wt小説 | ナノ






海外では、ヤドリギの下にいる男女はキスをしなければならないという古くからの言い伝えがあるらしい。映画でそれを知った私は、それがとても羨ましかった。日本ではヤドリギなんて植物は滅多に出会えるものじゃなかったし、それに変わる言い伝えもない。桜とか、藤とか、紅葉とか。何でもいいから、この国独自の美しい自然に合わせたロマンチックな言い伝えが、どうか広まってくれたらいいのにと思った私は、同級生にふんわりと恋をしていた。それもとうとう叶う事なく、数日後には共に高校を卒業する。これが私にとっての『ヤドリギ』になればと願掛けした、通学路の川沿いにある大きな桜は、今年も夢みたいに美しかった。


「おはよう」


校舎の階段を上がってすぐ、白い頭に私は待ち伏せされていた。「空閑」名前を呼ぶだけで勝手に私の心臓は跳ねる。平静を装いながら目を合わせたら、「これ、借りてたやつ。助かった、ありがとう」隣のクラスの彼に貸していた教科書が帰ってきた。ポンと手渡された教科書を受け取る際、手と手が触れてまた私の心拍数は上がった。「どういたしまして」空閑のことはボーダー内で知った。凄いやつが入ってきたらしいと噂になったから。その後たまたまランク戦で当たって、噂をこの目で確かめた数日後、入学した先の高校に彼はいた。『お、これはこれは』とか言って、まだ他所向けの顔をしていた彼が私の目の前の席についたあの瞬間を、私はハッキリ覚えている。仲良くなるうちに軽く教えてもらった事だけど、彼は嘘を見抜くことが出来るらしい。だけど、私がこうして平静を装っていることはたぶん、見破れない。言葉や態度で揺れない限りは。だから私が彼を好きだなんて、彼はおそらく微塵も考えてないだろう。その証拠に、彼は学校でもボーダーの基地でも何の気無しに私に話しかけてくるし、個人戦だって誘ってくるし、二人で一緒に帰ったりとか、寄り道だってした事がある。親密ではある。だけど、そこ止まりの関係だ。


「…今日は空閑、学校終わったら任務?」
「ううん。そのまま玉狛に寄る予定」
「そうなんだ、お疲れ」


じゃあね、と言って私たちはそれぞれのクラスに向かった。朝からちょっとしたイベントが起こるなんて、と私は少し体温の上がった頬を冷ますように手で仰いだ。私は、ヤドリギの話を聞いてもし、自分が誰かとキスをするシチュエーションになるとしたら、それは空閑がいいな、と思っていた。自分よりちょっと背が低くて、ほんとに小学生みたいな顔してて、人懐こいけどなんだか不思議。この先誰のものにもならなそうな雰囲気のある彼の唇を合法的に貰えるのなら、本望だと思っていた。


* * *


三月某日、卒業式。最後の学舎から私達が放たれた日は、雨だった。通年は桜の舞う中別れを惜しむ人達で賑わう校庭も、色とりどりの傘が混雑している。一通り色んな人と話をして、ボーダー所属の後輩が花を渡してくれて、私の手元は空に負けない華やかさになった。しかし雨は段々と強くなり、名残惜しさより足元の悪さが気になるようになってきた頃、ぱらぱらと帰路に着く人達が増え始め、私もその波に乗った。話をしていた友達が一人、二人と自分達の自宅方面へ曲がって減っていけば最後には私一人になってしまった。既にびしょびしょになった靴下と安物のローファーが擦れて、歩くたびキュッキュと水気を含んだ音が鳴った。


「帰るのか?」


傘に雫がぶつかる音の中、後ろから投げかけられた声に気付いて立ち止まると、私と色違いの花束を抱えた空閑がいた。ラッピングの仕方までほぼ同じなのは、同じ後輩から貰った花束だからだ。


「うん、雨酷いし」
「ほんとだな。よりによってこんな日に」


一緒に帰ろう、と言うわけではなかったけど、ビニール傘を持った空閑は私の隣に並んだ。少し低い高さの傘と並び、私は持ってる傘を少し、空閑のいない方向へ傾けて、横目で彼を見た。制服を着た空閑と歩けるのは、今日が最後かと思うとなんだか無性に寂しくなった。この帰り道を、一体何回二人で歩いたっけ。歩く度、私達の関係を明日から変える何かが起ればいいのにと、密かに期待していた。期待しながら、学校でも基地でも出会えてしまう間柄の彼にアプローチする勇気なんて私にはなくて、他愛無い話で時間を潰した、三年間もだ。


「空閑は、大学行かないんでしょ?」
「うん。俺はそういうのに向いてないってわかったからな」
「…なんなら中卒でも良かったぐらいじゃない?」
「そうとも言える」


否定しない素直な空閑に、私は笑った。いいんだよ、空閑には勉強なんて無くても、もっと凄いものがあるんだから。だから、ずっと自信を持っていてよ、私はずっと応援しているから、空閑のこと、ずっと、好きだったんだから。これが最後の別れだったら、そう言ったかもしれない。だけど高校が終わるだけで、私達はこれからもずっと、仕事で顔を合わせる関係だから、拗らせたくなくて、迷ったけど言えなかった。傘を持つ手には無意識に力がこもって、爪が食い込んだ。最後がこれでいいのかな、と思う様なしょうもない話をしているうちに、雨はどんどん強まってきて、横殴りになってきた。「あ、」空閑の声が風に流され飛んでいった。濡れてグズグズになった花束と、真っ逆さまにひっくり返って折れたビニール傘が空閑の手元に残った。


「…やられた」


渋々折れた傘を直そうとする空閑が濡れない様に、私は自分の傘を差してあげた。二人分のスペースが出来るよう傘を持ち上げたら、空閑との距離は一気に近くなった。「…びしょ濡れだね」視線は折れた傘に、意識は彼に、私はドキドキしながら言った。ようやく使い物にならない傘を畳んだ空閑は私の方に向き直り、濡れた頬を手の甲でさっぱり拭って笑った。ザアザア、ザアザア、雨も風も止むことがなくて、私達はほぼ嵐みたいな天気の中を、一つの傘に入って歩き続けた。学校生活のラストに、まさかの相合傘。こんなシチュエーションで歩く日が来るなんて、と私は緊張して喋れずにいた。空閑もこういう時に限って無言で、なんとなく傘の中に不思議な空気が漂っていた。


「お、凄いぞあれ」


視線をどこにやったらいいかわからなくなって、傘を持つ手元ばかり眺めていたら制服の袖を引っ張られた。空閑が指差す方向を見れば、今渡っている橋から見られる大きな川沿いの桜。数日前まで満開の丸い花をつけていたのに、吹き付ける雨風のせいで殆どの花が散り、川は一面薄いピンク色の膜が張っていた。


「凄い、ほとんど散ったかな」
「川に落ちるとこうなるんだな。雨なのが本当に惜しい」


二人して立ち止まり、殆ど枝が露出した大木を見た時、何かが終わった様な感情になった。この桜にもし、ヤドリギのような言い伝えがあったとしたら、私は彼と結ばれる既成事実を作れていたかもしれない。だけどそれは、花が散って全て終わってしまった。私と空閑は、来年の春、一緒に満開の桜を観ることはないだろう。自分の中で創り出していたジンクスが融け、川に浮かぶ花びらの幻想的な光景がより一層切なさを感じさせた。「…綺麗だね」私は泣きそうになったけど、なんとかこらえたつもりだった。言ってから、声が震えてしまって、空閑に気付かれてないかなと不安になった。揺れる声で発した言葉は、多分、本心だ。だけどそれより強い、『切ない』という感情を口にしなかったこと、空閑にはわかってしまうのかな。私は、どうやって彼が嘘を見抜いているのかわからないから、その精度の高さに不安があった。でも、空閑は私の声を聞いてもなんにも言わなかったから、私はそっと真横にいる空閑の方に顔を向けた。そうしたら空閑は私を見ていて、何にも言わずに傘を持つ私の手を上からそっと包む様に握った。


「く、」


が、って呼ぼうとしたのに、それは出来なかった。私を見上げていた赤い目がグッと近づいてきて、私は反射的に目を瞑った。濡れた頬がぴとりと私の頬とくっついて、それと同時に私の唇は空閑によって塞がれた。あまりにも突然だったから拒むことも避けることも喜ぶことも出来ず、固まるしかなかった。少しして、ゆっくり空閑が離れていくと、いつもの目線の高さに戻った。「なに、してんの…」微妙な第一声に対して空閑は、変わらぬ表情で「なんとなく、今かなって思った」と言い放った。相変わらず、傘の外は大雨が降っていて、ムードもクソもない酷い天気だったけど、そんなのどうだって良くなるくらい、一瞬で私の意識は全て空閑に向けさせられてしまった。


「違ったか?」


そんな聞き方をされたら、私の気持ちがバレてしまいそうだけど、最初にしてきたのは空閑だ。だからもう、いいかな。これから気まずくなるんじゃないかとか、これまで全く特別な好意を匂わせてこなかった空閑が、どういうつもりでキスしてきたかとか、ごちゃごちゃ考えなくても。だって待ち望んでいたものが目の前にあるんだから。「…ううん」私の返事を聞いた空閑はもう一度背伸びして、近づいてきた。同じ傘の下、私達は二回目のキスをした。



散ったら果実になればいい





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -