wt小説 | ナノ





「はいこれ、ヒュースくんにプレゼント」


今日も現れたか。こいつは基地に来る度いつからか俺に声をかけてくるようになった別のB級部隊のオペレーター。いつも突然やってきて、くだらない事を二、三個ほど言ってフラリと何処かへ戻っていく変わり者だ。初めのうちは無視していたが、日々しつこさが増していくので以来、適当にあしらう形を取ることにしている。今日は手元にカラフルなイラストの書かれた書物を持って、へらへら笑いながら俺にそれを渡してきた。「…何だ」子ども向けのイラストの書かれた表紙を見ても、俺には何と描いてあるのかさっぱりわからない。視線を本から奴の顔に移動させて聞くと、やはり奴はへらへらしながら「絵本」とだけ答えた。絵本?


「日本語の勉強になるんじゃないかなぁって。あいうえお、わかりやすく描いてあるの」


コイツは俺がこの星の、カナダとかいうどこか違う地域出身だという設定をすっかり信じていて、事ある事にこちらの地域での言語を俺に教えようとコンタクトを取ろうとしてくる。愚かな女だ。「私これ小さい頃大好きだったの。日本語勉強してる人にウケるみたいだよ、留学生とか」パラパラとページを繰ると見覚えのある玄界の食べ物の絵が所狭しと描かれていて、それと共に文字が並んでいる。


「あ、い、う、え、お が日本語の基本だから。リズムよく覚えたら良いんじゃないかなって」
「…別に必要ない。必要なやりとりは全て会話で成り立っている」


そう言ってもこの女は、しつこくその絵本を俺に押し付けてこようとする。しばらくの押し問答の末奴が言い出したのは、「睡眠学習って知ってる?」という言葉だった。睡眠学習。似たような言葉を確か鈴鳴支部の隊員の話の中で聞いた事がある。それを察したかのように女は「あ、村上くんのじゃなくって」とへらへら笑った。


「夜寝る時にね、参考書を枕の下に入れるとあら不思議。寝ている間に覚えられちゃうんだって」


「呪いか何かか?」馬鹿げている、そう思ったがやたらと真剣に話してくる上、その効果を試験的に試して欲しいのだとかなんとか言って、最後まで道を開けようとはしなかった。結局俺は、要らないゴミを片手に玉狛支部へ戻る事になってしまったのだった。


* * *


「返す」


翌日、あの女の言っていた『睡眠学習』とやらがやはりデタラメである事が証明された。夢に出てきたのは事もあろうに本を渡してきたあいつの顔で、俺は寝起きの体で枕の下から本を引き抜いた。広げて見ても、愉快な挿絵の横に並んだ文字は何一つとして読むことが出来なかった。基地の食堂で呑気に朝食を取っていた女に向かって本を突きつけると、飲んでいた味噌汁茶碗をゆっくりと置いて、奴は瞬きをした。「凄い、もう読んだの?」ぱちぱちと目を開いて嬉しそうな顔を向けてきた女に俺は「違う」とはっきりと言った。「お前、これは本当にただの本なんだろうな。睡眠学習というのもデタラメだろう」よく考えなくてもわかる当たり前の話をするが、女は引く様子がなく、パラパラと本の表紙をめくってから俺を見た。


「……てか、ヒュースくん。これ、音聞いて読んでないでしょ」
「音だと?」
「うん」


奴は俺の手から本を受け取り、最初のページを開く。どこから見ても幼児向けの挿絵を指差し、奴は明るく声を出した。


「あっちゃん あがつく アイスクリーム」


一文読んで、次のページへ。「いっちゃん いがつく いちごジャム」奴の口から放たれる不思議な韻を踏んだ言葉は、確かに挿絵の通りで、アイスクリームやら苺やら、俺でもわかる玄界の食べ物の名前ばかりだった。慣れたように調子良く、歌うように本を音読する女。奴の年齢と、この基地の空間と、それを真横で見つめる俺はどう見てもこの絵本には不釣り合いで、俺は真横から奴の持っていた絵本を片手で引ったくった。「もういい」キョトンとした顔で俺を見上げた奴は、「ね、読んでから枕の下に入れるのよ」と言って笑った。俺はその言葉には返事せず、その場を離れようとした。


「ヒュースくん!睡眠学習だよ!」


煩い女だ。俺は無視した。けれど、カラン、コロンと転がるようなリズムで読まれた、不思議な言葉と奴の声が耳について、その日の夜までずっと消える事はなかった。騙されているとわかっているのに、妙な中毒性があって、とうとう俺はその夜も持って帰ってきてしまった本を枕の下に入れる事にした。我ながら、どうかしている。


* * *


基地の廊下を歩いていると、「はいはい、りょーかい」曲がり角から最近よく聞く声が聞こえてきた。あの女、誰かと話しているらしい。明るくあっけらかんとした、何も考えていなさそうな声を聞くと、あの幼稚な歌が頭の中で蘇るから不思議だ。足を出す速度を速めて、曲がり角へ差し掛かると、やはりいた。奴と、 見ず知らずの隊員。誰だ?オペレータースーツを着た馬鹿女は俺に背を向けていて、こちらに気付く事もなくその隊員と話を続ける。俺と目があったのは相手の隊員の方だった。挨拶を交わす程の間柄でもない隊員からすぐに視線を背け、そのまま真っ直ぐ廊下を直進していく。なんだ?この妙な気持ちは。苛立つような、沸き上がる胸のモヤをそのままにとおりすぎれば「ヒュースくん」そのすぐ後に肩を叩かれた。


