買い物をして、足を休める為に入ったカフェで、私は彼に世間話をした。

「指輪がほしい」

丁度その時店員さんが私達の席にアイスカフェラテとクリームソーダを運んできたところで、一部始終を聞かれてしまって恥ずかしくなった。向かいに座る彼氏は黙ったまま、気まずそうに立ち去る店員さんを見てから、私を見て、「もうちょい必死感出さな、おもんないやないですか」と真顔で言った。「結婚強請る女のコントをしろと?」笑顔を向けながらも彼用のガムシロを奪って手の中に隠せば、「冗談ですって」と観念したように謝る彼。満足して手の中のそれを返してやってから、私は先程見ていたSNSの画面を彼に見せた。ご報告、から始まるそれは、大きなダイヤの乗ったプラチナリングと花束、沢山のハッシュタグ。先週プロポーズされた友人の投稿だった。


「……うわ」


華やかな投稿を見て怠そうに目を細めた彼はそのままの顔を維持しながらガムシロを開けてカフェラテに混ぜる。言われても『へぇ』『良かったすね』くらいだと思ったのに、ここまで嫌そうな顔をされるとは思わなかったので焦る。「そんなに変?」「変っちゅうか」私も彼に向けたスマホを手元に戻して、彼女の投稿の右下にあるハートマークを押すと、彼は飲み物を一口飲んでから言った。


「ようやるなぁって」


彼の吐いた言葉には、半分ほどの嫌悪と呆れが混ざり合っていた。『俺は絶対せぇへんけどな』というニュアンスを含んだその言葉を、予想通りだなあと思いつつ、少し寂しくも思った。そして目の前にいる彼をもう一度見ると、シュッとした黒っぽい服装に整った顔立ち。何故か私なんかとお付き合いしてくれてはいるが、この見目麗しい彼が身を固めて誰か一人のものになる未来が、確かに全く想像出来なかった。「財前なら、どうプロポーズすんの?」そう聞いたら彼はほんの少し眉をひそめ、「どうでしょね」とあしらう様に言った。「指輪パカってやる?夜景の見えるレストランに行く?」やりもしなそうなことを次々挙げれば「今見たやつやん」と呆れていた。私は、興味なさげに私の前で冷たい目をしていても、彼の事が好きだ。だから彼が未来を誓うその瞬間、どんな言葉を吐くかはとても気になる。しかしその相手が自分であるかと言われれば、違うような気もした。先月のバレンタインで毎年恒例の義理チョコを渡した時、「もう付き合ってるようなもんでしょ」という彼の一言で、中学からの先輩後輩の関係を恋人に変えたばかりの私達が、この先夫婦になる想像なんてちっとも出来そうになかった。


だらだらと買い物をするいつもの流れは今日も終盤に差し掛かった。「先輩、ホワイトデーって、何欲しいんすか」到着した自宅の前で足を止めると、突然そんな事を聞かれた。「うーん、高いチョコ」「高いチョコなぁ…」考えるように黙り、財前は「回答が雑」と言った。ホワイトデーって、サンタさんみたいに何でも欲しいものをもらえるイベントだったっけ?そんな認識のなかった私は、財前式ホワイトデーに合わせてやろうとスマホを取り出して適当なホワイトデー特集をしている百貨店のwebサイトを見つける。最近のチョコレートっていうのは本当にどれも可愛くて食べ物じゃないみたいだ。「こんな感じのがいいな、味とかはもうセンスに任せる」そう言って、じゃあ寒いのでとドアを開けてさよならしようとしたら、財前は「さっきの」と声を上げた。


「いいんすか、さっき言うてたやつやなくて」
 

彼の言う『さっきの』が、私には何の事だかちょっとわからなかった。チョコ以外、何か話していたかと思いながらデートを頭の中で巻き戻す。そして思い出した。指輪の話だ。「あーいいよあれは、そういうのじゃないから」幸せそうな友人にほっこりしたと言う話のキッカケにした言葉を、意外にも財前は覚えてくれていた。私は別に宝石とかに興味はないし、付き合って二週間程の後輩にねだるものでもないと思っていた。捨てにくいし、愛が重いし。そんな事を無意識に考えてしまう自分は、もしかして目の前の恋人との『おわり』がいつか来ると、ぼんやりイメージしているのではないかと気付いた。財前の事は普通に好きだ。だけど、昔から沢山の女の子に囲まれているのを見てきて、これまでだって男女的ないざこざもなくふいに恋人になった彼のこと、未だに自分ごと化出来ないでいる。
これって、付き合う意味、ある?


「ねぇ財前」
「はい?」
「…別に私達、無理に付き合わなくても良くない?」


言って、ちょっとスッキリした気持ちになった。けれど次の瞬間、私は後悔した。『そうすね』『たしかに』顔色も変えずにそんな言葉をくれると思っていた財前が、思いの外わかりやすく驚き、黙ってしまったからだ。


* * *


私と財前は、別れた。
別れを提案した瞬間の彼の反応に、すぐに冗談だよと言いたくなった。傷つけたと思ったから。だけど財前はそれより先に「先輩が、そう言うんなら、それでええです」と言って帰ってしまった。遠ざかっていく背中を追うタイミングを逃し、北風の吹く冬空の下私は一人になった。翌朝になっても、恋人になる前からゆるく長く続いていたラインもこないし、もう同じ場に集まる学生じゃない私達を繋ぐ細い糸は完全に切れてしまったらしい。
別に、そこまで恋愛に依存するタイプではなかったし、私が言い出した事だから泣き腫らしたりとかはなかったけど、何をしていても彼が頭にチラつく。会社でお昼を食べている時、電車に乗って帰る時、自宅でお笑い番組を見ている時、どんな時にも財前は、私の脳の片隅に生きている。私がこんなふうになっている瞬間、財前は何しているのだろう。駅からの帰り道で、彼に似た背格好の人を見つけたけど、それは財前ではなかった。その瞬間の、ああ違った という期待が萎んでいく悲しさに、私はようやく、彼の事を、ちゃんと好きだったな、と思った。


* * *


「はいはい、ホワイトデーのお返しでーす」3月12日が今週最後の平日で、一足早めのホワイトデーのお返しを社内の先輩達から貰った。そこそこにいいチョコレートにはしゃぐ女性社員達。私も例外では無く、明るくお礼を言って受け取ったけれど、有名ブランドのロゴの入った紙袋を見ると、自分がねだった高級チョコのことを思い出してしまう。落ちた気持ちで艶消し素材のシックな紙袋を片手に退社すると、スマホに丁度連絡が来た。画面に表示されていたのは数週間程連絡を経っていた『財前』の文字で、どきりと大きく心臓が跳ねる。慌てて通話ボタンを押し、耳に当てて「もしもし」というと、「今、大丈夫すか」と掠れた低音が聞こえてきた。私のよく知る、彼の声だ。


「……バレンタイン、貰っといて返さないっちゅうのもアレなんで。家寄って今、置いときました。高いチョコ」


まさか、こんな形で返してくれるとは思わなかった。てっきり時効になってしまったと思った恋が、こんな形で微かに紡がれていた。「待って財前、」カンカンカンと彼の背後からは踏切の音が聴こえてくる。私の自宅からまだそう離れてない事を察知して、「今帰るから、まってて」と言って、私は通話画面を閉じた。


電車で30分、ようやく自宅アパートについた。三階の自室の前には人影はなく、ドアノブにパリッとした黒い紙袋がかけてあるだけだった。帰ってしまったのかな、と思い急いで彼に電話をかけると思いの外あっさり繋がって、「はい」と応答した彼の声が聞こえた。


「ごめん、どこいる?今家についた…」


辺りを見渡しても財前はいないし、電話口からは車の通る音が聞こえて、もう彼は帰ってしまったということだけがわかった。ドアノブにかけられた紙袋を手に取り、広げ、中にあった箱の赤のベロアリボンを解くと、お願いした通り宝石みたいにツルツルしたハートのチョコが顔を出した。「…高いチョコ、ありがとう。美味しそう」一粒手に取り、口に含むと、甘酸っぱいベリーとカカオの味が広がった。ちょっと息がしにくいのは、鼻が詰まっているせいだと思う。私、花粉症じゃないのに。「………財前、ごめん」玄関のドアも開けず、私はその場に座り込んだ。彼が残してくれた最後のプレゼントを摂取しながら、鼻を啜った。私はあの時、想像ができていなかった。私と彼が一緒になる未来だけじゃなくて、私の人生に、十年近く存在した彼がいなくなってしまう未来を。


「私、馬鹿だった。財前がいないと寂しいよ」


温い涙粒がスカートに染み込んでいく。応答のなくなったスマホをいつまでも耳に当てながら泣いていたら、「…せめて家入ってから言うてください」真後ろから声がした。振り返って見上げると、そこには帰ったはずの財前がいて、くしゃりとコンビニのビニールを歪ませる音を立てながら私の横にしゃがんだ。「待ってろって言うてましたけど、普通に寒いんでコンビニ行ってました」そう言って袋から温かい飲み物を取り出すと、一つ私にくれた。私はそれを受け取りながら、「帰ったかと思った…」と呆気に取られて言った。財前はそんな私を見てちょっと笑いながら「手、出して」と言った。言われた通りに差し出すと「そっちやのおて、」ペットボトルを受け取った左手と、私の膝に広がったチョコの包装用リボンをするりと引き抜いた。何が起こるかもわからぬまま私はただじっと彼の事を見ていた。骨張った財前の指がリボンをとると、私の薬指にシュルシュルとリボンを巻いていく。仕上げにちょこんと可愛らしい蝶々結びをされて手を離され、私の左手は今、特別なものになった。


「やっぱ俺も、先輩を手放す気なくなりました」


せやからこれ、予約です。そう言って財前は視線を逸らした。私は角度を変える度色味の変わる薬指のリボンを見つめてそれから、財前の赤くなった耳を見た。「…ようやるなぁ」いつだか彼が私の友人に吐いた、馬鹿にしたような台詞を呟くと「こんくらいは、まあ、普通やろ」と言って、彼は小さく咳払いをした。それがどうしようもなく愛しくて、思わず飛びついて抱き締めると、同じぐらいの力で抱きしめ返された。心地よい温もりに包まれながら、私は彼といる穏やかな未来を、想像していた。




ガラクタの石がお似合い





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