川口直也

「あんたら、一体何者なんだ?」

「警察だよ」

小さく鳴る靴音を聞きながら綾瀬が答える。
真由たちの報告から主格である標的の四人はどこからか仕入れた情報から綾瀬達のことを把握していた。
しかし、脅され道案内役に前を歩く男を含めた部下までその情報が行き届いていなかったらしい。
男は返ってきた応えに小首を傾げる。

「府に落ちないって顔だね」

「あ、いや……だっていくら犯罪者相手だからって殺すなんて……」

自分達が犯罪者である自覚はあるが、例え警察と言えど殺人を容認されてはいない筈だ。況してあんな殺され方をしなければならないなんて。

「う〜ん。警視庁や警察庁の“警察”とはまた違うからね」

「?」

「気になるなら自分で調べたら?わざわざ説明すんのめんどいし。そんな義理もないし。ま、君にその必要はないと思うけど。ねえ?川口さん」

振られた名前に男が微かに目を見開く。

「気付かないとでも思った?私、嫌いな奴の声って忘れないんだよ」

「……まだ三年前のこと、根に持っていらっしゃるんですか」

そう言って男−川口直也が振り返り、向かい合う形になった二人の間に一陣の風が吹いた。

「!」

即座に綾瀬の発現した鎌鼬を水の障壁で直也が防ぐ。
間を開けず綾瀬は袖裏に隠し持っていた小型ナイフを投げつけ、直也の注意をそらすと一気に間合いを詰めその首筋に銃口を当てた。

「君が邪魔しなければ、あのガキ始末出来てこちらと都合がよかったんだよ」

薄暗い通路に冷めた声が響く。

「彼の症状は…佳奈の存在が引き金となっているものですから、ね」

そう呟いた直也は銃を突き付けられていると言うのに慌てる様子もない。
恋人であった今井まつりの死と実妹である佳奈の狂気的な愛情による狂行。
和人の女性恐怖症はこの二つの要因が重なりあい、重度の心的外傷となり現れている症状である。
突き詰めれば、女性そのものが怖いと言うわけでは全くない。
“佳奈”の手によって、
“まつり”が殺された日の惨状が夢で見るスモックのかかったような断片的なものよりもずっと、鮮明な記憶として脳裏に甦ることが恐ろしいのだ。
“佳奈”はそんな和人のトラウマを明瞭に呼び起こす唯一の存在であり、まつりを殺してから今尚“佳奈”が続けている連続女性殺人ははからずも和人の恐怖心を的確に煽った。
その連続殺人の被害者は目的に関わらず一定の距離を越え和人に近づいた女性であることから、殺人の発生による記憶の再起を避けたいが為、和人は綾瀬と任務の標的以外の女性に近づくことが出来ない。逆もまた然り。
無暗に近づこうものなら神速の後退りを見せる。
最も、多くの場合綾瀬が同行している為近づく前に威嚇射撃又は水浸しにされるのが関の山であるのだが。

「でもまあ、君がここに居るってことはあのガキも来てるんだよね?」

「ええ、貴方には絶対会いたくないとのことですので、接触はご遠慮頂きますが」

「じゃ君が遊んでくれるの?」

「まさか。私はあくまでも引き付け役ですから。

貴方の相手はあちらです。」

直也が綾瀬から視線を外し移した先でじゃき、と金属音が響く。


「……君さ、何がしたいの」

空いている手にナイフを持ち構え、背後で銃を構えた男を盗み見ると、綾瀬は小首を傾げた。

「単なる時間稼ぎですよ。ですから、大事な仕事の邪魔をするつもりはありませんので。お付き合い頂く代わりに任務のお手伝いになれば、と用意しておいたんです」

小さく笑って答える直也は依然として冷静そのもの。
他に意図があるようには看てとれない。
あったとしても、後ろに控えた男が調書で見た標的。
坂部忠芳その人であったのだから任務遂行に事実、貢献している。
催眠状態にあるのか、坂部の眼は酷く虚ろだ。
能力を応用した洗脳・催眠術は直也の特技である。
ともすればかけているのは直也だろう。

「へぇ。微妙なお気遣いをありがと」

吐き捨てて綾瀬は坂部の銃を持つ手を狙いナイフを投げ付ける。

「…ぁがっ」

「でもさ、こんな雑魚じゃ大した時間稼ぎにならないんじゃない?」

ナイフが命中し坂部が痛みに呻き声漏らすと、今度は直也に向けていた銃で坂部の眉間を撃ち抜いた。

「いいんですよ、別に。元より多くの時間を必要としていませんから」

言いながら直也はお見事、と軽く手を叩く。

「それに、貴方一人でここから佳奈の元へ辿り着くのは構造的にも少々難しいでしょうし」

「え」

さらりと放たれた言葉に綾瀬が固まった。

「何。こんなとこまで連れてきて放置プレイ?」

「はい。私も存外暇ではないので」

半硬直気味に聞き返すとあっさり肯定された。
そしてそれでは、と告げた瞬間。直也は大量の水を周囲に発現した。

「わわっ!」

直也を包むようにして渦巻く水の飛沫に反射的に目を閉じてしまった綾瀬が目を開いた時には既に直也の姿はなくなっていた。


「…あいつ、今度会ったら絶対撲る」

呆気にとられながら一人取り残された綾瀬が怨めしそうに呟く。

「ていうか私、どっちから来たんだろ」

左右に続く通路を見比べて綾瀬は首を捻った。
そう、綾瀬は方向音痴。
それも極限を極めたといっても過言でない程の類稀なる逸材。クレイジーコンパスの持ち主なのだ。
女性は男性に比べ方向感覚が劣っているといわれるがそんなレベルではない。
スタート地点がニ岐ならば明後日の方を突き進み、車両に乗ったらいつの間にか逆走している位の方向音痴なのだ。
帰巣本能の賜物か、辛うじて家に辿り着くことは出来るものの、本来なら十分程度で着くところを迷走に迷走を重ね軽く三時間掛かる。
巷で人気のカーナビもつけてはみたが、全くその意味をなさなかった。
要はナビゲーターがあっても直接前を歩いて案内をしてくれる人がいないと目的地へ辿り着けない。

「うー…ん。こりゃ参った」

情報課面子に連絡を取ろうにも、先の水飛沫がかかったのかいかんせんインカムの調子がよろしくない。
携帯は圏外だ。
直也でなくとも標的やその部下がいれば脅して入り口まで案内させられるのだが。
何度周囲を見渡しても坂部の死体が転がっているだけ。
人気など微塵もない。
仕方なしに少し考えた末、

「まあ、歩ってりゃ誰かに会えるよね」

果てしなく楽観的な結論を出しさっさと歩き出した。

2007.1.1




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