろしている綾瀬とそれを必死に白刃取る林檎だった。

「お前まだそれ持ってたのか」

「応よ。今宵も虎轍は血に飢えておるわ」

「ただのバットじゃん…!ていうか眺めてないで止めてよあの人っ!!」

「断る」

何だってー!?

にべもない和人の言葉に颯人が驚愕する。
もとはと言えば和人の無責任な発言が原因であるのだが。

「桃缶!」

「…綾瀬、リンゴやるから早まるな」

「ちぇっ、仕方ないな」

苦し紛れの桃缶に和人が動いた。
あっさり宥められた綾瀬は金属バットを林檎に託して和人に熟れたリンゴと果物ナイフを差し出す。
切れと言うことらしい。

「お前も食う?」

リンゴの皮を剥きながら、和人が颯人に視線を向ける。
リンゴは颯人の好物でもある。
季節になるとよく食べているところを目撃されたり、普段はお菓子等食品類のプレゼントは受け取りはするものの口にすることはないのに対し、それなりに見知った相手であるのが絶対条件として、アップルパイ等リンゴを使ったお菓子に限っては不味くない限りはお残しせず確り食べきる程だ。

「…いらない。もう本部に戻るし」

だが、時間も時間であるが相手が和人ということもあり颯人がそう素っ気なく返した途端。
リンゴがふわりと浮かぶ。
和人が自分に投げたのだと悟り一瞬躊躇したものの、颯人は反射的に受け取ってしまった。

「何のつもり?」

「餌付け」

「っ、バカにして…!」

しれっと言って放つ和人にカチンときたらしく颯人が刺々しく和人を睨んだ。

「冗談だって。今日まだ何も食ってねぇんだろ?本部でも食えんだし、持ってけ」

一方の和人は声を荒げる颯人に構わず作り笑いでへらりと笑う。
そんな和人の対応が気に入らず、颯人は冷ややかに答えた。

「…、あんたに施しを受けるほど空いちゃいないよ。大体、僕はリンゴ一つで餌付けられる程単純じゃない」

「おまっ、冗談だって言っただろ。変に根に持ってねぇで流せよ」

「ふん」

眼を軽く見開いて大袈裟に返す和人に颯人がそっぽを向いた。

「仲の良かった古馴染みの仲間でさえ平然と殺せる冷血人間のくせに…相変わらず表情を作るのは上手いんだね」

「!、みーな…っ!」

小さく呟かれた颯人の言葉に林檎が焦思して口調を強める。

「…林檎に変なこと吹き込まないでよ。後々被害を被るのは僕なんだから」

その牽制に感情を抑えてそう告げると颯人は病室を離れた。



「ごめんね和人。でも、みーなは…、」

「わかってるって。謝んな。あいつ、颯人には口が軽いからな」

後に残った気まずい雰囲気に林檎が躊躇いがちに謝れば、和人がくつくつと目を細めて笑ってみせた。

「にしても、結局リンゴは持って行ったな」

言って、止めていた手を動かし和人は残りのリンゴを剥き始める。

「大好きだからね。いつか林檎ちゃんも食べられちゃうんじゃない?」

「ヒキャキャッあ〜たま〜から〜?」

笑いながらリンゴを摘まんでいく綾瀬におんさんも愉快そうにリンゴを口に運んでいく。

「みーなに食べられるなら本望よ」

「悪い、今ドン引いた」

「Σダーリン酷い…っ!」

「私も人肉はちょっと…」

「あーん、生々しいこと言わないでー!」

キリッと言い切って早々和人と綾瀬の犠牲になり、林檎はしょんぼりとうなだれた。
確信犯の二人は活き活きとしている。


「失礼します。三村さんに警察の方からお電話です」

その時、軽いノックの後に顔を覗かせた一人のナースから声がかかった。

2008.8.17




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