「春から一人暮らしすんねん!」


大学に受かった私は、未来の話をしに意気揚々とお隣の財前さん家に向かった。「勝手に入んなや」と私を冷たくあしらう一つ歳上の光くんは、受験お疲れ様とも合格おめでとうとも言わず、スマホを見ながら片手間で私と会話をする。

「いつから行くん」
「四月一日!来週家探しに行く」
「へえ」
「なぁ羨ましいやろ?東京やで?一人暮らしやで?私、絶対オシャレな部屋に住んで光くん呼んだるからな」

情報感度が高くて、人と省エネな関わり方をする幼馴染の光くんなら、さぞかし羨むと思ったけど、思った反応が貰えず私はなんだかがっかりした。羨むどころか、寂しいなぁの一言も貰えず、不満に思った私はベットに横になる光くんの側に寄ってって、鼻を摘んで抗議した。「やめろや」光くんは鬱陶しそうに私の手をどける。彼は今、いんすたとかゆーちゅーぶに夢中で、幼馴染の私が遠くに行ってしまうことなんて全く興味がないみたいだ。でもそれは今に始まった事ではない。小学校も中学校も、私ばっかり光くん光くんってくっついていたから。だけどさ、流石にいつでも会えない距離になったら、多少は寂しがったりしてくれてもいいものじゃない?私はこんな時でもつれない光くんにもやもやした。


それからあっという間に残りの高校生活は終わって、ついに私が大阪を出て行く日になった。先に荷物を乗せたトラックを見送り、家に入ろうとした時、お隣の家から光くんが出てきた。春休みの朝から、スウェットではなくてちゃんとした服を着ている光くんは珍しい。「出かけんの?」何気なく聞いたら光くんは手に持っていた薄ピンク色の紙袋を私に向けた。「やるわ」女子に人気の雑貨屋の袋をまさか光くんがくれるだなんて思ってもなくて、私は驚きつつもそれを受け取り、早速中を見た。リボンのかかった包みを開けると、白くてふわふわのネコのぬいぐるみが出てきた。


「何欲しいんか分からんかったから適当やで」


今まで、バレンタインのお返しだって、誕生日だって、まともに何かをくれた事のない光くんが、私にプレゼントをくれた。袋から取り出したうさぎの首にはリボンとタグがかけてある。『ねむれない夜は、ボクを抱きしめてね』そういう癒しグッズなのだろうか?書いてある通りそっと腕の中に仕舞い込んだら、くたっと感がやけに腕に馴染む。そして、ふんわりとフローラルコロンのような香りがした。


「光くん、ありがとう」
「ん」
「私、オシャレなお家作りがんばるわ」


これは、合格祝いと引越し祝いを兼ねてるのかな。まさか最終日にこんなサプライズが待っているとは思わず、涙腺が緩んだ。めそめそしている私を見た光くんは、「家作りっちゅうか、頑張らなあかんのは勉強やろ」と言った。「せやった」指先で目尻を拭いながら笑った。予期せぬサプライズのせいで希望しかなかったキラキラした街へ行くのが、私はちょっと悲しくなってしまった。


* * *


最後にしんみり大阪を出てきたものの、一人暮らしを始めた東京は毎日が刺激的で、とても楽しかった。まず家のことをするのが楽しくなって、大学で友達もできて、人と遊びに行く機会もグッと増えた。その分お金も必要だし、学校終わりにはバイトを入れたりして、とにかく大阪にいる時よりずっと動きまくっていたら、昨日からなんだかだるい。ピピピと脇から鳴った電子音に気付いて実家から持ってきた体温計を見れば、38度の熱。ちょっと無茶しすぎたかもしれないと、体調を崩してようやく気付いた。


「お母さん…?うん、大丈夫やけど、うん」


空気の悪い部屋で横になっていたら偶々親から連絡が来た。具合が悪くなると、故郷が恋しくなる。これは一人暮らしあるあるだと聞いたけど本当にそうだと思った。「うん……平気、薬飲んだ…」恋しくなるのは、手が届かなくなってしまうからだな、と思った。自由の効かない体と物理的に遠い実家までの距離が、私を急にひとりぼっちにする。電話を切った後は無性に寂しくなって、怠い体を無理矢理起こして自販機に向かった。

自販機についてスポーツ飲料を買うとき気付いた。この自販機は、もう春だというのに未だに暖かい飲み物が売っている。下段一列が全てそうで、右下の一番端っこの方に、おしるこの缶がおるのを見つけた。これは、大阪にいる時光くんがやたら気に入っていたやつで、このメーカーの自販機で買いたくて周り道したりする程のものだった。それが、こんな季節にまだ売っていて、しかも大阪よりも値下げされている。これ、光くんいたら喜ぶだろうなあ、買っておいてあげようかなあ、そんな事思いながらももう気軽には会えないし、具合は悪いし、夜道をトボトボ歩いて帰ったら泣きそうになった。私は、光くんが東京に来た時に、自立したカッコいい私を見せたかったのに、結局部屋に戻るとスマホを取り出し、電話をかけてしまっていた。


『もしもし』


ワンコールですぐ出てくれた事だけでも嬉しくて、私は名前を呼ぶ。「光くん…」こっちへ来てから寝る時いつも一緒だった、ねこのぬいぐるみを抱きながら、なんて言おうか迷ってしまって沈黙が続いた。『○○?』光くんは私の名前を呼んで、『どしたん』なんだか今日やけに優しい。

「あの…」
『おん』
「熱、あって」
『…おん』

「心細い」ただそれだけが本心。光くんにはどうしようもないと自分でも思うけど、とにかく今は、優しくして欲しかった。光くんはちょっと間を開けて困ったように『…もう寝るしかないやろ』と言った。「うん、ありがと」『…おん』それで電話は終わった。声を聞いただけでなんだかほっとして、満たされて行く感じがした。ふわふわの相棒をぎゅっと抱きしめて眠ったら、夢で光くんに会えるかもしれない。どれだけ冷たくされても、困った時には結局光くん頼みになってしまう自分は、彼に依存しているのだろうか?


* * *


遮光機能の薄いカーテンから差す光と、鳴り出したスマホの音で目が覚めた。長引く音は誰かからの着信音で、画面を見てその相手が光くんだったので私は驚いてすぐに通話ボタンを押した。「もしもし」通話を始めてすぐ、向こう側では色んな音が混ざり合って騒がしくって、光くんが外からかけてきたことはわかった。『…あと30分くらいで、お前ん家着くから』光くんの口にした言葉は予想してなかったもので、私は固まる。「大阪…におるんよね?」念のため確認をしたら『ちゃう』ないだろうと思った方の返事が返ってきた。目覚めたての私はスマホを耳に当てながらも既に立ち上がっており、玄関ドアの方までパタパタと走り出していた。


『東京』


信じられないことに、光くんは本当に家に来てくれた。ドアを開けるとそこにはリュックと買い物袋を持った光くんがいて、パジャマ姿の私を見て「思ったよか元気そうやん」と言った。どうして、どうして来てくれたの。私は胸がきゅうっとなって、光くんに無性に抱きつきたいと思ってしまった。だけど光くんは私の家族とか恋人とかではないし、一応私は病人だから、その衝動は自分の中だけで終わらせた。渡されたビニール袋にはゼリーとかプリンとか病気の時に食べたくなるものが色々入っていて、やっぱりわざわざお見舞いに来てくれたんだとわかった。昨日の夜に、電話して、翌朝には新幹線で来てくれるだなんて、これまでの光くんだったら考えられないフットワークの軽さだ。いつもは私が追ってばかりだったから、なんだか凄く特別扱いされてるみたいで嬉しかった。


「あの、ええの?学校とか」
「…今日から連休やし」
「あ、」


そうだ、丁度ゴールデンウィークだった。光くんは荷物のそこそこ入ったリュックを置いて、散らかった六畳間に足を踏み入れた。「せやから、早よ寝て治しや」飲みかけのペットボトルとか、置きっぱなしのゴミを光くんはひょいひょいと片付けていく。あまりにも普通に世話を焼いてくれるので気になって、私はついに聞いた。「なあ、何でこないに優しいん?」光くんは片付ける手を止めて私を見た。「別に普通や」「嘘」「嘘やと?」「光くんもうちょっといっつも…こう…冷めてるやん」布団に入りながらもにょもにょ言ってたら、光くんは私のベッドの脇に座って、布団をかけなおしてくれた。


「…心配して来てやったんに」


ポンポン、と布団を優しく押さえたあと、目も合わせずに光くんは立ち上がった。心配?私のことを?大阪時代の態度から読み取るにあり得ない発言に驚き、そして後ろ姿の耳が赤くなっているのをみて、私は急激に体が熱くなった。


(光くん、それじゃまるで……)


彼氏みたいやない?そう頭の中で答えが出ると更に頬は熱くなって、私は布団から目だけ覗かせて片付けをする光くんを観察した。私の世話を焼いてくれる光くんの事、なんだかとてもキラキラして見えた。部屋の隅に置かれた彼のリュックを見るに、滞在予定日数は一泊程度だろうか。私はもう既に、光くんのことを引き留めたくて、この熱がどうか長引いてくれれば良いのにと密かに願ってしまった。




春のはじまり





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