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『三輪くん』に彼女が出来たという噂を聞いた。
空き教室から、同じクラスの可愛い子と二人で出てきたのを誰かが見たらしい。愛想はないけど何でも出来て、ボーダーの上級隊員でもある『三輪くん』は密かに女子から人気があって、今まで浮いた話のなかった彼の噂は光の如く走る。そしてとうとう、一番クラスの離れた私の元までやってきた。「へぇ、そうなんだ」嘆き羨む友人らの傍ら私はポッキーを一口かじりそう言った。その噂は、結局噂でしかないと私にはわかっていた。なぜなら、『三輪くん』と付き合っているのは他でもない、実は私だからだ。


「しゅーじ」


放課後は、変な時間までわざわざ居残りする。そうして人気のまばらになった時間を狙って駅に向かえば、誰もいないホームの白いベンチに彼はいる、ボーダーの活動がない日は。軽々しく呼んだ名前に彼は視線を向け、「おい、もう少し気をつけろ」と注意した。「ん、ごめん」適当に謝って、私は彼の座るベンチからひと席あけたところに腰掛けた。側から見たら、他人に見えるようなこの距離感を保つのが私と彼の約束事。秀次が、付き合っているのは秘密にしたいと言ったからだ。噂になるのは嫌なんだって。私もそれを理解して、頑なに守っているからこそ、数ヶ月経った今も『三輪くん』の彼女をやれている。だから、守らなくちゃいけない。誰も居ないはずなのに先の彼の注意のせいで口を開くのは憚られ、沈黙が流れる。ようやくホームにアナウンスが聞こえて、古い型の電車がゆっくりと線路に滑り込んできた。無人の箱に足を踏み入れ、ようやく私たちは距離をつめ、隣に座った。


「…数学の宿題、でた?」
「ああ」
「難しそうだったなぁ、やりたくない」
「授業を聞いていればわかる内容だっただろ」
「てことは、終わってるんだ?すご」


秀次と、こうやって話すのは、楽しい。大した返事が返ってこなくても、甘い言葉を囁かれずとも。本当はもっと長い時間、くだらない話をしていたいし、できたら場所も選ばず話しかけたい。だけどそれは秀次の気持ちを無視する事だからしない。秀次は電車の窓の外の流れていく雲をじっと眺めていた。日に透けても黒の色素を保つ髪と、鼻筋の通った綺麗な横顔。学校中の女子が一度は視線を向けてしまう、『三輪くん』がそこにいた。私はそんな他人みたいな恋人に言う。「ねえ、次宿題が出たら図書館で一緒にやらない?」どんな返事がくるかわかってるけど言ってみた。「ダメだ。人に見つかるだろ」ちっとも迷わずきっぱりと、秀次は迷いのない視線を私に向けた。「そうだった」今わかったみたいな台詞で、この話はおしまい。がたん、ごとんと歪んだ線路の響きが車内に伝わり、静かになった。秀次はいつも、隣の私ではなくて、関係のない誰かの目ばかり気にしている。



移動教室が終わって一人廊下を歩いていたら、後ろから声をかけられた。「おい」聴き覚えのある声に振り向いたら、その声の主は秀次だった。ここは学校なのに、まさか向こうから話しかけてくるとは思ってなかったので驚いた。驚いてなにも言わずに振り向いた私に、秀次ははっとしたような顔をしてそれから、「…これ、落としたぞ」手に持っていた私のハンカチを差し出した。あ、なんだ、本当に落としたのか。「ありがとう、三輪くん」うっかり名前を呼ばないように気をつけてそう返したら、秀次は無言でハンカチを私に渡して、くるりと向きを変えて歩き出した。短い黒髪から覗く彼の耳がとても赤くて、私は小さく笑う。秀次が恥ずかしがり屋なことは、付き合った当初からわかっていた。今の落とし物だって、咄嗟に拾って話しかけて、後からしまったって思ったはずだ。そういう、ちょっとしたところが可愛くて好きだ。


「三輪くん、優しいね、拾ってあげたの?」


知らない誰かの声が私の横を通り抜けて行って、秀次はそれにつられて振り向いた。私は、ひたすら秀次に話しかける知らないロングヘアの子の背中をじっと見て、そしてその子越しに、仏頂面して相槌を打つ秀次を見た。もしかして、噂の女の子なのかなぁなんてぼんやり思った。秀次はあまり女の子と喋らないし、ちょっと喋っただけでも噂になってしまうだろうから。あの子はそれをわかって秀次に話しかけているのだ。私は、一応恋人ではあるので、あの子より秀次のことをよく知ってると思っているし、それが何のアピールにもならないって事、頭でわかっているつもりだった。けれど、思いの外長く会話を交わす二人を見ていたら、なんだか自信がなくなってくる。いつもと変わらぬ秀次の表情も、だんだん照れ隠しに見えてきたり。顔の見えない女の子の後ろ姿だけで、物凄く美人なんじゃないかって不安になったり。何よりも、人前で堂々と、彼と話せるあの子が羨ましかった。
秀次は、恥ずかしがり屋だから、私は彼の意思を尊重してきた。でもじゃあ、私の気持ちは?一体誰が救ってくれるんだろう。二人に背を向けて歩き出した廊下、いつもよりずっと長く感じた。


* * *


放課後の人気のないホームで、私は一人ベンチに座った。少ししたら足音が近づいてきて、ひと席開けて、誰かが腰掛ける。ギッと体重のかかる音がして、視界の隅には赤いマフラーが映った。待っていた人が来たのだと思い、私はずっと考えていた言葉を吐き出した。


「…秀次と付き合うの、もうやめよっかな」


言葉にしたら気楽なニュアンス、だけど重たい決心。「、なんで」焦ったような声色、胸がどきどきして目がチカチカする。傷ついたような顔をしてるんじゃないかって思ったら、こわくて秀次の顔が見れなかった。「だってほら、秀次忙しそうだから」なんとなく濁してしまう。このまま、ふんわりお別れして無かったことになりたかった。だって私達以外だれも私達のことを知らないのだから、当人同士で解決してれば、明日からはきれいな関係の私達に戻れる。


「ふざけるな、そんな理由でお前が別れるなんて言うわけない」
「………」
「おい、どういうつもりだ」
「……言うよ」


ここまで信頼されていると胸が痛い。「そんな理由で、言うよ。私だって」忙しそうとか、寂しいとか、そんなくだらなくてお子様みたいな理由をつけて、私だって文句を言いたい。「秀次、知ってる?彼女が出来たって噂になってる。私じゃないよ。それがもう耐えらんないだけ」電車に乗る前のホームで、こんなに大きな声で言い合いしたのは初めてだった。秀次は私の声に黙って、何も言い返して来なかった。カンカンカンと近くの踏切の音が聞こえてきて、電車の来るアナウンスがホームに流れた。このまま、この気まずい空気で電車に乗るのは嫌だな。そう思ってた矢先、「あれ、今帰り?」助かった。クラスメイト数名が私達の前に現れた。一つ距離を空けて座っていたおかげで、私と秀次がまさか連れだなんて思いもしない彼女らは、ベンチに座る秀次にチラチラと視線を寄越して何でもないフリして私に話しかける。

「ねえ、今からカラオケ行くけど一緒に行く?」
「いいね、行こうかな」

電車がホームに到着し、ドアが開いた。私も立ち上がって、彼女らと一緒に電車に乗り込もうとしたけど、その時、急に鞄を持っていた方の腕を掴まれた。立ち上がろうとしたところを引き止められ、驚いてその手の方を見たら、秀次が私の手を掴んでいた。


「あ、あの」


電車の発車ベルが響くホームで片手の自由を奪われ、立ち往生する私をクラスメイトらは閉まり行く電車内から見ていた。なんの接点もない私と『三輪くん』の予想外の行動に、色めき立つ車内。秀次、なんでこんなことしてんの。ずっと嫌がってたじゃん。腕を掴む秀次の力は思ってたよりずっと強くて、私は何も出来ないままただただ走り去っていく電車を呆然と見つめた。


「ちょっと秀次、なんで…」 


ぐんと腕をさらに強く引っ張られ、私の体はベンチへと逆戻り。とすんと勢いつけて座り込んだところを、秀次の空いたもう一方の手に肩を押さえつけられ、そして。さらりとした秀次の前髪が私の額を掠めて、鼻と鼻が触れ合った。


「秀次、」
「黙ってろ」


言われた通りに口を結ぶと、チュッと小さく触れた唇。瞬間的に閉じた瞳を恐る恐る開けてみると、秀次と私はちょっとだけ目があった。ゆっくりと唇の距離が離れていくと、秀次は頬も耳も全部真っ赤になってしまって、目を逸らしていた。「…付き合うのは、絶対やめない」秀次はそれだけ言って、また俯いた。なにそれ、ずるいよ。さっきまで気にしていた噂のこととか、ちょっと嫉妬してたあの子のこととか、嘘つけない顔した秀次のせいで、全部がどうでも良くなってくる。もう付き合うのやめるって言ったくせに、あっさりそれを撤回したくなってしまう。


「………今の、見られちゃったよ。いいの」
「…いい」
「秀次…私の事、好きなの」
「な……!い、言わせようとするな」
「だって聞きたい、お願い」


私は、ずっと欲しかったのだ。私を、私だけを、確かに好きだと示してくれる秀次の愛が。結局、ちっとも物分かりの良い恋人じゃなくてごめんね。秀次はしばらく言い渋っていたけど、私からぎゅっと手を握ってみたら、降参したように小さな声で「好きだ」って言った。


「私も!」


嬉しくて、思わず首に腕を回して抱きついた。人が来たらきっとやめるので、今だけ許して。『三輪くん』の彼女だっていう、幸せに浸らせてね。



秘密の恋人





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