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よくある話だと思うんだけど、そこそこに長く付き合った彼氏と二十代半ばごろに別れてしまって、そこから全くご縁がなかった。縁結びで有名な神社、もう何軒まわったかな。占いの館のスタンプカード、二週目になってしまった。時間とお金は消費してくのに、ピンと来る人になぜか出会えない。休日はスピリチュアルなあれこれに貢ぎ、平日は仕事でバリバリ働いて。周りの友達が次々と結婚していく中、私にはここ数年浮いた話題の一つもなく、華のない二十代後半を過ごしていたところ、休憩時間に毎月買ってる星占いの雑誌を読みながら気が付いた、今日は私の誕生日だということに。
 

誕生日を忘れてたから何の予定もなくて、仕方なく仕事上がりに一人でお気に入りのレストランに向かう。最寄り駅にある小さなイタリア料理店は昔、後輩の男の子が教えてくれたお店で、その子と一緒に行って以来すっかりハマってしまった。一時期は頻繁に足を運んでいたけど、ここ数年は機会がなくて行けていなかった。駅から店までの道のりは雨で濡れていて、滑りやすいので気をつけながらパンプスで踏み歩いた。初めて行った日も、たしかこんな雨だったっけ。後輩の彼とは当時特別な間柄でも何でもなくて、『最近美味しいお店を見つけた』と彼が食事に誘ってくれたからついて行った。ランチタイムの明るい店内はお洒落な洋楽が流れていて居心地も良いし、メニューもどれも美味しそう。


「今日はぼくが出しますから、好きなの頼んでくださいね」



彼はメニューと睨めっこする私に向かって、優しく笑った。「…ありがと」そうだ、ちょうどその時、私は彼氏に振られたばかりで、その話をした直後のお誘いだったから、彼は私を元気づけようとしてくれていたのだと思う。しばらく悩んで、ようやく注文を終えると、私はため息をつきながら言った。「どうしてダメだったんだろ。結構尽くしてたと思うんだけど」真横にあった、木枠の洋風な窓の外はしとしと涙みたいに雨が降っていて、私の心はそれと同じようなブルーをしていた。


「うーん、ぼくは先輩の彼のことは話でしか聞いた事がないので、適当な事はあまり言えないですけど…」


一所懸命、慰めようと言葉を探してくれる目の前の後輩は、間違いなく恋人を幸せに出来る人種だろう。去って行った彼氏みたいに薄情じゃないし、私みたいに自己中でもない。誰に語らせても誠実で、優しいイメージしか出てこないような彼。「来馬くんが彼氏だったらよかったのにね、こんな思いしなくて済んだ」私はこの時とてもひどい女で、慰めの彼の言葉を遮るようにそう言って運ばれてきたコーヒーを飲んだ。カチャンと音を立ててソーサーに戻されたカップを見て、我に帰る。「…ぼくみたいなつまらない男じゃ、先輩はきっと、ここまで夢中にならないと思います」後輩の彼は頬を指でかいて苦笑いした。全く、どこまで人間が出来てるんだか。「……ごめん、心配してくれたのにね」真っ黒なコーヒーを真上から覗き込むと、天井のオレンジのライトのせいで、歪んだ私が写っていた。


* * *


苦い思い出が頭に浮かんだけれど、あの後運ばれてきた美味しいパスタで私はすっかり機嫌を取り戻し、以来度々一人でそこを訪れた。久々に来た変わらぬ佇まいの店のドアに手をかけ中に入ると、黒のサロンをつけた女性店員が入り口まで来てくれて、案内してくれる。広いテーブル席は週末夜ということもあり殆ど埋まっているようで、その席を横目に奥へ奥へと足を進めた。


「みょうじ先輩…?」


さらに奥へ進もうかという時、窓際の席から誰かが私の名前を呼んできた。足を止めて振り返ると、そこに座っていたのは、この店を教えてくれた後輩の彼だった。驚いて声を上げた私に気付いて、前方を歩いていた店員が立ち止まる。「お待ち合わせでしたか?」聞かれて席を見れば、そこに座っているのは後輩の彼一人で、彼の座っているソファ席の向かいにあるイスには鞄が置いてあるから、どうやら一人で来ているらしい。「先輩、もし良かったら」そう言った彼は立ち上がり、荷物の置いてあったイスの方へ移動して、私にソファ席を勧めた。「…いいの?」頷き、昔と変わらぬ笑顔で笑った彼に会釈をして、私はソファ席に座った。


