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「免許取れたら、先輩を一番に乗せてあげる」


学食の丸いテーブルにパンフレットを置いて、教習所に通い出すことをうきうきで報告してきた年下の彼氏は、目を輝かせながらそう話していた。「駿、教習所なんて通えるの?忙しそうなのに」「だって流石に合宿行くほどは予定開けらんなくて…」そう言って駿は貰ってきた教習所のパンフレットをパラパラと捲る。その横顔は期待に満ちていて嬉しそうだ。男の子っていうのはいくつになっても車とかバイクとか、大型マシンを操縦する事に憧れを持っているのだと感じた私は、そんな彼氏を微笑ましく思った。そして嬉しかった。女の子っていうのもまた、いくつになっても誰かのヒロインでいたい気持ちがあるものだから。助手席からカッコいい彼氏を眺めるシーンに憧れていたのだ。


「…駿」
「え?なに?」
「教習所って学校みたいに授業を受ける時間もあんの、知ってる?何回も意地悪なひっかけ問題解かされて、一点でも足りないとまた明日受け直しとか」
「えーっ、そうなの?そこまで言ってなかったけど」


数年前に同じ教習所の講習を終え、形だけの免許を保持している私は過去の苦い記憶を語った。駿は目をぱちぱちさせて驚きの表情を見せたけど、そんなのは一瞬の事で、またパンフレットを捲り出した。「まあ世の中の大半の人が教習所を通ってるワケだし。なんとかなるっしょ」あまりくよくよ悩まない駿を、私は羨ましいなと思った。


「先輩は、オレが運転出来たらどこ連れてって欲しい?」


丸いクリクリの瞳を私に向けて、駿はそう聞いてきた。「海?山?キャンプとか旅行も連れて行けるよ。オレ体力ある方だし、二日三日運転し続けるのだって多分大丈夫だし」駿の頭の中では既に未来の話が繰り広げられているようだ。将来の夢を語る子どもみたいにきらきらした目をしてる彼に向かって、心配症な私はふんわりとブレーキをかけるための質問をする。「駿が初めて自転車に乗った時は、どこに行ったの?」駿はキョトンとした顔を見せた後、考えるように首を傾げ、「……近所の神社?とか?」薄っすらとした記憶を教えてくれた。


「近場から練習して、いつか色んなところに行けたらいいね」


駿は私の言葉に含ませた、宥める様なニュアンスを的確に感じ取って、頬を膨らませた。「見ててよ、初っ端から遠出出来るぐらい完璧になって卒業してみせるから」しかし逆に火をつけてしまったみたいだ。運転って、教習所を卒業したからってそんなひょいひょい出来る様になるものじゃないのだ。私にはセンスも度胸も無かったので、もたもたするうちペーパードライバーになってしまった。駿なら大丈夫な気もするけど、なんというか、自分に出来なかった事だから。歳下の駿の事も同じように心配になってしまった。


* * *


『先輩 今、家にいる?』


もうお風呂もご飯も終わって寝ようかな、と思いベッドに移動してスマホをいじっていた時だった。20分前に既読をつけたきり返事を寄越してこなかった彼氏から突然の着信。「…いるけど」まさかこんな夜に逢いに来る気?けど彼の住む家と私の家は電車を使わないとならない程離れているし、彼が大学に行く時愛用しているカッコいい自転車でも、まあまあ時間はかかるだろう。そんな物理的距離をゼロにしてまで、逢いに来ようとするなんて。あれ、誕生日?いやちがう。記念日…でもない。じゃあ何?ドキドキしながら返事を待つと、電話口の向こうから彼は興奮気味に私を誘った。


『今先輩の家の前!ドライブ行こ!』


驚いてカーテンを開けて窓から下を見れば、こちらを見ながら運転席で手を振る彼の姿があって。私は半年前に大学の食堂で彼と話したことを、思い出していた。


* * *


「起きてて良かった!じゃーん、どう?」


白のピカピカの車体をお披露目するように、駿は車の横に立った。私はどすっぴんだし、だるだるのパジャマだったけど、もう来てしまったものだから待たせようがなくて、慌ててマシな格好に着替えて、素肌には軽くパウダーをはたいた。駿もお風呂上がりなのか髪はいつもよりボリュームダウンしていて可愛らしい顔が引き立つけれど、格好はスウェットにTシャツというなんともラフなもの。「凄いけど、来るなら言って」ちょっと怒った顔をつくって頬を膨らませると、駿はちっとも響いてないみたいに「だって驚かしたくて」と言った。彼の横に停まっている車は二人でドライブするには大分大きい。多分彼の実家の車だ。