「…話していたのはいいのか」
「うん、終わったから」


そう言った女の後方の道には先程話していた男がいた。目が合うと会釈をしてくるそいつに向かって、目の前の女はひらひらと手を振る。俺はその様子をただ黙って見つめていたが、向き直った女は「あれ、うちの隊長なの」と言って笑った。「そうか」ならば仕方がない、そう思ってから、ふと我に帰る。仕方がない?まるでそうでなければ自分が納得出来ないかのような言葉だ。自分の脳内で発生したその言葉に俺が驚いている間に、奴は思い出したかのように自分のペースで話しかけてくる。


「あ、絵本の続き。読んであげる。勉強だもんね」


気が付けば俺は奴の隊室にいて、硬めのソファに二人並んで座っていた。短い爪の小さな指先が本をめくる。柔らかそうな毛質の髪が、頬にかかっている。奴の息する一挙一動、目が離せなくなった。これは一体、どういう事か。音読しながら動く唇を眺めながら、俺は奴の髪に触れようとした。「えっ、どうしたの…?」頬にかかっていたカーテンのような髪を耳にかけてやれば、まるでガラス玉のような丸い瞳が覗いた。うっすらと朱の差した頬を見て、何故俺は今、こんなことをしたのだろうと思った。


「…よく 見えなかった」
「あ、ああ…そうなの、ごめん」
「ああ」


それからまた奴は絵本に視線を戻して、歌うように読み続けた。調子の良いリズムが夜になっても続いていて、とうとう俺はそれを夢で見てみたくなって、この日自主的に枕の下に本をしまった。


* * *


「ヒュースくん、絵本読んでるの?」


ある日、本部から帰った時に、宇佐美に言われた言葉。「ごめんね、シーツ洗濯しようと思って入ったら見えたから」「ああ」「可愛い本だね。懐かしくなっちゃった」夕食の用意をしているようで、リビングには独特のカレーの匂いが漂っていた。


「好きで読んでいる訳ではないが、睡眠学習とやらを試している」
「え?睡眠学習?」
「枕の下に読んだ書物を入れる事で、睡眠時にその内容を定着させる事が出来るらしい」
「へぇー何だそうなんだ、私はてっきり」


恋のおまじないかと思った、そう言って宇佐美はテーブルの上にカレー皿を置いた。「…恋?」予想もしなかった言葉に驚き聞き返すと、向かいのテーブルに席に着いた彼女は手を合わせながら言った。「そうだよ。枕の下に、人から借りた本とか写真を入れると、夢にその人が出てくるの。信憑性とか全然ないおまじないなんだけどね」夢に、出てきた。騙されていたのだと知りながらも、そのまじない通りの結果になっている事に驚いた。更には、それが恋のまじないだというから、頭の中は疑問と困惑で満たされた。瞬間的に思い浮かんだのは、奴の間抜けな笑い顔と声。騙された、あんな女に。スプーンを持つ事も忘れ、呆然としていた。


* * *


「おい」


翌朝早くから基地にて奴を探し歩くと、自隊の作戦室へ向かおうとしているオペレータースーツの後ろ姿を見つけた。瞬間的に近寄り、後ろから肩を掴んで振り向かせれば、女は目を丸くして俺を見上げた。「睡眠学習なんてデタラメだな」しっかり目を合わせて詰め寄れば、女は距離を取ろうと一歩引いた。それをさせまいと腕を掴み「毎日夢にお前が出てくる。何故こんな事をした」そう問えば、女は視線を泳がせた。「……枕から外せば、良かったんじゃない…?」額に汗をかいて、頬を紅潮させながらボソボソと喋る様子はいつもと違って、明らかに焦っている様子が見てとれた。しかし、女の言った言葉は正しい。何故そうしなかったのだろう。腕を掴む手の力を少し緩めると、目の前の女は俯き、伏し目がちになって口を開いた。


「…嘘ついて、ごめんなさい。夢のことは、そうなったらいいなって…思って」
「何故だ?」


持っていた書類のファイルで、目から下全ての顔を隠しながら、奴は言った。「……ヒュースくんが、好きだから」凄く小さな声だった。何故いつも俺に構うのだろうと思っていたし、性格的に新しいものが好きなのだろうとか、相手にしない俺を面白がっているのだろうと思っていた。「好きだから、せめて、夢の中で会えたら…意識してくれるんじゃないかなって、思って…」しかし、こうして、誰が見ても『恋をしている』顔をしている女を見ると、俺がこれまで立てていた仮説は全て違ったという他ないと思い知らされるようだ。俺は女が持っていたファイルを掴んだ。


「…退けろ」
「え?」
「これを退けて、顔をよく見せろ」


女はゆっくりとファイルを下ろし、真っ赤になった顔を晒した。コイツのことは、しつこくて、煩くて、面倒な奴だとしか思っていなかった。けれど今、夢ではない本物を見ると、あの変なリズムの歌が、何だか心地よいものに思えてくるから不思議だ。潤む瞳を向けてくる女の瞼にはチカチカと星が光っていて、柄にもなく綺麗だと思った。


「もっとよく、見せろ」


可笑しな話だ。俺はこんな女に騙されていたというのに、また騙されてしまってもいいとすら思ってしまっている。少し顔を近づければ、奴が肩を震わせながら固く目を瞑ったのを見て、俺は不思議と暖かくなった胸と、少し緩んだ頬に気付かれないよう、更に距離を詰めた。





あいのあれこれ





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -