「歳下って、どう思いますか?」


歳下の、いつもライブに来てくれるファンの女子生徒に急に聞かれて、ユウジは固まってしまった。「どうって…何?」そう返すとひざを抱え込んで小さく丸まっていた背中は更に丸みを帯びて揺れた。ゆうらり、ゆうらり、前後にゆっくり動くダルマのような彼女を見て続きを待ったが、彼女は何も話そうとしなかった。「なんやねん、今の」痺れを切らしたユウジが彼女の髪を軽くはたくと、びくりと肩が跳ねて動きが止まった。「……忘れてください、今の」やや間があって返ってきた言葉に、勘の鋭いユウジは何かを感じ取って、喋れなくなった。

(…は 何や今の 絶対自分の話やん)

気まずい。それがユウジの本音だった。
彼女は一年ほど前から自分達のお笑いライブを観に来てくれるようになったファンで、毎回出席しステージ後は感想を直接言いに来てくれたり、差し入れをくれたり、非常に熱心に応援してくれるのでユウジは少しずつ心を許すようになった。そのうち大きなライブで使う音源なんかは彼女がうまくいじって持ってきてくれるようになったりして、自然な形で彼女は二人の間に溶け込み、ファンでありながら専属スタッフのような、そんな立ち位置となっていた。今日も次の学園祭のステージの話を三人でしていた所で、小春が席を外し二人になったタイミングだった。

正直、彼女の事は、どうとも思っていない。ファンであり、ビジネスパートナーとしか見ていなかったから。どう思われているとも思っていなかった。こんな質問を二人でいる時にぶつけてくるなんて、自分の事を彼女はそういう目で見ているのでは無いだろうか。一瞬のやり取りでそう勘づいたユウジは、気まずさから無意識に彼女から視線を逸らして小春の帰りを待った。それが、昨日の出来事。


今日もまた同じように打ち合わせの約束をしていた。やや気が重いが仕方なくユウジが目的の教室へ辿り着くと彼女の姿はなく、相方だけが待っていた。「今日名前ちゃん、補習やから来いへんって」ユウジは少しほっとした。緊張が緩みやたら饒舌になっていく。「補習?鈍臭すぎやろどんだけ授業聞いてないねん」椅子を引いて腰掛けると、目の前の小春は「まあ、それは建前やと思うけど」と意味深に笑った。どういう意味だ?不思議に眉間に皺寄せたユウジに小春は言う。


「あの子、頭ええのよ」
「は?そうなんか?」
「せやで。しょっちゅう上位成績者に貼り出されとるわぁ」


ユウジは昨日の、全く上手くない駆け引きをしようとした彼女を思い出して、意外だと思った。普段のゆるりとした雰囲気からしても、特別知性を感じたことはないし、『思ったよか凄いんか』と正直に思った。そんな様子をみた小春は、「ユウくんはマネする子以外も、もう少し周りに興味持ったほうがええわ」と言ってふうと息をついた。「…ほな、何で嘘って知っとるん」何も言えなくなったユウジは、言われたばかりの『興味』を作り出した。興味なさげに机に肘をつき、窓の向こうの秋空を眺めながら。小春はニヤリと笑い、椅子から少し腰を浮かせて顔を近づけ、声を潜めて言った。


「呼び出されとるみたいよ、サッカー部のイケメンくんに」


今頃告白でもされとんのとちゃう?楽しそうに話す小春。対するユウジは、体勢こそ変えなかったが、僅かに目の開きを広くしたきり固まってしまい、相槌すらしなかった。



* * *



「ユウジさんって 告白された事あります…よね」


この前の質問と同じく二人きりの教室で、彼女は聞いてきた。ユウジがネタ帳に落とし込んでいた視線を向けると、彼女は下を向いてほんのり桃色の頬をしている。いつものあっけらかんとした平和な表情が変わるその瞬間が、何故かわからないが妙にいらいらした。ユウジは冷たく「ない」と答えた。


「え…ないですか?」
「今言うたやろ、ない」
「へーなんか、意外っていうか、そう、なんですか……」
「お前はあるんか」


意外そうに言葉尻小さくなっていく彼女に噛み付くような質問をすれば、頬の赤みは色濃くなった。先日小春から聞いた『イケメンの呼び出し』をその瞬間思い出して、ユウジは後悔した。余計な事を言ったと思った。何も知らない彼女はおずおずと「どういう人なら、オーケーします?」と更にユウジに聞き迫った。

(どういうって、こいつまさか、オーケーするか悩んどるんか?)

