窓から差し込む陽射しが眩しくて目が覚めた。体制を変えてみようと寝返りを打って、思考停止。目の前には長い睫毛の青年が気持ち良さそうに眠っていて、しかも彼は何も纏っていない。よく有る漫画のような展開に瞬時に汗が噴き出る感覚がした。そっと目線を背後へ移せば、今横たわっているベッドの下には脱ぎ散らかされた黒い袴と私のオケージョンドレス達。バクバクと煩い心臓を押さえつけながら、私は必死で記憶を辿った。





『ええ!本当に金ちゃん?本物?』


成人の日の夕方、私はかつての部活仲間に誘われ、繁華街の小洒落た飲み屋に顔を出した。たまに会う間柄の仲間達と気兼ねなく話していたところへ、成人式を終えたという二個下の後輩が合流するという連絡が入った。「金ちゃん、もう全ッ然違うで見た目」「多分一番背ェデカいんとちゃう」「めっちゃゴツくなっとる」可愛い弟のように接してきた後輩は、ずいぶん発育がよろしいようで、未だ交流のある部員達は口々にその凄さを説いてくる。「どうしよ、タイプだったら持ち帰ろうかな」「やだ、ふしだら」…なんてふざけていたら、ついにご本人登場。優に180センチは超えるであろう体格の良いイケメンが、ピシとした袴姿に身を包み立っていた。

(え、だれ?)

頭の中でそんな言葉を浮かべた矢先に「久々やなぁ!ねーちゃん」なんて声を上げたから、間違いなくこの人はあの子なのだと思い、そして一目で心を掴まれた。やばい、即決。袴から覗く筋肉質な腕、いくら飲んでも回らない酒の強さ、変わらぬ愛想の良さ、全部が好みど真ん中。『男らしくて、少年ぽい人』がタイプだと周囲に話して3年。ついに見つけてしまった、理想の人を。


「ワイ、ねーちゃんの隣座りたい。ええやろ?」


端っこの席からチラチラ視線を送り続けて一時間、ついに彼は私の隣を指名した。「もちろん!」最高の気分で、隣の忍足を追いやりこちらへ来るよう座布団を叩くと、忍足は白い目で私を見た。「お前なぁ、いっつも金ちゃんファーストが過ぎるねん」中学時代から私は可愛くて強い金ちゃんに激甘だったと自覚はしてる。けれど、今私を動かすのは当時の彼を愛でる母性本能ではない。初めて会ったも同然の、自分好みのイケメンとお喋りしたいという、ただそれだけの不純な気持ちのみだった。「ねーちゃん、もうほっぺた真っ赤やん」指摘された頬はお酒のせいか、昂る気持ちのせいかわからない。楽しそうに自分の頬を指差し、ケラケラと笑う彼に自然とときめいてしまった。

「金ちゃん本当に大きくなった」
「せやろ?自販機とおんなじくらいあんねんで」

大きな猫目は私を迷う事なく射抜く。少し着崩れた袴の胸元がなんだか無性に色っぽい。「今日はワイ、ねーちゃんに会える思てめちゃくちゃ楽しみにしてきてん!」しかし屈託のない笑顔はあの頃と変わらなくて、私の中に浮かんだ邪な気持ちを沈めていく。「私も、会えて嬉しいよ」側にあったグラスを手に取り、浮かれた気持ちで、彼と乾杯を交わしたが最後。

そこから、今日までの記憶がゴッソリ抜け落ちていた。



* * *



もぞもぞと体制を整える私の気配に気付いたのか、隣で眠っていた後輩は目を覚ました。薄目を開けて、目を擦る彼をドキドキしながら見つめたら「おはよう」そう言った瞬間、彼は私のおでこに気安くキスを落とした。カッと熱くなる頬と柔らかい唇に触れられたおでこを押さえ、離れていく彼の顔を見上げると、満足そうに微笑んでいた。見た事のない優しげな瞳に恥ずかしくなって布団を口元まで手繰り寄せると、ポンポンと頭を大きな手で撫でられた。


「…あ、あかん。今何時?!」


むくりと起き上がり近くにあった下着を素早く身につけると、ドタバタと慌ただしく身支度をする彼。成人式の次の日も、何か予定があるらしい。いや、その前に、この状況をなんら驚く事なく受け入れている彼の様子が不思議だ。どうやら潰れたのは私だけだったらしい。「あの…」なんで私はこの見知らぬ広い部屋にいるのか、どうして君は今私にキスをしたのか、色々聞きたい事はあったのに、あっという間に支度を終えた後輩はリュックを背負い、最後に一度だけこちらを振り返った。


「鍵、テーブルにあるから!出かける時使うてや!」


いってきます!と元気な声を出して彼は出て行ってしまった。残されたのは素肌を晒す私と、脱ぎ散らかされた服達。ここは彼の家なのだろうか?ていうか何駅なのだろう?手にしたスマホには安否を確認する仲間達からの連絡が数件。昨日再開した後輩にお持ち帰りされた、なんて。彼のキラキラとした過去を知っているからこそ後ろめたすぎて、とても言い出す事が出来なかった。



* * *



一人で暮らすには広すぎるマンションを出て、鍵をポストに入れ、地図アプリを駆使してようやく自宅へ帰ってきた。自分の家から割と遠いその駅から最寄りへつくまでの間、これからどうしようとそればかり考えていた。お酒のせいで頭痛が消えない。鈍い痛みに耐えながらそれからの一日をぼんやり過ごし、夜8時。電話がかかってきた。着信主は、例の後輩だ。


