wt小説 | ナノ





無機質で殺風景な基地の空気がどうにも苦手で、少し季節感があれば変わるのではと考えた私は、
ある時から花を持って出勤するようになった。廊下の片隅に置いた花は思いの外好評で、『明るくなっていいね』『癒されるね』と色々な人に声をかけて貰った。だから、ああ良かったって思って今日も、梅の花咲く枝を数本持ち、水の入った花瓶を片手に基地の廊下を歩いていた。と、そこへやや急いだ様子のB級、A級部隊の人達が通りかかった。すぐさま道を譲り、彼等が通り過ぎたのを確認してから角を曲がろうとしたところで、また一人こちらへ向かって駆けてきていて、気づかなかった私はその人とばったり、ぶつかってしまった。その衝撃で手を離れた花瓶はストンと足元へ落下、音を立てて割れた。「あ」思わず声を出した私と、罰が悪そうにそれを見ていた目の前の男の子。彼は何やら急いでいるようで、けれど水浸しになった私と床、そして仲間達の走って行った方の廊下を交互に見ては眉間に皺を寄せた。急いでいるのなら、大丈夫ですから、行ってくださいと、そう言おうと口を開いたその時、


「園芸委員なら学校でやれ」


彼は苛立ちを孕んだ低い声でそう言った。「ご、ごめんなさい…?」思わず謝罪の言葉が口から出たけど、そこまで言われるほどこちらにだけ非があるとは思えず、言葉尻は疑問系になった。そして、大丈夫ですかの一言もなく、舌打ちして走り去ってしまった彼の背中を見送り、私は一人静けさの広がる廊下で音を立ててガラスの破片を集めるのだった。



「それ、三輪くんじゃない?」



次の日、学校が同じボーダーの子にその話をしたら、すぐに知らない名前があがった。「隣のクラスにいるよ」と言われ、言われた通りに見に行くと、入り口の目の前の席に彼はいた。「わ、三輪くんだ」昨日の隊服ではなくて、私の学校の黒い学ランを着ている彼に驚き、思わずこぼれた大きな独り言は直ぐに拾われ、彼は目線を向けてきた。「誰だお前」冷たい眼差しをした彼にそう言われて、私は慌てて自己紹介する。「隣のクラスの…私もボーダーなの、よろしくね」三輪くん、は顔色ひとつ変えずに「そうか」とだけ言った。その時の、彼の周りの空気感はなんだか昨日のピリついたものとは違うようで、あれ?と思った。思ったよりも、こわくない。表情は変わらないし、素っ気ない感じもあるけれど、基地での印象と随分違う印象を受けた。


「…三輪くんはなんのトリガーを使っているの?私はね…」


急に現れて挨拶だけというのもなんだし、と思ったから、とりあえず適当な世間話を始めた。その途端三輪くんは昨日みたいに恐い顔をして、「……お前、C級か?」と聞いてきた。頷くと三輪くんは席から立ち上がり、「どうりで見た事ない奴だと思った」と冷たく言った。


「俺はA級だ。お喋りに付き合う程暇じゃねえ」


三輪くんは教室の入り口に立つ私の横を、顔も見ずに通り抜けて出て行った。


* * *



「あ、三輪くん」


基地にまた新しい花を持って来て、丁度飾ろうとしている時だった。隊服姿の三輪くんが近くを通りかかったので声をかけた。三輪くんは私の声に気付いてこちらを見て、それから私の手元の花を見た。「ああお前…なるほど、だからか」何か納得したようにそう呟き、「相変わらず園芸委員ごっこか」と言った。その発言から、ようやく彼が学校で話をした私と、基地で出会った私を同一人物だと認識してくれたことがわかった。この前みたく急ぎの用ではなさそうな彼は、立ち止まって私の出方を待っているようだった。


「お花、結構好評なんだけど。嫌い?」
「別に…そうは言ってない。ただ、基地でのうのうと花を飾ってる奴に馴れ馴れしくされるのはごめんだ」


真面目に仕事をしろと、そう言われたような気がして私は何も言えなくなった。お遊びじゃないぞと威圧をかけるような物言いに、三輪くんの活動に対する本気度というか、姿勢というか、そういうものをひしひしと感じる。「……わかってるよ。でも、じゃあ仲良くしちゃいけない?」切り終えた葉を並べた新聞紙を丸めて、花瓶を持ちあげた。「いざって時も、仲間と絆が出来た方がいいじゃん」三輪くんは私から目を逸らして黙っていた。どうして、この人はいつも、チクチクしているのだろう。


