遠山先輩、とは。

いつ部活を見に行っても、声が大きくて死ぬほど強くて、人一倍動き回っていたので常に私の視界にも入っていた。可愛い顔をしてるけど、中学時代は入学早々他校のヤンキーをボコボコにしめたという恐ろしい噂もあるし、背も高く筋肉質な体型、目立つ長髪の赤髪、指定外の豹柄インナー。印象を一言で言えば、『野蛮な野生児』だった。


そんな先輩と私は、先日からお付き合いをしている。きっかけは、罰ゲームだった。今から3分以内に目があった人に告白する、というもの。運悪く私は、曲がり角で走ってきた先の人物とぶつかってしまい、それを実行せざるを得なくなった。話した事もない後輩に突然、付き合ってくれませんか?と聞かれたら当然、付き合う?どこへ?なんて言われておしまいだと思ったのに、意外にも遠山先輩の返事はちゃんとしていた。「付き合う、て、ワイと?」大きな目をパチクリさせて、自分を指さす背の高い先輩。ここで引き返せば良かったのに、間近で初めて観た先輩の可愛らしい顔に見惚れて、私は思わず頷いた。驚いたように声を上げて私を観て、それから先輩は明るい返事をくれた。「おん、ええで!」さて困った、どうしようか。




「名前おるー?飯食お!」


気が付けばもう二週間ほど、私は『遠山先輩の彼女』をしている。最初の方こそ先輩のマシンガントークに時折口を挟んでネタバラシからの交際解消を試みたが、それはなかなか難しい事だった。
けれど接触チャンスだけは充分にあった。先輩は毎日昼休みに私の教室を尋ねてくるし、放課後も予定が無ければテニス部の練習を待つよう言う。ちょっと会いすぎじゃない?と思うし、こんなテニステニステニステニス漬けの先輩が自分を優先しようと言い出したこと自体が、意外だった。今日あったこと、お弁当のこと、調理実習のこと…殆ど食べ物の話題だけど、飽きないように沢山喋りかけてくれる。目をしっかり合わせて、私の答えを待ってくれる。嵐のように接近してくるくせに、お日様みたいな穏やかさを時折見せる遠山先輩に、着々と惹かれゆく私がいた。


「たまに練習観に来てたやろ?あれってワイの事観てたん?」


屋上でお昼ご飯を食べながら、遠山先輩が興味津々に聞いてきた。あれは、クラスメイトと何となく流れで、イケメンだと有名な財前先輩を観に行ってたんだけど、まさか顔を覚えられていたとは。驚きながらもこの状態でそれは言い出せず、ゆっくり頷いて反応を見る。「てことはーめっちゃ前から見てたやん!それやったら早よ言うてや」ニコニコとご機嫌そうに笑う遠山先輩。「あぁ…すみません」何故か謝ってしまった。


「ええで。ワイ、勘違いしとったし」
「え?」
「財前とかー、誰かのファンなんやろなって思っててん」


ズバリ、言い当てられてドキッとする。「いや、別にそんなんじゃ…」箸を持つ手に無意識に力が入った。視線を逸らして卵焼きを口に運ぶと、少し間が開いてから遠山先輩が「ずっとな、」と切り出した。咀嚼する口元を隠して慌てて先輩の方を見たら、目を細めてこちらを見ていた。大きな体で膝を抱えて丸くなっている先輩は、猫みたいで可愛かった。


「話してみたいなーて思っててん。なんて名前なんやろうなぁとか、どんな声してんねやろとか。なんでやろ?他の人にそんなん思ったことないねんけど、めっちゃ不思議やろ?」


せやから今が夢みたいやなぁ、と言って遠山先輩は私の肩にかかった髪に指先で触れた。先輩の言葉は真っ直ぐで、触れられたのは感覚のない場所なのに、頬をなぞられたかのようにくすぐったくてドキドキした。今までの彼氏だって、こんな風になった事なかったのに。あっという間に真っ赤になった私を、先輩が見つめた。柔らかな空気の中で、獲物を逃さんとする、鋭い目つきに思わず唾を飲んだ。


「…ちゅうしてもええ?」


返事を待たず、先輩は私の頬に唇を寄せた。一度目のキスの後目を合わせて、何も言えなくなった私を笑い、今度は唇にキスをした。「あ」「え?」「ええって言われる前にしてもうた」ハッとしたように言う先輩が可笑しくて笑った。私、もうちゃんと先輩の事、好きだなぁ。返事の代わりに目を瞑った私の頬を、先輩は大きな手で優しく包んだ。









私と遠山先輩のお付き合いはそこそこに順調だった。最初は呼び出しの度、心配そうに私を見ていた友人達も「幸せそうでなにより」と言ってくれるようになった。私にも、周りにも、よく知らない怖い人だった『遠山先輩』は、一途で正直な愛情表現をする人に印象を変えた。


「今日部活休みやから!たこ焼き食うて帰ろ!」


嬉しそうに昼休みに伝えに来てくれた先輩。その約束を私もワクワクして放課後先輩の教室の前で待っていたら、「あ」通りかかった誰かに声をかけられた。振り向くと遠山先輩より少し目線の低い位置、涼しげな目元をする財前先輩が私を見ていた。


「……遠山と付き合うとる?」


あの無口でかっこいいと有名な財前先輩が、自分に話し掛けていると認識するまで数秒かかった。「っ!はい!」先輩、こんな声なんだ。ていうか、私達のこと、知ってるんだ。他学年の先輩にも知られている事になんだか恥ずかしくなって、驚きながらも返事をすると、財前先輩は白い紙切れを私に差し出してきた。「これ、渡しといてくれる?」部活の予定表らしい。私はそれをはいと返事して受け取り、シワにならないよう折り畳んだ。思ったより優しく話してくれた財前先輩の好感度は、少し上がった。財前先輩がそれを見届けて立ち去るタイミング、丁度遠山先輩のクラスから終礼の声が聴こえてきた。