「お久しぶりです、まさかここで会うなんて」
「本当。元気にしてた?」
「はい、ぼくはそれなりに。何頼みます?」


柔らかく笑う彼を前にしたら、懐かしい会話が蘇った。あの日と同じ座席で、同じ座り方だけど、今は夜。オレンジ色の間接照明が幻想的に灯る店内で、彼はグッと大人っぽく見えた。「明日はお休みですか?飲みます?」彼は私が見やすいようにメニューをくるりと回して差し出してくれた。お酒の勧め方も自然。変わらないのに違う人みたい。「…じゃあ、少しだけ」「良かった、僕も少し飲もうと思ってました」そう言って、今度はページを変え、二人で料理を選んだ。一人で来ようと思っていたのに、偶然後輩に出逢えたこと、星占いのページに載っていた『人間関係星三つ』は、この事だったのかもしれないと、私は密かに小さく笑った。


* * *


お酒は好きだけどそんなに強い訳じゃないから、話し込んで数時間経てばあっという間にふわふわと夢心地になってしまった。相変わらず外は小雨が降っていて、私は酔った頭でぽつりと言う。


「来馬くんってさ、何でいっつも私がひとりぼっちの時に現れるんだろうね」
「えっ?」


後輩の彼は、不思議そうに私を見た。「…今日、誕生日なの。私」そう溢せば、彼はポケットに入っていたスマホを慌てて取り出して日付を確認して、「あ…!おめでとうございます」って言ってくれた。「ありがと」ふにゃふにゃの手でワイングラスを構えて、彼の手元にあったグラスにカチンと当てに行くと、彼はまた慌てて自分のグラスが勢いで倒れないよう支え、私の乾杯を受け止めた。


「……かれしもできない。誕生日も予定がない。さびしいでしょ」


25くらいで結婚して、若いママになるのが夢だった。途中でその期限には到底間に合わないと思ってから、あれこれやってみたのにどれも上手くいかなくて。挙げ句の果てにタイムリミットに定めた誕生日を忘れてひとりぼっち。「ぼっち飯しよって思ってここに来たの。やばくない?泣ける」自虐のつもりで言い出したのに、酔ったら涙腺が脆くなってしまって、勝手に涙がぽろぽろ落ちてくる。目の前の彼は驚いたように目を見開き、そばにあった紙ナフキンを一枚引き抜いて勧めてきた。「…大丈夫ですか、出ます?」困ったような彼の声に申し訳なさが込み上げてきて、私は泣きながら首を横に振る。「ごめん、酔ってる。すぐ泣き止む」グズグズと鼻を啜りながらも、後から後から涙は溢れた。暗がりの店内と、聴き覚えのあるゆったりとしたボサノバのBGMが泣き虫の私を隠す。さっきまで食べてたピザの、美味しそうなチーズの香りはもう、わからなくなってしまった。


「…先輩」


向かいに座っていた彼は、徐に立ち上がり私の座るソファ側の席へと移動してきた。隣に座った彼の重さで、私の座っていたソファもゆったり軋む。両膝に拳を作って置いて、彼は背筋を伸ばして深呼吸をした。私は目元を抑えながら横目で彼を見ていた。「こういう時に言うの、本当はずるいと思うんですけど」結ばれた拳に更にぎゅっと力を込め、彼は言った。


「ぼくじゃダメですか」


ごくり。言い切って喉を鳴らした隣の彼を、私は呆然と見つめた。額にしっとり汗をかいて、見るからに緊張した面持ちの彼は、真剣な眼差しで私を射抜く。


「ぼくは、先輩が好きでした。先輩さえ良ければ、ぼくが必ず幸せにします」


一生、そうしますって言って、彼は口を結んだ。まるでプロポーズだと思った。ずっと夢に見ていたフレーズを、目の前で言ってくれる人がいて、しかも自分の誕生日で。衝撃的な彼の告白に、さっきまで酔いの回っていた体はすっかり目覚めた。震える指先で、落ち着くために水を飲もうとグラスに手をつけると、その手を横から拐われ、私は片手の自由をなくした。


「…今日、答えてくれるまで この手を離しません、」


甘いフレーズに痺れた脳でぼんやり思い出したのは、星座占いの恋愛運。五年に一度の大恋愛が降ってくるって、確かそう書いてあったっけ。アルコールじゃなくて、確実に彼のせいで熱を持った頬は、目線、言葉、態度の何より、正直に私の答えを現していた。やさしくて、いつも穏やかな雰囲気の彼が、頬を赤くして真剣な表情で私に迫る。時が、止まったような気がして、私の背後にある窓からは、雨の音は聴こえなくなっていた。



雨音と福音





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