「…てか、この車、駿が運転してきたの?」
「うん、そう」
「一人で?」
「そう。ほら!」


ポケットをゴソゴソして出した財布から、駿は真新しい免許証を取り出した。やけに真面目そうな口元をして写っている証明写真が面白くて、私は笑った。発行された日付は本当に今日。「一番に乗せてあげるって言ったでしょ?」駿はそう言って笑った。わかりやすく心臓は音を立てて跳ねて、私は両手を少し背の高い彼の頭にやる。「…おめでとう」わしわしと、犬を褒めるみたいに両手で彼のぺたんこの頭を大きく撫でた。駿は嬉しそうに笑った。まるで尻尾を振っているように見えるほどご機嫌な駿は、私の手を取り早速助手席へと導く。「乗って」ドアを開けて紳士的にエスコートしてくれたから、私は完全にお姫様みたいな気分になった。


「よーしそれじゃ、出発!」


車内に乗り込み、エンジンをかけると鳴り出す音楽は私の好きなアーティストの新曲。やたらと強風なエアコンと、車内オーディオとリンクされたスマホを操作した後、駿はドア横のポケットにスマホを置いて車を動かし始めた。窓の外を見ながら路肩に止めていた車を出す仕草がかっこよくって、ドキドキしながら横顔を眺めた。車が進んでいくと、シートベルトを無意識にぎゅっと握りしめていた手はたちまち緩んでいく。


「…駿 意外と運転上手いね」
「そりゃそーだよ。何故か毎回担当になる教官が鬼みたいに恐くって…何回怒られたことか」


街灯の灯りは、等間隔に流れていった。夜の道路は空いていて、駿の運転する車は止まる事なく走り続けた。「どこか向かってるの?」最初に流れていた曲が終わって、二曲目に駿の好きなアーティストの曲が流れ始めた時、私は聞いた。駿は相変わらず両手でハンドルを掴みながらしっかりと前を見ていて、「んー」と考えるように口を尖らせた。「考えてなかったけど、んー」運転に集中しているのか、それ以上の言葉を発しようとしないから、私はそれ以上突っ込むことをやめて大人しくしていた。夜の直線道路は、まるで滑走路のように長くて広い。これから遠いところに飛んでいってしまいそうな高揚感が、私を静かに包んだ。車内BGMがもう何曲目になったか数え忘れた頃、駿は一瞬こちらを見た。それと同時に、車も止まる。視線を上げてみれば、赤信号だった。真っ直ぐ前を向いていた私は話しかけようと思って、駿の方に顔を向けようとした。丁度そのタイミングで、サイドブレーキをかけた駿は手をハンドルに置いたまま、私の方に体を大きく寄せてきた。


「…やっと赤になった」


真横から照らすオレンジの街頭の光で、近づいてくる駿の前髪は、透ける様な暖色に変化した。と、思ったら一瞬。運転席から乗り出してキスしてきた駿は、それだけですぐ元の姿勢に戻っていった。私は不意打ちでされたキスにしっかり心拍数を上げ、ごくりと喉を鳴らす。駿はしたり顔でこちらを見てから、パキッと音を立てて指を鳴らして、左手でカーナビに触れ出した。


「それじゃ、夜景でも観に行く?先輩の好きそうな、ロマンチックなやつ」


と、う、き、ょ、う、た、わ、ー。
一文字ずつ画面に打たれていく文字の羅列は、きらきらと光って見えた。「それじゃあ、出発しまーす。あ、」信号が青に変わって、駿はまた運転を始めた。彼の言いかけた言葉が気になって、私は「何?」と聞いてみた。「そういえば、明日ってお休みだよね?」忘れてたけど、なんていいながら、駿はそう聞いてきた。私はすぐ頷いたけど、前を見ている駿に伝わらないかと思って、「うん」声にも出して答えた。


「りょーかい、じゃあ少し遅くなってもいいよね?」



私はまた、同じように返事をした。私と駿を乗せた、白いマシンの夜行フライト、初便。きらめく甘い空気は、まだ始まったばかりだ。



夜行フライト





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