森のパンダさん
「あーあ。三時からスーパーで飲料水の安売りあるのにな」
いっそ清々しく青ざめた空。
車内の助手席で目の前に広がる木々と今はもう廃墟と化した美術館を眺めて綾瀬が溜め息をつく。
「今から帰れば間に合うんじゃないか?」
「無理。私、何故か本部以外から一人で自宅に着いたためしがないんだよ」
あからさまに不満を示すその態度に、運転席に座っていた和人が軽く横槍を入れれば。
まったく以て自慢にならない言葉が返る。
帰宅できないのは単に方向音痴だからだろ。
そんな意見が脳裏によぎるが本人に自覚がないのなら指摘するだけ無駄だと自己完結し、和人はタクシーでも呼べと、一言残し車外に出た。
そしてまた車内に戻った。
「…、……」
「…、……」
「何、どうしたの?」
「変なのいた」
「はい?」
一体全体何なのか。
全くもって意味がわからない。
しかし、何を見たのか無性に気になり綾瀬は取り敢えず車外に出てみた。
そして、
「変なのいた」
和人の台詞を一字一句、発音さえも間違う事無くリピートした。
視線の先には現地で合流を予定していた情報課の車。
その真横には何かパンダのようなものが双眼鏡片手に腹ばいになっている。
あまりに異様な状況にパンダらしき物体を綾瀬が凝視していると、視線に気付いたのか不意に振り向いたソレは
「あっ、片倉隊長!早かったですね!」
明るくフレンドリーに接してきた。
「あー…もしかしなくても真由ちゃん?」
「はい。須藤真由です」
《一口人物メモNO.5》
須藤真由(LV.561)
HP/64280 MP/47246
特殊警察情報課所属
得意技:
乙女の妄想(効果範囲大)
聞き覚えのある声に記憶を辿り浮かんだ名前を確認すればすっぽりと頭からパンダの頭を被った真由が肯定する。
表情は伺えないが放つ雰囲気から機嫌がいいであろうことは明確だ。
「どうでもいいけどなんでパンダ?」
「え、もし容疑者に見つかっても怪しまれない為の変装ですよ。可愛いですよね?ね?」
「あは、パンダは日本の森に生息してないよ。ついでに凄くきもい」
ここを一体どこだと思っているのか。
見事に的の外れた発言に満面の笑みで対応する綾瀬。
車内で話を聞いていた和人は理解の限度を超えた真由の言動に勘弁してくれとハンドルに突っ伏していた。
「被疑者は矢野悟。19歳。身長172cm、体重68kg、こちらは失踪前のデータとなります。因みに知っているとは思いますが建造物爆破事件の容疑で現在指名手配されています」
なにはともあれ無事和人と綾瀬に接触した真由は収集した情報の報告を簡潔に始めた。
声に普段の覇気が感じられないところを見ると先の綾瀬に因る言葉の暴力が中々に効いているようだ。
「能力は?」
「属性は雷。自在に体内で発電・放電できるようです。調書によれば威力はせいぜい健の十分の一といったところですね」
「しょぼいね。あ、でも電気代いらずで便利かも」
「飼う気なら代わりに食費が掛かるな」
「う、それは困る。今お金貯めてるのに」
「何で」
「和人の家の隣に引っ越ししようと思って」
軽く脱線していく会話。
報告をしていた真由は仕事をおなざりに何やら和人を見つめうっとりしている。
「パシる気なら考え直して久保使え」
「やーだー。久保ちゃん自動二輪の免許持ってないんだもん。私は風を感じたいの」
哀れ健。自動二輪の免許が無いというだけで敬愛する綾瀬にあっさり拒否られている。
そして。
時が経つこと20分。
「あの、なんか腹下したっぽいんでちょっと薬局行ってきます」
未だ発展を続ける和人と綾瀬の会話に終止符を打つ勇者が現れた。
「何、槇ちゃん拾い食いでもしたの?」
腹を抱え不調を訴えた勇者こと槇尾鈴希に間髪入れず声をかけたのは綾瀬だ。
しかし、大して気遣っているでもなく随分な質問をしている。
「はい、実は昨日あまりの空腹に道端に落ちてたどんぐり拾って食べ…てなんかいないですよ。じゃ、ちょっと行ってきます」
対する腹を下した鈴希は、ツッコミ以上ノリツッコミ未満の高度な返答をしその場を駆け足で去っていった。
「俺らもそろそろ行くか」
更に。
鈴希の腹痛を機にやっと任務を再開する気になったのか和人が動きを見せる。
続いて面倒臭そうに綾瀬が和人の後を追った。
「あっ!お二方、ご出立なさるんでしたらこれ持っていって下さい。一応館内の見取り図もお渡ししますが現在地の確認等、こちらで出来る限りのサポートは致します」
今まで和人に見惚れていた須藤さん。
どうやらここにきて正気に戻ったようだ。
矢野確保に向かうべく動きだした和人と綾瀬を引き止めると、館内の見取り図とインカムを差し出した。
2006.11.10