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「先輩を負かしたら私、言いたい事があるんです」


ランク戦前日、基地の廊下で会った犬飼先輩は、ひらりと私に手を振ってきた。「久しぶりじゃん、ランク戦で当たるのなんて。最近調子いいみたいだね」二人の距離が縮まって、爪先同士がぶつかるほどの距離感になった時。頭ひとつ分の身長差がある私の顔を覗き込んで来ようと先輩は背中を曲げた。新しいおもちゃを見つけたみたいに、半月型の瞳を向けてくる先輩。私は大きく息を吸うと「犬飼先輩」彼の名前を呼んで、先の言葉を正面からぶつけたのだった。


「あはは!何だろ、まさか告白でもする気?」


ぽん、ぽん、と、先輩の少し骨張った手が頭を撫でる。「…まだ言えません」調子を狂わそうとジャブを入れてくる先輩の発言に何とか耐えると、掌には自然と力が入った。


「お?本気で言わないつもりだ」
「そのつもりです」
「おかしいなぁ、犬飼塾の門下生だろ?先生に楯突くなんて、随分と素行の悪い生徒だ。そんなんで俺に勝とうなんて、気が早いんじゃない?」
「何ですかそれ、犬飼塾って」


私がまだB級に上がりたての当時、犬飼先輩に銃手としてのテクニックを教わったことは、事実ではある。私がボーダーに入った理由も、犬飼先輩の戦闘を生で見て、その卒なくこなすスマートな佇まいやセンスに憧れたからだ。入隊後は彼を見つけて声をかけ、二宮隊の隊室に何度も足を運んだし、学校も同じだから教室を訪ねて行った事もある。犬飼先輩は戦闘時こそ隊服のビジュアルもあってかシュッとした印象を受けるけれど、そうでない時はなんというか、そう、華がある。何を着ても様になるような、誰が見てもときめいてしまうような、そんな独特の雰囲気がある。そんな彼に堂々と弟子入りしようとした当時の私は、我ながら度胸があったと思う。度胸というか、身の程知らずというか。けれどその時はとにかく彼のような一流の戦闘員になりたくてなりたくて、私は必死だった。
だけど、いつどこで会いに行っても、周りからの視線を感じた。好意、羨望、あらゆる感情を向けられ慣れている先輩。対する、彼と話しているときの私へ向けられる感情はそれはもう、酷いもので。あー教わる人失敗したなぁ、としばらくして後悔し出した私が考えに考えて編み出した手段。それは、彼に対して常に『無』でいることだった。先輩は最初から好奇心と憧れで近づいてきた私を面白がっていて、その容姿を存分に活かし、わざと物理的に距離を詰めたり、揶揄ったりして楽しんでいるようだった。上手い具合に転がされて遊ばれていた私は、ついに全てに対して『無関心』の態度を貫き続けることで、自分はこの人に対して何とも思ってませんよ、というアピールを周囲に対してするようになった。そうしたら、それが功を制して、チクチク刺さるように向けられていた視線が、ふんわり柔らかくなった。あの子なら大丈夫そう、狙い通りそういう雰囲気を作り出す事に成功した私は、それから思う存分彼から教えを乞う事が出来る様になった。


でも、犬飼先輩は、さらにその上を行こうとする。周囲に誰もいない二人の空間が出来ると、更に過剰な接触を図って、私を困らせようとしてきたのだ。時には、キスするぐらいの近さに顔を近づけてきたり。作戦室のテーブルの下に置いていた手にさりげなく指を絡ませられたり。元々人との距離感がややバグり気味の人ではあったけど、私へのそれは意図してやっていると断言できる。だってそういう時の先輩って、死ぬほど楽しそうな顔をするのだ。だから私は、うっかりときめいたりしないように必死で平静を装い続けた。意地悪合戦は入隊後から、数年に亘って続いていた。勿論これは、私と犬飼先輩だけの秘密だ。


* * *


翌日の試合中、私と犬飼先輩は住宅地でぶつかる展開になった。時間は夜、月明かりの映える天気。どんよりとした黒い空が剥き出しになった、割れた窓ガラス。既に片腕をやられてトリオン漏れの煙の立つ体になってしまった私は、この家のどこかにまだ潜んでいるであろう犬飼先輩を警戒していた。今では私も立派なボーダー隊員の一人だし、こうやって所属するチームだってある。けれど犬飼先輩には一度も勝てた事がない。リビングにはいないかと立ち上がった私を待ち構えていたかのように、先輩は隣室のベランダから室内に侵入し、一気に私を壁際に追いやった。銃撃戦ではなくて、力の差で私を追い詰めた先輩はニッコリと笑みを浮かべて私を見た。「このまま押せば俺が勝つよ、いいの?言いたかった事は」先輩は右腕で私の体を壁に押し付け、左手の銃で顎下から頬にかけてを弧を描くようになぞった。「早く聴きたいなぁ、ねえ?」カチ、カチとトリガーを空押ししながら、ゆっくりと銃口をこめかみに当てる。


「言っちゃえば?もう死ぬよ」


幾らでもタイミングがあるのにわざと、交渉してこようとする先輩。この人は勝利と、私の話と、両方を手に入れようとしている。けど私は、そのつもりはない。「それは、ないです」ソファ裏に隠していたキューブ弾が、一気に犬飼先輩の体を貫く。これまで見せた事のなかったトリガーに、先輩は不意打ち喰らったような顔をして私の体から離れた。下半身穴だらけの先輩からはトリオン漏れが激しくて、先輩は降参したように笑って、フローリングの床に座った。 


「新技?聞いてないけど」
「言ってないです」


ガチャリ、銃口を下に向けて置いた先輩の前に私は正座して座り込んだ。先輩が離脱するのも時間の問題だろう。「犬飼先輩に、伝えたい事があります」真っ直ぐ見つめた私に先輩は「うん」少し穏やかな表情で返事をした。


「私、ボーダー辞めます」


犬飼先輩は、驚いたような顔をして私を見た。


「マジか。それが言いたい事?」
「そうです。犬飼先輩を目標にして、ボーダーに入りました。だから、最後は先輩を倒して、やめるって決めてました」


親が、ずっと反対していたので。言い切った言葉にちくりちくりと胸は傷んでいく。目標を達成した筈なのに、心配かけていた家族を安心させられるのに。口にするまではちゃんと固めていた覚悟だったのに、言い終わるとこんなにも胸が苦しい。犬飼先輩の意外そうに私を見る顔を見ると、まるで裏切り者になったかのような気持ちになった。「言いたい事はそれで終わり?」先輩は離脱寸前の状態の体で私を見たので、私は頷いた。「そう…じゃあ俺からも一言」先輩はそう言って、座り込んだまま私の目を見た。このグリーンがかった瞳を戦闘中に見るのも最後だと思うと、何だか無性に泣きたくなった。私はそこでようやく、先輩の一挙一動に揺れないよう、固く縛り付けていた心がもう限界なのを感じた。泣いて、笑って、焦って、色んな私を引き出そうとした先輩の前で、私はついに『寂しい』の感情を露わにした。下唇を噛んで、涙を堪えると先輩はそっと指先で私の頬に触れた。


「辞めさせないよ」


別れの空気からの一瞬の出来事。穏やかな表情をした先輩と、ドンと響いた連続音。何が起きたか理解出来ないほどの速さで、私は心臓部を撃ち抜かれ、先輩以上のダメージを負った。先輩は左手で銃を持ったままニヤリと笑い、「最後まで気を抜くなって、犬飼塾では教わらなかった?」と言って、立ち上がった。しまった、やられた。離脱寸前の体で油断させておいて、最後まで勝ち気を捨てなかった先輩は、計画通り『勝利』と『話』を手に入れた。この人は本当、何でも手に入れてしまうから、カッコよくって、凄くズルい。視界に光のモヤがかかる、私の離脱寸前の合図だ。「…てかそんな話じゃなくてさぁ、最後って言ったらもうちょっと言うことあるでしょ」銃口を覗き込みながら喋っていた先輩が顔を上げると、もの言いたげな目で私を見つめた。犬飼先輩にしては実に人間らしい表情で、私は釘付けになって見ていた。先輩は目線を逸らして、咳払いをする。


「…早く言いなよ、俺を好きだって」


仮想空間から弾き戻される光の中で聴こえたのは、私のこれまで貫いてきた『無』の暗示を解くような、そんな魔法の言葉だった。私はついに、先輩に勝つ事は出来なかった。だけど、その無念以上の高揚感が私を包んでいた。私が『憧れ』と決めつけ、押し殺していた感情に、先輩は名前を付けた。起き上がった隊室のモニターでは私と同じように離脱する寸前の犬飼先輩が写っていて、明るい画面越しではその耳が赤くなっているのがハッキリとわかった。


「自分こそ、素直になってくださいよ…」


この試合が終わったら、きっと答え合わせに行こう。自覚した私と、一歩踏み込んだ先輩のこれからについて。





死に際の閃光





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