「マネージャーとして入部しました。名前は…」


それは昨年の春の出来事。春風と共に彼女はうちの部にやってきた。肌が真っ白で、ちっこくて、ほっぺただけが桜のような薄ピンク。一所懸命自己紹介をしたその子に、俺は一目惚れをした。可愛いかったのだ。顔のつくりがとかそう言うのではなくて、纏う雰囲気とか、仕草とかが、とにかく自分のツボをこれでもかと言うほどついてくる。「…おぉ、よろしゅうな!」自分では止められないほどバクバクと音を立てる心臓に静まれ、静まれと頭の中で言いながら、握手をしようと手を出した。そっと握られた手の暖かさを、ずっと覚えていようと決めた。「学校どこやったん?俺は…」どうでもいい情報を押し付けるようにベラベラと喋った自分は、今思えばかなり浮かれていた。そんな事知らない初めて会った彼女は、ふんふんと素直に最後まで話を聞いていた。その顔も全部可愛かった。可愛い可愛いと自分の中だけで消化する日々が続き、やがて桜は散り、夏が来て、秋が来て。何事もないまま俺たちは部を引退してしまった。
丁度その頃、風の噂で俺の好きなあの子には、彼氏が出来たときいた。


「忍足先輩、お世話になりました!」


何にもしなかった、自分が悪い。悲しいほどよく晴れた卒業式の日に、俺は好きな子から大きな花束を貰った。「おおきに」初めは一つ結びだったのに。噂を聞いた頃から彼女は髪を下ろすようになった。サラサラの色素の薄いロングヘアは死ぬほど良く似合っていて、けれど、この子の恋人もそう言ったのだろうと思うと前の方が良かったと言いたくなる。醜い嫉妬だ。


「忍足先輩は、明るいイメージなのでオレンジのブーケにしました。入部した日、たくさんお喋りしてくれましたよね」


私、すごく嬉しかったですと彼女は綺麗に笑った。俺がただ、あの日君に近づきたくてした下心を、こんな綺麗な花束にして返してこないでくれ。「お元気で、また遊びに来てください」誰にでも言っているであろう最後のメッセージが、どうか俺だけに向けた私信であればよかったのにと思った。



* * *


「え?そうなんか。おん、えーよ気にせんで」


休日に遊ぶ約束をしていた友達が、都合で急に来られなくなった。既に待ち合わせ場所である駅の時計広場にいた俺は通話を切り、時計を見上げてから今日一日をどう過ごそうかと考えていた。別の友達を呼ぶか、それとも本屋にでも行くか…そうだ、英語の単語帳を新しくしたいと思っていた。進学した高校は、すこし背伸びしただけあってそれなりに授業のペースが早かった。休日も予習復習をしなければならない生活に慣れてきた頃、久々に取り付けた約束だったのに。一呼吸置いて、歩き出そうとした所で、パタパタとこちらへ慌てて駆け寄ってくる人がいた。俺の真横に立ち当たりをキョロキョロと見渡すその子は、誰かに似ていた。いや、似ているなんてもんじゃない。「えっ」「あっ」いきなりその子がこちらを見るから驚いた。釣られて大きな声を出してしまったから、目を逸らすには手遅れだ。

「忍足、先輩?」

目の前のショートカットの彼女は間違いなく俺の名前を呼んだ。ということは、この子は、やはり、あの子だ。「か、髪どないしてん」あまりにもバッサリ切ってしまったから驚いた。「切りました」そんな事は見ればわかる。突っ込む前に彼女のスマホが鳴って、彼女は俺に会釈して電話に出た。まさかこんな所で会うなんて。卒業式で別れてから数ヶ月しか経ってないけど、私服のせいと髪型のせいで殆ど知らない人みたいだ。それでも心臓が蘇ったようにドキドキと動き出すのは、俺が彼女を忘れきれていない何よりの証拠であった。短く通話を終えた彼女は、なんだか残念そうにスマホをしまい、俺を見上げた。


「来た意味無くなっちゃいました」
「無くなったて…」
「友達、風邪で来れないみたいです」


そう言って彼女はふぅと溜息を吐いた。それから俺の事を上から下まで見て言った。


「…忍足先輩は、これからデートですか?」
「ちゃうちゃう。…ちゅうか、そういうそっちこそ……」


話の流れで言いかけて、知りたくない事を知ろうとしていると思った。けれど濁した言葉は彼女には伝わってしまって、でも彼女は「いませんよ、そんな人」なんて言って笑った。いないって、別れたって事か?目に入った新鮮なショートヘアが、気分的なものなのかどうかは知らないけれど。偶然知ってしまった事実に素直に機嫌の良くなる自分がいた。

それから何となく、暇人同士互いの買い物に付き合ったりする流れになった。可愛い私服の後輩を連れて、一緒に店を周るのは、それはそれは楽しい時間だった。予定より一冊多く買った参考書は小さな見栄だった、努力している自分を見てほしいという。彼女はそんな事何にも知らずに、「進学校は大変そうですね、すごい」と言ってくれた。いとも簡単にテンションが跳ね上がった。上機嫌で今度は彼女の行きたがった雑貨店へ行き、アクセサリー探し。貝殻と星のモチーフのついたイヤリングを耳に当て、「どっちが似合うと思います?」なんて聞かれてしまって、これは幸せすぎる夢かと思った。どっちも可愛い、買ってやろうか?そう言いたい気持ちは山々だが、そんな事をしたら怪しまれてしまうかもしれない。好意は、確かにある。けど、下心のあるいやらしい人にはなりたくないので、やはりしばらく秘密にしておくつもりだ。気持ちをグッと押し込めて、悩んだフリして星を指差す。星は『俺』のモチーフだから。けれど、彼女がそんな事に気がつかぬまま、手元に少しずつ自分のカケラが積もれば良いのにと思った俺は、ちょっと気持ち悪いかもしれない。


「…あ、先輩みて」


ゆっくり歩き回って、昼下がり。ショッピングモールの側では新発売の飲料の販促のイベントをやっているようで、彼女が指差したのはその賑やかしで配られている風船だった。「あぁいうの、昔凄く欲しかったなって、懐かしいですよね」同意を求めるように彼女はふんわりと笑った。雲一つないスカイブルーに、色とりどりの風船が浮かぶ美しい光景に思わず体が動く。


「貰ってきたるわ」


このくらいなら、あげても自然なんじゃないか?そう思ったから、オレンジ色の風船を一つもらって戻った。「はい、手離さんでな」風船には、正しい持ち方があると俺は何となく知っていた。自分が小さかった頃、そうやって持たせてもらったから。当たり前のように透明なテグスを彼女の指にくるくると巻き付けてやろうとして手を取り、その瞬間、子どもみたいな高い体温にデジャヴを感じた。握手を交わした出会いの日の事。「…ありがとう、ございます」自己紹介する、彼女のすこし上擦った声が今ここで蘇り、はたと気付く。さっきまで気をつけていたのに、うっかり簡単に彼女の手に触れてしまった事を急に恥ずかしく思い、『しまった』と思った。なんとなく気まずい空気が漂った。「スマン、自分で持てるな…」そっと彼女から手を離してやると、彼女は巻きかけのテグスを見つめ、それから視線を上へと辿ってふわふわと浮かぶオレンジを見た。


「…私、これ宝物にします」
「宝物?そないに風船欲しかったんか」
「そうじゃなくって」


彼女は風船を見ていた目を、今度は俺に向けてきた。風に揺られた切り揃えられた短い髪が頬を掠める。「私、先輩に彼女がいると思って諦めたのに」彼女が何の話をしているのか、突然の台詞に追いつけない。


「…俺、彼女なんておれへんよ」


まずは勘違いを解こうとそう言ってから、遅れて彼女が放った最後の言葉の意味を拾った。え、それって、いつ…色んな聞きたいことがぶわっと頭に溢れてくる。都合の良い解釈は恥ずかしいけれど、一瞬そうかもと思ったら後はもうその通りに体は反応して、じわじわと頬に熱を持たせていく。対する彼女も、自分と同じように濃い桃色に染まっていくので、このチャンスを今度こそ逃すものかと思った俺は、今の精一杯の感じで聞いてみた。


「も、もう……それ、諦めたん?」


ああもうこんなんじゃなくって。ずっと君が好きだったって、そう言えば進めるかもしれないのに。慎重に、弱気に、わかりにくく探ってしまう自分は変わっていないようだ。次の彼女の台詞が聴けたら、今度こそ俺は勇気を出そう。




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