「じゃあ…三番は、好きな人を言う!」


出た。定番中のど定番。『3』と可愛らしい丸字で書かれた割り箸を持つ私は苦笑いで、その手を挙げた。昼休みの教室、王様ゲームで私を囲む数名の女友達は皆期待の眼差しで私の言葉を待った。「えーっと、」勿体ぶっているのではない。恥ずかしがっているのでもない。私は、困っているのだ。好きな人など、これまでの人生で1秒もいた事がないのだから。けれど、それが通じるのは小学生まで。中学になれば、そこは恋愛社会。誰かを好きになり恋をする事がステータス。休み時間の話題だって専ら恋愛の話。だから、恋をしていません、なんて言って、彼女らの話題に乗り遅れては、困るのだ。


「早よ言うてやぁ」
「何部の人?」


急かす友達の声に私は脳みそをフル回転させた。どうにかして、噂にもならなそうな、名前を挙げるのに適当な人物を探さなくては。丁度その時、背後の窓から校庭で過ごす誰かの声が聞こえてきた。私がそちらを見たのを彼女らは見逃さず、声のした方を覗き込んだ。その時、たまたま下に居たのは、時々全校集会の表彰で目にする、華やかなテニス部の先輩達だった。


「テニス部?誰?」
「ひょっとして、白石先輩?一番イケメンやし」


白石先輩は、運動部でも何でもない私でも知っている程、容姿端麗で、人気があると有名な先輩だった。「じ、実はそうなんだよね」我ながら最高の答えが見つかったものだ。あれだけの有名人であれば、彼に想いを寄せる数多の女子生徒に紛れられるし、下手に協力を申し出られることもない。「白石先輩は倍率ヤバいで」気の毒そうに私を見る優しい友達に、若干罪悪感を感じながらも私は笑っていた。別に倍率とかどうでもいい。彼の事を、私は好きでも何でもないのだから。







放課後、私は職員室に立ち寄ってから、渡り廊下を歩いて昇降口へ向かっていた。もう殆どの人が出払ってしまい、人気のない校舎。廊下の窓から部活に精を出す人達を眺めながら歩いていたら、「なぁ」誰かに突然声をかけられ、肩を叩かれた。振り向けば、目と鼻の先に誰かの学ラン姿があった。予想以上に近い所に立っていた事に少し驚き、思わず一歩下がった。そのまま、その人が誰か確かめようと視線を上げたところで、私は固まった。



「これ、落としたで」



それは、昼間私が想い人だと周囲に嘘をついた、白石先輩本人だった。遠くから姿を見た事はあったけれど、こんなに至近距離で、しかも話しかけられたのは初めての事。顔の小ささが際立つ背の高さ、ニキビ一つないきめ細かい肌。彼の容姿を造形する全ての要素が、この世のものとは思えぬほど秀でていて。想像以上の衝撃で、私は頭が真っ白になった。誰もが見惚れるであろう完璧な容姿の彼の掌に収まる薄汚れたブサイクなクマのキーホルダーだけが、唯一親しみ易さを醸し出していたけれど、一呼吸置いてようやくそれは自分の落とした物だと認識できた。


「あ、あの、ありがとうございます」


受け取るつもりで両手を出したのに、白石さんの指先から落とされたそれは震える私の手を滑り落ち、再び廊下に転がった。「あ、ごめんな」緊張で強張る私より先に、白石さんが屈んでクマを拾った。もう一度私は両手を差し出したのだけど、クマは空いた指の隙間をするりと抜け落ちた。白石さんは連続するキャッチミスにやや驚きの表情を見せ、笑った。私は、人生で一度も経験した事のない焦りと緊張で背中をびっしょり濡らして、しゃがんで転がり落ちたクマに手を伸ばした。と、その時、同じようにしゃがんだ白石さんの長く綺麗な指が、また落とし物を掴んだ。美しい手に釘付けになっていると、その手は今度は私の子供のように小さな右手を取った。そう広くない掌を広げさせ、そっとクマを乗せた後、白石さんはもう一方の空いた手で蓋をするかのように、私の手を包み込んでそれを握らせた。


「これで大丈夫やろ」


白石さんの言う通り、今度は私の手からクマは溢れる事はなかった。それを見届けて薄く笑った彼は、立ち上がって私の真横を通り過ぎて行き、廊下には私一人が残された。

『白石さんは倍率ヤバいで』

休み時間の友達の言葉が、今になって身にしみる。ドクドクと未だに激しく脈打つ心臓は、僅か1分程の出来事で簡単に彼に支配されてしまったのだった。



初恋泥棒





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