「遅なった〜堪忍!待った?」


教室のドアから待っていた明るい声と共に制服姿の先輩が見えて、自然と笑みが溢れた。「大丈夫です」近寄ってきた遠山先輩の顔を見上げてそう言うと、なぜか遠山先輩は黙った。何だろう?珍しく発生した間に不思議に思いながらも「これ、部長さんから」先程託されたプリントを渡すと、瞬時にいつもの先輩が戻ってきた。「おおきに」鞄を下ろして仕舞い込もうとする先輩のつむじが見えた。(…なんか、元気ない?)珍しい姿に心配したけど「…ほな行こ!」顔を上げた先輩が手を差し出してくれたので深くは考えずその手を取った。








いつものたこ焼き屋さんで買い物をして、近くの自然公園のベンチに二人で並んで座った。先輩と付き合い出してから、買い食いの回数が格段に増えた。体重が気になるけど、楽しいこの時間を捨てるのは惜しい。横で大きな口を開けてたこ焼きを頬張る先輩を見たら、シュッと締まった顎から首のラインがとても綺麗で、こんなに食べているのに、全く太らないなぁと見惚れてしまった。それから、なんとなく先輩の長くて綺麗な赤髪とか、ゴツゴツして関節だけ太い指とか、自分の体とは全く違う先輩をつくり出す全てがなんだかとても綺麗に思えた。


(さわって、みたいなぁ なんて)


自分でも驚くほど大胆な気持ちが産まれてしまい、居た堪れず私は向こうを向いてお茶を飲んだ。


「そや、この前行く言うてたケーキ屋どやった?」


いつも通りの雑談を投げかけられ、私は慌てて咳払いした。「あ、写真があるんです…えっと」スマホを開いてカメラロールを探る途中、うっかり操作を誤ってかなり昔のページを開いてしまった。先輩と付き合う前の、私の思い出の写真達。恥ずかしいので急いで最新のページに戻そうとスクロールしている途中で、一緒に画面を眺めていた遠山先輩が声をあげた。
「…今の、財前やんな」
「え?」
先輩の指摘に、思考を巡らせる。あ、たしか、友達から送られてきた体育祭の先輩の写真があった気がする。この一瞬のサムネイルだけでそれを見つけたのと、初めて聞く低い声色に驚いて顔を上げると、真顔の先輩が私を見ていた。


「…なんで、名前が財前の写真持ってんの?」


突然変化した空気を感じた。「確かあれ、友達が」なんとかしてこの場を収めようとしたけど、先輩の口から次に出てきた台詞は「…名前、財前が好きなん?」だった。疑う様な言い方をされ、喉がつんと傷んだ。ショックだったのだ。明るくて、陽だまりみたいな先輩に、そんな言い方をされたのが。


「違います だって私…遠山先輩が好きだから」
「ホンマに?」
「はい」


私の返事からしばしの沈黙の後、困ったような先輩の声が届いた。「…ホンマのホンマに?」「はい…!」先輩は寂しげに眉尻を下げ私を見ていた。悩み事なんて無さそうに見える先輩のこんな姿、初めて見た。意外な一面に驚きながらも、私は少しでも誠実な気持ちが伝わってほしいと、必死で学ランの裾をギュッと握った。しばしの見つめ合いの後、上から「わかった」と先輩の声が降ってきた。


「ほんなら、今 ギューってしてもええ?」


先輩は結局私を信じると、答えをくれた。自分の姿の映る先輩の大きな黒目を見て頷くと、思った通り全身痛いくらいの力で包み込まれた。

(今日の先輩、なんか、)

まるで縋りつくように力を込められた腕から、私は弱った小さな先輩の分身を見つけてしまった。それがどうしようもなく愛しくて、しばらく黙って抱きしめられていると、固く結ばれていた先輩の腕が少しゆとりを作ってくれた。その隙間から私も腕を伸ばして背に回すと、先輩は大きく深呼吸をした。「あれは友達が昔…本当違うんです…消します」それでも遠山先輩は、うん、と言って手を緩めない。「…何でやろ?今日、廊下で二人が話してんの見て、急に嫌やなって思ってもうた」今日の待ち合わせの場面を思い出し、元気のなかった先輩の姿を浮かべた。


「もっともっとギューってして、ワイだけのモンにしたいなぁ」 


切なげな声が、私の心臓を締め付ける。私が先輩の暖かさを、心地よく好きだと思っているのと同じで、きっと先輩も、こんな私を今どうしようもなく好きなんだ。同じ気持ちだから、わかってしまう。心を満たされたくて、触れ合う手が離せないこと。もっともっとと底無しに触れたくなること。


「……していいですよ、」


膨らみ色づく初めての感情。「それって、ワイでええってこと?」再び抱きしめられる力は強くなった。サラリと肩につく長さの赤毛が視界に入る。
(私、最初この人の事を、恐いと思ってたのに、どうしてこんなに好きになっちゃったんだろう)
返事の代わりにそっと髪をかき分け露わになった首筋に唇を寄せてみると、ピクリと先輩の体が揺れた。ゆっくり離れていく体、熱を持った目で私を見つめる先輩がいた。


「めっちゃ好き。大事にするから」


頷いた私の手を引いて、先輩は自宅への近道をやや足早に歩いていくのだ。



溺れる太陽





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