「もしもし?」
『帰ってしもたん?!』


第一声は驚くような声色で、焦ったようにそう聞かれたので、「え、だって鍵…」と言ったら、電話越しにバタバタと物をどける音が聞こえてきた。慌てた様子で家内を移動する様子が浮かんだ後、バタンと大きな扉を閉めた音が聞こえた。


『そっち行ってもええ?』


そっちって、家のこと?「と、遠いよ?」まさか本気で来る気だろうか。返事を待つ間も彼が自宅の鍵を閉めているであろう音が電話越しに聞こえてくる。彼の家は駅からも割と離れていたし、冬の夜は寒い。それに、何のために私の元へ来ようとしているのだろう?「へーき!なんちゅう駅?」動揺する私をよそに彼の声は明るい。もう頭は痛いし、すっぴんだし、部屋は散らかってるのに、私は何故かうっすら期待をしている。「…西四天王駅」朝初めて出会った、彼の優しい眼差しを向けられることを。






「ねーちゃん!きーたーでー!」


通話を終えてからしばらくして、インターホンの音が鳴った。大きな声と連続で鳴らされる呼び出し音に慌てて玄関へ向かうと、真冬の凍てつく様な空気と共に彼は立っていた。本当に来た。電車乗車時間分とちょっとしか経っていないのに、最寄り迄の道は走ってきたのだろうか?目が合うや否や彼は私を腕の中に引き込んで、真っ直ぐ上からキスを落とす。「…会いたかった」しばらくして唇を離し、愛しげにそう呟く。私、今、このイケメンにキスされた?トキメキ耐性のない私には衝撃がもの凄い。「…と、とりあえず中入って。寒いね」冷たくなった上着を指先で引っ張ると、その手は簡単に彼の手の中に収められた。距離感ゼロの彼の仕草にいちいち驚いてしまうのを、全く気にせずどんどん彼は私を侵食していく。ドキドキしながら二人して手を繋いで玄関を通り、狭いリビングへ入るとキョロキョロと辺りを見渡され恥ずかしくなってしまった。


「あ、これ今日や」


指さす方に視線を向けると、テレビでテニスの試合のダイジェストが流れていた。新成人スポーツ選手特集と題されたそのコーナーで、赤髪の青年がずば抜けた身体能力で動く。「ちゃんと勝ってきてんで。えらい?」ニコニコしながら私の顔を覗き込む。今日、朝家を出てから、彼はちゃんと試合に行っていたのか。卒業以来初めてメディアを通して見る光景は、何だかすごく不思議だった。「…えらい」用意していた紅茶を出しながらきかれた言葉に合わせて返すと、嬉しそうに笑った。


「せやからご褒美欲しいねんけど」
「ご、ご褒美?」


上着を脱いでハンガーにかけ、無地のパーカー姿になった後輩が紅茶を飲みながら聞いてきた。バイト代で生活してる私に何が買えるだろうか?なんて思ったも束の間、彼は向かい合った私の肩を押した。一瞬の出来事、後頭部に添えられた手が床とくっつく瞬間ゆっくり引き抜かれ、私は押し倒される格好になった。何が起こったか、勢いと脈絡のない行動に驚いて理解が追いつかない。見上げた先の可愛い後輩は、八重歯が僅かに覗く悪い顔をしている。

「ま、まって待って待って」
「あかん?」
「いや、私、え、なに」

昨日といい、今朝といい、今この瞬間といい。私は一体、君とどんな関係なのですか?流されまくって聞けなかった言葉を、混乱しながら途切れ途切れに吐き出せば「ワイのやろ?」と当然のように彼はケロッと言い放った。次いで頭に浮かんだいつから?の問いに応えるように、彼はウキウキと話をする。「昨日の夜、飲み会の帰りに言うてたで」そんな、まさか。「せやから、昨日の夜から、ワイはねーちゃんのやし、ねーちゃんはワイの!な?」そう言って無邪気に笑い、唇を塞がれた。ふわっと薫る柔軟剤のような香りが私を襲う。いつの間に重ねられた手のひらは、指先を絡められて自由を無くした。深いキスの嵐に脳が溶けていくような感覚を感じながらも、私は必死で息をするタイミングを探していた。


『金ちゃんがかっこよくなっちゃって、つらい』


息苦しさの中、突然自分の声が聞こえた。ボヤけた記憶が浮かび上がる。


『何がつらいん?』
『自分好みのイケメンになっててしんどい』
『ねーちゃんも可愛いで』
『ほんとに?』
『うん』
『…じゃあ、抱ける?』


どうしてこのタイミングで、記憶が戻って来るのか。とんでも発言をしたのは私の方だったのだ。『ええよ。ねーちゃんが、ワイのになるなら』自宅マンションを前にして、街頭に照らされた彼は確かそう答えた。始まりの合図でキスした彼は、随分と大人っぽく見えたっけ。断片的に浮かぶそれからのあれこれ。恥ずかしくて死にそうになっている私からようやく唇を離し、彼は最後の確認をするかのように私の目を見た。


「大人になったら、お酒のせいではなしやで。白石が言うてた」


二十歳を超えても素晴らしい教育をしてくれたかつての部長に、逃げ場を潰された。きっと目の前の彼は優しいから、今やめてと言えばやめてくれるかもしれないけど。今度は素面で、大人になった彼に溺れてみたいと首に腕を回したから、彼は一瞬驚いたように目をひらき、そして嬉しそうに笑った。



ロングアイランド・アイスティー





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