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夜9時、最寄り駅のバスロータリーで。私は大きな紙袋片手にこちらへやってくるスーツ姿の恋人を見つけた。小走りで近寄れば彼は少し安堵したように表情を柔らかくし、私に「ただいま」と言う。「おかえり」一緒に住んでるわけではないけれど、朝私の家から出て行って、私の家にその夜また戻って来る時は、必ずこの挨拶をするのだ。それがなんだか楽しいから。平日に比べると人通りの少ない駅からの道を、手を繋いで私たちは歩いていく。私の住む二階建ての小さなアパートへ帰るために。


「それ、どうしたの?」


結婚式に行っていた彼の持つ引き出物の入った紙袋からは、白い花束が顔をのぞかせていた。覗き込むように見て訊くと、「あ、そうだった」彼は思い出したようにそれを取り出した。


「今日披露宴で貰ったんだ。なんか男まで参加しろって言われたからやったら当たっちゃって」
「ブーケトス?」
「いや、何て言ったかな…皆でブーケに繋がったリボンを引っ張るんだけど」
「ブーケプルズ?」
「それだ」


紙袋から取り出された花束は、丸くコロンと花びらの重なった白い薔薇と、かすみ草の織り交ぜられた可愛らしいデザインのものだった。うっすらと吹く夜風に花を束ねたサテンの長いリボンが揺れて、辰也のスーツの手首に絡むように靡くから、彼は慌ててもう一方の手で揺れるリボンを掴んだ。いつもより少し念入りに、よそ行きにセットされたヘアと、白く上品に輝くネクタイが白い街頭に照らされている。育ちの良さそうなこのスマートな格好が、やけに似合うなぁ、なんて、思って見ていた。


「良かったら貰ってくれる?ぼくの部屋じゃ、せっかくの花が勿体ないかなって」


眉を下げて笑いながら、辰也は夜風に煽られる花束を私に差し出して来た。持ってみると見た目の可愛らしさから想像したよりずっと重みがある。新鮮な生花の香りが私を包んで、ひとつ胸を鳴らした。「ありがと」少し目線の高い彼を見て小さくお礼を言えば、彼はニコリと笑みを返してきた。重量感のあるしっかりとした花束を片手に、私は手首をくるくると回してそれをうきうきした気持ちで眺めた。眺めながら、何となく隣を歩く彼の腕を組んで甘えるように歩き出すと、「珍しいね、こういう風にするの」「なんとなく。気分なの」すぐに気付いた辰也は私のつむじに向かってそっと声をかけてきた。誰もいない、街灯と私達だけの真っ直ぐな住宅地の道路は、まるでバージンロードみたいだ。辰也の腕をとって、私はぺたんこのパンプスで一歩踏み出す。貰ったばかりの花束は胸の前。私と辰也の結婚式は、きっとこんな感じなのかなって想像した。


「……もしかして、バージンロードを歩く真似?」
「…えっ」
「いや…腕を組むなんて珍しいなぁと思って。歩き方だって、ほら、普通に歩くのとはちょっと違うから」


こっそり始めた一人遊びを言い当てられて恥ずかしくなった私は、組んでいた彼の腕に体重をかけるようにして顔を隠した。がさりと紙袋の動く音がして、辰也は私の頭をそっと撫でた。「ふふ」笑いながら再び歩き出す彼に歩幅を合わせ、私も歩く。「笑ってる」「いや、ごめん。可愛いなぁって思って」そう言ってまた彼は私の頭を撫でる。私はまだ頬の熱がひかなくて、彼を見上げられずにいた。


「ほんと?」
「うん」
「どこが?」
「え?うーん、今の…こっそり真似してるとことか、嬉しそうにしてた顔とか」


まるで小さな子どもに言うみたいに、彼は話した。もう少し歩いてこの道を左に曲がると、アパートに着く。私はぎゅっと抱きついていた腕の力を少し緩めて、「………辰也も私と結婚したい?」と聞いてみた。「うん。いずれはね」当然のように言葉を返してくれた彼は、私の巻きついていた腕からすっと手をとって、いつものように恋人繋ぎに変えてみせた。夜風に晒されたスーツより、あったかい手のひらは安心する。


曲がり角を曲がった時、真っ先に見えたのは夜空に浮かぶ満月だった。真っ白で手の届きそうな大きな円に、私は思わず感嘆の声を挙げる。


「きれい」
「…凄いね」


影の部分が本当に兎の形をしているのか、肉眼で確かめようと目を細めた時、隣の彼は一つ咳払いをした。「寒い?」顔を覗き込んで訊いてみたら、「いや、」辰也はちょっとバツが悪そうな顔をして私を見た。


「こういう時、何か気の利いた言葉を返せれば良かったんだけど…」


何の話をしているのか、私はすぐには分からなくて首を傾げた。辰也はもう一度小さく咳払いをして、「月、綺麗だねって言ったから」と言った。ようやくそこで私は、夏目漱石のアイラブユーの訳の話を彼は言っているのだと気付いた。


「全然そんなつもりじゃなかった」
「えっそうだったの?そっか…何となくそういう感じかなって思っちゃって」


慌てて愛の言葉を考えようとしてくれたり、結局出てこなくて正直に言ってしまったり、辰也らしくて笑ってしまった。さっきとは立場が逆になったみたい。私は嬉しくて愛しくてたまらなくなって、ちょっと背伸びして辰也の頬に小さくキスをした。驚いた顔して頬を押さえた彼の頬は、月に照らされてじわじわと赤くなっていくのがわかった。


「名前ちゃん、外だよ…」
「夜だから、ダメ?」


慌てて小声で私を諭そうとする辰也。あと、10メートルも歩けばアパートの敷地に辿り着くところだけど、私は待てなくて足を止めて彼を見た。辰也は困った顔をしながらも、街灯から外れた道路の隅で、私と向き合う形で立ち止まった。


「誓いのキスください。凝ったアイラブユーよりそっちのがいい」


そう言ってせがむように袖を小さく摘めば、辰也は辺りに人の気配がないかを確認して、そっと私に近づく。指を絡めて繋いだ手はそのままに、反対の手で私の頬に靡く髪を掬って耳にかけてくれた。暗がりの中、甘い視線が絡んで。額をぴったり重ねて、目を閉じて。


「誓います」


そっと重なる唇。ゆっくりと目を開けて、照れたように笑い合う私たちを、今宵の月だけが見ていた。




moon light





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