桂さんと気持ちが通じたあの日から幾月が経とうとしていた。
けれど、それは誰にも内緒で・・・。二人だけの秘密。
それでも、桂さんとふたり心が通い合っていると判ってからというもの、私の心は満ち足りたものだった。
ほんのわずかな瞬間でも二人きりになると、やさしい瞳で桂さんが微笑んでくれる。
いつもの冷たい笑顔ではなく、やさしい暖かな笑顔をほんの瞬間みせてくれる。
しかし、藩邸にはたくさんの人が詰めており、いつ何時見られるかわからない。
おまけに高杉さんが相変わらず
「蘇芳は俺の嫁だ!」などと飽きることなく言いつづけているし。
藩邸の中で二人きりになることなんて皆無に等しかった。
◇◇◇◇◇
ある日の午後、藩邸の縁側で桂さんとすれ違う。
普段は、にこりと微笑むだけですれ違って行くはずなのに、桂さんが私を呼び止める。
「蘇芳さん、いまから一緒に出かけるよ。」
え?桂さんとお出かけをすることができるの?
私はうれしくてうれしくて、自分で自分の顔が赤らむのがわかる。
桂さんとお出かけ?ほんとに?
桂さんと二人、三条大橋を渡り鴨川沿いを南へ下っていく。
川のほとりを二人で歩くなんて、デートみたい。
藩邸の誰も目も気にせず二人で一緒にいられるなんて。
デートみたいじゃなくて、これってデートじゃん!
いつも少し前を歩く桂さんが、今日はゆっくりと私と肩を並べて歩いてくれる。
「蘇芳・・・」
横から優しい顔で呼びかけてくれる。
「蘇芳・・・」
そっと、桂さんが私の手を握る。
私が、桂さんの手を握り返す。
なんと大きくて暖かな手なんだろう。
華奢にみえてもやはり男の人の手だとわかる。
「小五郎さん・・・」
私も呼びかける。二人だけの約束。
二人だけでいるときは、名前で呼び合うと。
「小五郎さん、どこへ連れて行ってくれるの?」
「着くまで秘密だよ。きっと蘇芳が喜ぶところ」
いたずらっこのような笑顔で小五郎さんが答える。
いままでにみたことのない小五郎さんの笑顔に驚く。
春になってきたとはいえ、川沿いの風はまだ冷たい。
「蘇芳、寒くないかい?」
小五郎さんは私の肩を引き寄せ、小五郎さんの腕が私を包む。
着物姿では華奢に見える小五郎さんだけど、その腕には無駄のない筋肉ががっちりとついているのがわかる。
小五郎さんの腕に包まれながら、剣の達人である人だということを認識してしまう。
それからしばらく、川沿いの土手を二人ならんで歩いていく。
すると、その先には・・・・
一面、黄色の絨毯が広がっていた。
西に傾きかけた夕日とあいまって、黄色とオレンジ色の世界。
見渡す限り菜の花畑が広がり、まるで夢の中のような風景画。
「わーーー、きれいーーー」
思わず、声がでる。
「蘇芳にどうしても見せたくてね」
やさしく小五郎さんが微笑みかける。
オレンジ色の夕日がふたりを包み込む。
春風がそよそよと吹き、小五郎さんと私の髪をなびかせる。
小五郎さんが、私の髪を整えるようにして私の頭をなでる。
大きな手のひらに包み込まれるようにして、二人の距離が近まる。
「蘇芳、私は蘇芳がいないとだめになってしまったらしい・・・」
きれいな小五郎さんの顔がとても近くなる。
そのままやさしく小五郎さんの唇が私に重なる。
夕日の中に二人溶け込んでいく。
「・・・・」
私はうれしくて、はずかしくて言葉を発することができなかった。
「蘇芳、泣いているの?」
そう小五郎さんに言われて驚いた。知らないうちに涙がでていた。
「蘇芳、泣きたいときは泣いていいんだよ。泣き顔は見られたくない?」
「え?」
「上手にその涙を隠す方法があるんだけど・・・」
「方法?」
「私の胸に顔をうずめるんだよ」
小五郎さんの意地悪・・・でも大好き・・・
空を見上げると月が昇っていた。
いつも私を導いてくれる月。
でも、今日の月は、春の景色とともに二人を霞のように包んでくれる朧月夜。
いつまでもこのときが続いてほしいと願う春の一夜・・・・
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