* * *


学校で選択授業があった日、私が教室を移動したのは割とあとのことで、既に席は結構埋まってしまっていた。唯一空いていた端の席の椅子を引き、隣の男の子に声をかけたら驚いた顔でその人はこちらをみた。なんと偶然、三輪くんだ。

「何でここに来るんだ、別の席に行けよ」
「だって、ここしか本当に空いてないんだもん」


私に言われて三輪くんは教室中を見渡し、諦めたように机にあったノートに視線を落とした。私は仕方なく、三輪くんから少し隙間を開けて椅子を出して座った。「あ、」チャイムが鳴ったその途端、教科書を忘れた事に気付いた。小さな私の独り言に三輪くんは視線を向けて反応してくれた。教科書、忘れちゃって、と申し訳なさそうに言ったら溜息をつきながら三輪くんは二つの机の中央に教科書を開いて置いてくれた。肘をつきながら教科書を見る彼にお礼を言っても、無反応。けど、ちゃんと見せてくれたことを意外に思って、ちょっと三輪くんへの好感度が上がった。少し緩んだ頬を隠しながら、授業を受けた。

教科書のページを捲るのは私だった。「めくって平気?」一回一回確認を取り、無言の頷きを見てから手をかける。会話の数はそれほどない、というか、私しか喋っていない状態だというのに、これまでで一番、三輪くんと時間を共有してる感があった。同じものを見ているこの時間が、隣にいる三輪くんを意識せざるを得ない状況をつくり出して、時折視界の端で揺れる黒い髪が三輪くんの存在をチラつかせる。私は急に緊張してきた。先生の話はまるでエコーのかかった遠い場所の音みたいに聴こえてきて、ひたすらに三輪くんのことが気になるのだ。視線をぐるぐる、落ち着きたくて教科書を舐めるように眺めていたら、ふと視線が止まった。ページ右端、小さな落書きが施してある。「これ、なに?」誰かの顔のようなそれをみて、私が聞くと、三輪くんは慌てたように教科書を手で覆い隠した。

「……クラスの奴らに書かれただけだ」

そう言って、ゆっくりと再び手を離して行く。指と指の隙間から再び現れた歪な落書きの男の子は、三輪くんみたいな髪型をしていた。「三輪くんにそっくり」言ってから、怒るかなと思った。そしたら本当にその通りになって、「うるさい」と三輪くんはそっぽを向いた。わかりやすい三輪くんが可笑しくて私は笑ったのに、三輪くんは落書きが可笑しくて笑っていると思ったのか、教科書を閉じてしまった。初めから学校生活で知り合っていたら、彼の事は普通の男の子だと私は思ったかもしれない。それとも、基地での彼とのギャップがあるから、学校にいる時は普通らしさが滲み出るのだろうか。それに、顔もちょっとカッコいいし、なんて思ってしまったが最後。もう一度教科書を見せてもらうようお願いした時の、渋々こちらに向き直るときに見えた、僅かにやわらかくなった表情に、私は目を奪われてしまった。


「教科書、ありがとう」


あっという間に授業は終わり、ぽかぽかした気持ちで私は席を立った。三輪くんはまた何も言わなかったけれど、教室をでて少し歩いた所で「おい」声をかけられた。


「…これ、」


三輪くんが差し出したのは、私が先程まで使っていたお気に入りのシャーペン。「…ありがとう」これは意外。気が付いても知らん顔すると思った。思ったとおりの反応と、予測もしない行動をしてくる三輪くんは、確実に私の心臓をくすぐってくる。
さすがA級、なんて、全然関係ないけど。


* * *


週に一度のお花交換日。私はあれから三輪くんがどんな仕事をしているのか、とても気になってしまって出勤すると必ず彼の部隊の動向を調べてしまうようになっていた。今日の三輪隊は、割と近場で活動している筈だから、きっと数時間後のそう、今なら基地に戻ってくる可能性がある。たった5分で終わるような水換えを、そのドンピシャのタイミングに合わせようと目論むなんてバカみたいだと思うけど、そのくらい、彼の目をひく瞬間が私は欲しかった。期待しながら待っていたら、本当にそれはやってきた。


「またやってるのか」


部隊での活動だった筈だけど、三輪くんは一人で現れた。「うん」赤いチューリップの一輪挿しを、私は台の上に飾って言った。「今日ね、B級に上がったよ」ドキドキしながら報告したら、三輪くんは少し驚いたように目を開いて、「そうか」って言って私の横に並んだ。それは多分、どうでもいいのかもしれないし、やるじゃんって意味かもしれないし、或いはその全部かもしれない。私は予想通りの返事が嬉しくて笑った。手から離れて置かれたチューリップを、私と三輪くん、二人並んで見つめた。


「…三輪くんって、花粉症?」
「いや」
「よかった」


初めて会った時、びしょびしょに濡れた私を放っぽって行ってしまった彼とは思えないぐらい、穏やかな時間が過ぎた。「…用事があったんじゃないの?」「…別に」三輪くんは何処に向かうでもなく、ただ私の横にいる。それがとても不思議だった。これって、もしかして、いい感じってやつなのかな、なんて思った私は彼の知る由もないロマンチックな話題を一つ落とす。


「ねえ、花言葉って知ってる?」


三輪くんは少し黙って、「知らない」と言った。だから教えてくれとも、何とも言ってこないのは想定の範囲内だった。ただ、ちょっと勘のいい人なら私のこの発言だけできっと全てを察するだろうし、そうでなくても興味を持ってくれるはずだ。「…そっか」それ以降お互いに何も喋らなかったのは、余計なことをしてこの空気を壊したくないなあという私の臆病な気持ちと、それ以上干渉して来ようとしない三輪くんの人との距離のとりかたから出た結果。今は、これでいいか、なんて。まるでこの人とどうにかなる事を予知してるかのような自分が、幸せ者すぎると思った。


* * *


久しぶりの移動教室では、早めに移動したからあちこちに空きがあって、天気がいいから私は窓際の席をとった。昼休みに教室を通る度、気にしてみている三輪くんのクラスは最近席替えをしたらしく、以前彼がいた席には知らない女の子が座っていた。だからって、気軽に呼び出せる間柄ではないし、遠くからちらっと見える程度。だからもし、この授業で三輪くんに会えたら、隣に来てくらたら嬉しい。そんな夢でもない限り起こり得ないことを考えながら待っていたら、チャイムが鳴った。ギリギリでガタリと椅子を引く音がして、隣を見たら、サラサラの黒髪。三輪くんがいた。

「…三輪くん」
「俺は窓に近い席が好きなんだ」

教室内は欠席がいるためか、所々空いている座席があるのに、三輪くんはわざわざここへ来た。仮に、彼が本当に窓に近い席が好きだったとして、馴れ馴れしくされるのを嫌っていた彼が、その相手の隣と、別の席、天秤にかけてもこちらを選ぶことなどあるだろうか?私は、瞬時に彼の言葉は嘘だとわかって、胸がじんわり温かくなった。

「…いいよ、嬉しい」

素直に出た言葉に三輪くんは目を丸くしてフリーズし、「なんだよ、それ」と言ってノートを開いた。黒髪から覗く耳はほんのりと赤い。ドキドキ、ドキドキ。私と彼の心臓は、隣の席を通しておんなじ物になった。またちんぷんかんぷんな先生の呪文が流れてくるふわふわの空気の中で、私はひしひしと三輪くんの温度を感じていた。


「……花言葉、って」


三輪くんがボソッと言った一言。「…お前、誰に向かっていつも花を飾ってるんだ?」初めは、殺風景だったから。誰に向かってとか、花言葉とか、そんなもの気にせず彩りの良い花を適当に庭から取ってきただけだった。三輪くんがそう聞くのは、彼が花の特別な意味を知ったからだと、私にはわかった。


「………三輪くん」


名前を告げたその瞬間、彼は私の顔を見た。少し空いた口はぱくぱくと動き、白い頬はわかりやすく桃色になった彼を見て、私は、三輪くんがとても愛しいと思った。私の頬もきっと同じだ。「…好きです」小さな声でそういうと、「こんな所で言う奴があるかよ」と三輪くんは肘をついた。そんなこと言ったって、こんな所で答え合わせをしてきたのは三輪くんなのに。でも理不尽な言葉は、余裕のない彼の現れだって思うので、私は授業が終わるまで返事を待ってあげることにする。



花言葉は、





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -