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バイト先が同じだった一つ年上の彼氏とは、別れてしまった。
お守りみたいに持ち歩いていた、たった一度だけ撮ったプリクラをくしゃくしゃに丸め、私はそれを処分しようと橋の上から川に向かってそれを投げた。けれど運悪くそれは、川に落ちた枝にひっかかって流れていけなかった。劣化して消えてくれればと思ってわざわざ川まで来たのに、これじゃ全く意味ない。なんだか泣けてきた。ため息をつきながら橋の手すりにおでこをつけて地面を見ていたら、人が近づいてくる気配がした。「泣いてる?」子どもみたいなハスキーボイスに視線を向けると、屈んだ私と同じくらいの目線の高さにその声の主はいた。真っ白な髪の毛、真っ赤な瞳。小学生にしては珍しいと思った。「…べつに」知らない子どもに心配されるなんて、ちょっと恥ずかしくて素っ気なく返してしまったら、「あれは?」と男の子は川に引っかかったプリクラを指差す。きっと最初から見られてたんだろうなあと思いながら、観念するように「捨てたかったの」とだけ言えば、男の子は「ふうん」と言って、私の横で川の中を覗いた。


「あれを取ってきて、処分すればいいってこと?」


きっぱりと、明るい声で、彼は言った。私はいわれるがまま頷くと、男の子は橋を走り抜け、土手から草だらけの川岸に降り立った。さすがに、それは危ないと思って私も後に続いて、「もういいって」彼を止めるように声をかけたその時、既に川の中に膝まで脚を入れた彼の手には、私が先程捨てたプリクラがあった。ざぶ、ざぶ、簡単に岸に戻ってきた彼は手の中の紙くずにどこからか取り出したライターを使って、淡々と火をつける。じわりと火が燃え移り、あっという間に黒い塵となって黒歴史は消えた。


「これで良かったか?」


風に煽られ飛んでいく灰、びしょびしょのズボンと、なんの躊躇もなく火を取りだした白い髪の男の子。突然私の目の前に現れた彼を取り巻く全てが、異質に見え、涙も引っ込んでしまった。「…まさか本当に入るなんて」呆然としていた私が口にした言葉を聞いて、男の子は何にも気にしてないみたいに笑った。

「びしょ濡れじゃん、」
「まあ、乾くよ。大丈夫」

私は鞄の中からタオルを取り出すと、男の子に渡した。「…使って」これが、私と彼の初めて出会った日のことだ。


* * *


先日の、男の子がタオルを返しにきた。夜7時、私のバイトしているコンビニに。


「ありがとうございました」


レジに立つ私に、男の子はタオルを置いて深々と頭を下げる。何でここがわかったのだろう?それにこんな時間に、一人で来たの?「危ない事ばっかりして、大丈夫?何年生なの?」返してもらったタオルを後ろにあったパイプ椅子に置きながら聞いたら、彼は「ご心配なく、れっきとした高校生です」と言ってピカピカの生徒手帳をポケットから取りだした。学ランを着た男の子の顔写真と、空閑遊真と書かれた学生情報は嘘偽りない近所の公立高校のもので、私は驚いて生徒手帳と目の前の彼を何度も見比べた。きめ細かくてすべすべの肌とか、あどけない顔立ちとか、どう見ても小学生くらいのそれなのに、まさか自分と一つしか年齢が違わないなんて。「…見えない」「だろうね」そんなの言われ慣れっこみたいに、彼は言った。店内は漫画コーナーに立ち読みのお客さんが居るだけで、比較的空いていた。


「あ、どうしてここがわかったの?」
「何となく。見覚えがあったから」


俺、結構よく来てたよ、なんて言って空閑くんはポケットからお財布を出すとホットスナックを注文した。こんなに目を引く容姿の彼を認知してないなんて、どんだけ周りを見てなかったんだ。つい一週間前までは同じシフトの彼氏と一緒で、バイト中は浮かれて過ごしていたからだと思う。その彼も、別の彼女を作って辞めてしまったから、薔薇色の時間はただの作業時間になってしまった。嫌な事を思い出してしまったとため息をつきながら頼まれたコロッケを袋に入れると、レジで待ってる空閑くんと目があった。「なあ、待ってようか」空閑くんは時計を見てからそう言った。私の上がり時間迄あと20分程だったけど、なぜ彼がそんな事を言い出したのか分からなくて私は返事に困ってしまった。


「なんで」
「何となく、入水でもしそうな顔してた」


空閑くんは、私が元気がないと思って誘ってくれたらしい。「そんなんじゃないよ」年下の子に心配されるのはなんだか情けなくて、レジ打ちをしながら私はごまかす。だけど結局20分後、コンビニを出たら空閑くんは本当に私を待っていてくれて、ぬるい夜風のあたる中、微妙な関係の私達は一緒に帰る事になった。


* * *


私の苦い恋を終わらせてくれた空閑くんは、それからも度々私の前に現れた。


「お、当たりだ」


土曜日のお昼のバイトを終えて、私は空閑くんと一緒にいた。彼と出会った橋の上で、オマケ付きの小さなお菓子の箱を開けている空閑くんは、どこから見ても小学生そのものだった。私はその横で、紙パックのジュースを飲みながら待つ。空閑くんといるのは、心地が良いと最近思い出した。小さくて、可愛い見た目と、意外と聞き上手なところ。変にハラハラしたりする事も無いし、穏やかな私でいられるのだ。「何出た?」空閑くんが当たりだと言って箱から引っ張り出したのは、金ピカに光るキーホルダーのようなものだった。「ほい、先輩にあげる」横から手渡され、私は流れるようにそれを受け取る。なんのキャラクターなのかも知らない、可愛くないアヒルのマスコットを見て、「可愛くない」と私は言った。空閑くんは「うん、確かに可愛くはないな」と言いながらもそれを私に押し付け、知らん顔して同封されたお菓子を食べ出した。


「どれが欲しくて買ってるの?」
「別にこれと言って欲しいやつはないよ。ただ、暇つぶしに買ってるだけ」


空閑くんのその答えは、ここ数週間無になって働く私の感情と重なった。バイト中どこを見てもチラつく彼との思い出から目を瞑るよう、ただ時間が過ぎていくのを待つときの感情。「空閑くんって、人生たのしい?」ぽろっと口から出た重たい質問に、ハッとして口をつぐんだら彼は薄い唇を僅かに開けて私をまっすぐ見た。「ごめん、何でもない」すぐに訂正して、その場から逃げる様に川の方を見たら、それまで柵を背もたれにしていた空閑くんがくるりと向きを変え、私と同じように川の方を見る姿勢になった。


「たのしいよ。知らない事も、知りたい事も、まだまだ沢山ある。先輩がこういう時間、何を見てるのかとか」


そう言って空閑くんは柵に肘をついて、海に向かって流れていく川を眺めた。私、別になんの景色も見てなかったんだなぁって、彼の言葉で気が付いた。ここしばらくは考えごとばかりしていて、覗いていたのは自分の頭の中の灰色ばかりだ。「こういう景色を、先輩はずっと観てたんだな」空閑くんは雑草と小石だらけの散らかった川辺を見下ろし、それから遠くの方にある空を見ていた。私は、空閑くんの今見ているものなんてどれ一つとして見えてなかった。急にクリアになって色んなものが見える様になった瞳で私は、空閑くんの横顔を見つめてみた。太陽の下の明るい光は、空閑くんを生き生きと美しく映す。胸にじわりと込み上げて来るものがあった。私はこの気持ちがこのままどうなるかを知っていた。だから目を逸らしたかったのに、逸すことが出来ないほど、空閑くんは私を惹きつけた。もう恋なんてしないと、あんなに辛い思いをしたばかりなのに、彼の小さな胸に無性に縋り付きたくなってしまうのは、人間が生きてる限り恋をしてしまう本能なんだろうか。風を受けて靡く白い髪に触れようとして、あと一歩のところで思いとどまった。全部、リセットしてからにしよう。今日まで彼が浄化してきてくれた負の感情、全てを。行き場を無くした手を私はそっと橋の手すりに戻し、よく晴れた天を仰いだ。


* * *


「お世話になりました」


バイトを、遂に辞めることにした。此処には思い出があり過ぎるから。青くて未熟だった過去の自分断ち切って、新しい自分を始めたいと思ったから。私も、同じように知りたいと思ったから。空閑くんの見ている景色を。

よく晴れた初夏の空気の中を、私は夢中で走った。どこに行けば会えるのかわからない空閑くんに会いたくて、貰ったブサイクなキーホルダーを手にギュッと握りしめたまま。息が乱れてきたその時ちょうど例の橋があって、私は川を覗き込むように身を乗り出した。「あ、」いるわけない空閑くんを探していたら、私の手からキーホルダーがすり抜けていった。ぽちゃんと音を立てて川に落ちたのを見て、慌てて橋を抜けて川辺へ降り立つ。雑草だらけの決して綺麗とは言えないその場所を見ていると、川に入って探そうなんて気は失せる。だけど、あれがないと、もう二度と会えなくなってしまうかもしれない。スニーカーのまま水の中にそっと足を入れると、思っていた以上に冷たい水の感触がした。


「何やってんだ 死ぬぞ」


そっと手を水面に伸ばした時、誰かに腕を引かれて私は顔を上げた。制服姿の白い頭は空閑くんで、いつもの穏やかな顔とは違う、焦ったような表情をしていた。「…空閑くんだって、入ってたじゃん」「俺は大丈夫、上手くやるから」めちゃくちゃな理論の後彼の足元を見れば、片足だけ水に浸かってしまっていた。「あ」きらりと光る金色を空閑くんのスニーカーの横に見つけて、私はそれを手にした。探していたキーホルダーだ。


「可愛くないって言ってたじゃん」
「うん、だけど」


好きなの って私は言った。それは、このマスコットだけにかかる言葉じゃないと、言ってから自分でも気が付いて、じわじわと頬が熱くなった。「ふうん、そうか」空閑くんは私から目線を外して、水で淀んだ金のアヒルのクチバシを指でツンツンして遊んだ。「あのさ」空閑くんは今度、また私の目を見た。


「次は俺を呼んでよ、こういう時」


遊ばれたアヒルのマスコットは、指で水を弾かれ綺麗な色を取り戻した。空閑くんは私にアヒルを握らせるようにして、両手でふんわりと私の手を包んだ。空閑くんの言う『こういう時』って言うのは、川に物を落とした時。それから他にも、いくつか意味があるような気がする。自分より年下の子に頼ったり、弱いところを見せたりするのは嫌だった。だけど空閑くんに頼ってもいいと許可をもらえた事が、私はとても嬉しくて、とても安心する。「うん」私は岸に足を戻そうとする空閑くんのあたたかい手を取り、頷いた。



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