中庭の暴君

闇に染め上げられた空に浮かぶ小さな月。
ネオンライトが煌めく街に掻き消されそうになりながら、けれど静かに淡く柔らかい月光を発している。
しんしんと降り積もる雪を踏みつけ帰路を辿っていると、道端に赤黒い血に塗れた無惨な女性の死骸が転がっていた。
仕事柄、見慣れてしまっていたものではあったがどこかで見た覚えのある顔に微かに目を見開く。
通報位しておくかと携帯を探りがてら顔をあげると、自宅への路に沿うように行く先に幾人かの女性が倒れていることに気付いた。
嫌な予感が過り、路上を照らす月光に駆り立てられるように、どんどんと言い様のない焦燥が込み上げてくる。
気が付けば脳裏に鳴り響く警鐘を無視して、走りだしていた。
吐く息は白く彩られ、漆黒の空へと溶け込んでいく。

そして、
自宅前に続く最後の曲がり角を曲がり見た光景に、全身が凍り付くような錯覚に陥った。
見開いた目はぴくりとも動かない。
真っ赤に滴る赤い液体の独特な匂いが酷く鼻をくすぐる。
眼に写るのは自分の血なのか、返り血なのかわからないけれど真っ赤に染まった実妹と−−−



「……っ、!」

そこで和人はまどろみから覚めた。
また、いつもの夢だ。
何度見ても慣れない悪夢に、和人はまだ高鳴る胸を落ち着かせるように深呼吸をした。
目の前には数枚の書類が散らばっている。
どうやら書きながら途中で眠り込んでしまっていたらしい。

「居眠りなんて珍しいな」

突然、静まり返った室内に笑いを含んだ声が響いた。
聞き覚えのあるそれに、和人は不機嫌さを露に振り向く。

「ついにお払い箱にでもされたか?克。どうしてお前がここにいる」

「はは、久しぶりの再会だってのにつれないなぁ」

淡々と冷たくあしらう和人に、声の主こと荒井克は肩を竦めてくぐもった笑いを漏らす。
人の良さそうな雰囲気を持ってはいるが、関西支部・刑務官部隊の筆頭であり春菜の相方でもある相当な実力者だ。

「にしても、寝不足か?くまができてる。折角きれいな顔してるのに台無しだぞ」

「ほっとけ。飛鳥に連れ回されて昨日から寝てねぇんだよ」

飛鳥。本名を二条飛鳥といい、元防衛省の要人であり和人やその相方である綾瀬にあらゆる仕込みをした切れ者である。
防衛省を離れてからは京都の花街に腰を据えている。
そういえば一昨日、警視庁に用があると京都を発っていたな。
思い出して、克は散々飲み屋のはしごに付き合わされたであろう和人に同情した。
飛鳥は近年稀に見る酒豪だ。

「……、待てよ。お前、飲めないのにか?」

「飲まないだけだ。二日酔いで任務なんざ冗談じゃねぇ。大体、行き帰りに使ってたのは俺の車。運転は勿論、俺。飲酒にまで付き合って酒気帯び運転で捕まりでもしたら恥晒しもいいとこだろ」

「なるほど。違いない」

自己顕示欲が強く、俺様隊長やりたい放題な行動が絶えないくせに確り後先を考えてはいるんだよなあ。
思って克は眉尻を下げて軽く苦笑した。

「で、結局何しに来た?」

「ん?ああ、そうだ。綾瀬に会いたいんだがどうにも見つからなくてな」

「へぇ。案内ならお断りだ」

即答。
まだ本題に入ってもいないのに早々と断られた。

「いやいやいや!俺とお前の仲だろ。頼むって〜」

しかしそこは克。
伊達に支部部隊長を務めているわけではない。
諦めの悪さは相当なものだ。

「同僚ってだけだろ。殴られても、俺は知らねぇぞ」

「おおっ、ありがとなっ!」

返答を聞くや否や克はぱっと目を輝かせて、椅子から立ち上がった和人に抱きついた。

「離れろ、暑苦しい。つーかどこ触ってんだ変態」

「んー、尻」

悪びれた様子もなく、克が即答する。
答えただけなので現状も変わらない。
そんな克に、和人は口元に笑みをつくると無言のまま足払い・膝蹴り・ヘッドバッドの3コンボを叩き込んだ。




そんなこんなで。
綾瀬を訪ねて正味十分。
和人と克は鑑識課のドアの前を過ぎ、綾瀬の元へと歩を進めていた。
途中、すんすんと廊下の片隅でやれ嫁だ婿だに行けないと嘆いていた部下その他を見掛けたが、大方克のセクハラにあったのだろうと和人は全く気にもとめずスルー。
諸悪の根元である克はその存在に気付きもしない。
そんな薄情極まりない二人が向かう先は中庭だ。


「…、綾瀬。和人、です」

着いて早々ぴりあに和人が見つかった。
同時に綾瀬にも来たことが伝わった。

「和人?何々、任務の呼び出しでもあったの?」

ぴりあの後ろで、昼寝でもしていたのかのんきに寝そべっていた綾瀬が不思議そうな顔をして体を起こす。
一面をふさふさの芝生で覆われ、太陽の光が静かに暖かく射しているその場所はなんとも寝心地が良さそうだ。
そのすぐ近くでは、噴水の水飛沫が日光を反射してきらきらと輝いている。

しかし、そんな中庭の穏やかな雰囲気は呆気なく崩れ去ることとなった。
綾瀬が、克が、互いの姿を認識したのだ。
克は捜し人の発見に、心底嬉しそうに笑む。
対する綾瀬は、

「なぁんでこんなの連れてくるのさこんのすっとぼけっっ!!」

絶賛ブッチ切れに和人目掛けて鎌鼬をぶっ放した。
ひらりと避けられたそれは後ろにいた克に見事命中。
7936のダメージを与えた。

「落ち着け綾瀬。嫌がらせに決まってんだろ」

「そうなの!?」

「んなっ落ち着いてられるかこのスカタン!聞いた私が馬鹿だった!「何を今更」うあああ何この人!まじムカつく!憶えてなよっ後で絶対泣かす!とにかくそれ、東京湾なりお山の向こうなりどこか遠くにポイしてきてポイっ!!あああもう信じらんない穢らわしいっ!」

まるで当たり前だとばかりに平然と返す和人。
連れてきてくれた理由に驚きを隠さない克。
いわずともがな、綾瀬は見事に切れている。

普段から克が嫌いで、その対応は酷いものだが昼寝を邪魔されたのが余程頭に来たのか今回はいつにも増して容赦がない。
更に和人の追い撃ちに機嫌を損ねたのか、見るからに殺気だってさえいる。

「ま、待て綾瀬!俺は「やかましい、喋んな害虫がっ!!とっとと失せろ!ぴりあちゃん塩、塩持ってきて!いくらかけてもいいよ!!どうせなら殺しちゃってもよし!!」」

音速で捲し立てる綾瀬に、ぴりあはきょろきょろと落ち着かない。
かつてない程の剣幕に克は迂濶に身動ぎできずにいる。

それから数分後、
天の助けばりにタイムリーに和人の携帯が低音を奏でた。

「おい、呼び出しだ。遊んでないで本部長室行くぞ」

綾瀬の一方的な暴動が一瞬にして治まる。
本部長室と言ったら呼び出したその人はただ一人。
仕方なしに命拾いしたねと倒れている克に綾瀬が捨て台詞を吐く。
ありとあらゆる攻撃を一身に受け地に伏す克の姿はまるで、使い古したボロ雑巾の様だった。




「…、…綾瀬。どうして克のこと、きらい、です?」

本部長室へ向かう途中、和人の隊服をくいくい引っ張りぴりあが首をかしげる。

「確か…十年くらい前俺と綾瀬、それに克と春菜でケーキバイキング行ったことがあってな」

「……、ケーキ…。」

「そう、ケーキ。で、その時、綾瀬が最後に食べようと残してたショートケーキの苺を、嫌いなのかと思って克が食ったからだった気がする」

「……、…おもいっきりくだらない、です」

「そうだな。おもいっきり」

なんとも同情し難い理由に、ぴりあは聞いたことを後悔した。
言っておいて和人は相方のアホさ加減に少しセンチメンタルな気持ちになった。


「失礼しますよー」

本部長室前に着き、克が先だってドアノブを回す。
そして扉を開けがてら室内へと踏み出す。
が、

「ぶっ…!」

扉の奥から勢いよく繰り出された強烈な回し蹴りをもろにくらい扉に激突。
フローリングの床に沈んだ。
克の後にいた和人と綾瀬、そしてぴりあもさすがに驚いたのか突然の事態に唖然とし、本部長室へ入るタイミングを逃してしまった。

「克、あなたごときが私を待たせるなんてどういうつもり?」

いささか不穏な雰囲気と共に凛と澄んだ声を放ち、回し蹴りをかましたであろう人影が克へ近づいてくる。現われたのはなんとも予想に容易い克の相方、春菜だ。
歩く度隊服から覗くすらりと長く形のいい足は健全な男児の目には少々悪い。
余程痛かったのか未だ激痛に悶える克を、気遣う素振りを見せるどころか眉一つ動かさず見下ろしている。

「あなたがここへ来るって宣言した時間から三十分も過ぎてるわ」

「い、いや…これには深いわけが「黙りなさい。あなたの都合なんてどうでもいいのよ。この私を三十分も待たせたって事実が問題なの。いつも言ってるわよね?私、他人に指図されるのと同じくらい待たされるのが嫌いなの、って」は、はい…」

身勝手な持論を述べながら春菜は身を屈め克の襟元を掴む。
口元に微笑を浮かべ、反して眼は全く笑っていない春菜を前に、
弁明をはかれるはずもなく、克はただ小さく返事をするに止まるしかなかった。
もはや隊長としての威厳も何もあったものではない。

「浹、さま…」

そんな克と春菜の修羅場を前にぴりあが和人と綾瀬の隊服を軽く引っ張る。
室内にいる浹に早く会いたいらしい。
肝心の浹はというと、中で何やら電話をしている。
止めに入るにはもう少し時間がかかりそうだ。

「春菜、そのくらいにしとけ。そろそろぴりあが泣くぞ」

「…、それは困るわ」

和人の制止に春菜が掴んでいた手を離す。
次いで解放され一息ついた克に、後でよく話し合いましょう。と告げた。
非が自分にある分、一方的なものになるのは目に見えている。むしろ非がなくとも春菜を諫める自信など皆目ない。
数時間後の自分を思い浮べて克は乾いた笑いをもらし体中からどっと汗を吹き出した。


「春ちゃんてば相変わらずだね」

言いたい事だけ言って早々と奥へ入っていった春菜を見送って綾瀬が呟く。

「我が強いっつーかなんつーか」

「はは、あれでも結構可愛いところもあるんだぞ。美人だし。あ、美人と言えば蓮音のやつもいい女だよな。真由も可愛いしノリいいし朱美は面白いし、いいなぁ本部」

「…お前、女となると本当節操ないよな。最低」

「死ねばいいのに」

「お前らは相変わらず心ないな」

フォローのつもりがいらぬ発言により矛先が転換。
非難の声を浴びせられ克はがっくり肩を落とした。

2007.1.1




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