聞いた瞬間、ユウジの機嫌は露骨に悪くなった。あれだけ分かりやすく勝率を探ってきたばかりのくせに、彼女はもう駒を変えようとしている。『歳下ってどう思います?』あれは自分の勘違いだったのか?どちらにせよ、ユウジは、自分の気持ちを自分で決められないような女子が、元より死ぬほど嫌いであった。「小春」随分とぶっきらぼうな声が出た。「小春。それしか付き合わん」目も合わせずそう言って、大きな掌でネタ帳を閉じたユウジに、彼女はユウジをようやく怒らせたと気が付いた。「そうですか、すみません」慌てて小さな声で謝る彼女の声が聞こえて、ユウジの胸には小さな罪悪感が芽生えたが、どうにも戻れずしらばっくれた。



* * *



文化祭当日。
午前からスタートするユウジ達のお笑いステージは三年目ともなると物凄い盛況っぷりで、立ち見でもかなり遠くの方まで人がいっぱいになる程だった。始まる前からその様子を確認出来て満足気に口角を上げたユウジは、ぐるりと全体を見渡してからあることに気付いた。
いない、彼女が。
いつものライブなら最前を取る彼女が、大きなステージなら自分に近い上手側の席を取る彼女が、今日この場のどこにも見えない。おかしいと思いつつも入場のアナウンスは響き、ハッとしてユウジは自分の仕事に集中を戻した。結果午前の部は大成功。卒業前に相応しい華やかな笑いのステージを飾った後、午後のステージまで暫し空き時間が出来た。

(あいつ、どこ行ったんや。初日の大ステージやぞ?どこでサボっとんねん)

ギラギラと輝くジャケットを脱ぐ事も忘れ、ユウジは不機嫌に校舎内を早足で歩いた。ここでもない、あそこでもない、クラスにもいない。思いつく限りの場所全て探しても見つからない彼女。「普通、こんな大事な日にとぶか?」屋上へと続く閉鎖された外階段に座り込んだユウジはブツブツ言いながら膝下を揺すった。高いところから下を見やれば先程自分がいた屋外ステージが見えて、カップルコンテストの真っ最中だった。
もしや。ユウジの頭にふと浮かんだのは、彼女があの日迷っていた事を、現実にしたらという事だった。恋人が出来たから、自分の元には来なかったのではないかと。可能性としては充分有り得たし、よくよく考えたらその方がなにかと都合の良い事は多かった。自分はきっと、彼女の気持ちに応えてやれない。これまでみたいに漫才は二人でやっていけばいい。何より、彼女の自分で選んだ答えが、一番だと思ったから。


(まあどうでもええけど) 


脚は段差に、上半身だけ踊場にゴロンと倒してコンクリート階段の天井を見れば、ユウジはにぎやかな地上の文化祭と切り離された存在になった。彼女の消えた様々な理由を並べ納得したものの、心にぽっかり穴が空いたような気がしていた。細く溜息を吐いていると、視界の端に上の階から降りてくる誰かの足が見えた。こんな所に人がいたのか。気まずくも急いで起き上がれば、そこから降りてきたのは探していた彼女だった。ユウジは驚いて目を見開いた。


「シータかおまえは」
「冴えてますね、寝起きでも」
「プロやからな」


へらっと笑った彼女の笑顔を見たら、胸が温かく満たされていく感じがして、そんな自分自身にユウジは戸惑った。戸惑って、慌てて彼女の後ろ、横を目をギョロギョロさせて確認してから「彼氏とおるんちゃうんかい」と悪態をついた。返答次第では自分はこれから彼女に刺されるような思いをするかもしれないと、うっすら感じていた。ところが彼女はにこにことしたまま首を振り、「やめました」と言った。「は?」「彼、私にとっての『小春さん』ではないので」意味のわからぬ比喩にユウジは彼女を目を細めて見た。そんなユウジの隣に彼女はちょこんとしゃがみ込み、「今から言う事、忘れて下さいね」と切り出した。


「私、ユウジさんが好きでした」


何か吹っ切れたように、スッキリとした明るい声で話す彼女。相変わらず予期せぬタイミングでの接近だが、これまでと違う真正面からの告白に、ユウジは言葉が出ず、黙って彼女を見続けた。


「正直、二番手でも、三番手でも。気に入られたら、タイミングさえ合えばチャンスがあると思ってたけど、先輩は『一番じゃなきゃ付き合わない』って言いましたよね。そういうの、カッコいいなって。私、ユウジさんにとっての『小春さん』には多分一生なれないので」


真っ直ぐにユウジを見つめる少し茶色い潤んだ瞳。数日前、教室でもじもじと手の内を探ろうとしてきた彼女が幻のように思えた。


「諦めます。先輩を」


邪推な気持ちで、ずっと近くで応援しててごめんなさいと言って薄く微笑んだ彼女は、ゆっくりと立ち上がった。「あ、ライブ面白かったです。ここからでも見えましたよ」捨て台詞のようにそう言って、一つ二つと段差を降りていく。茶化すタイミングも失い沈黙を貫いたユウジの頭は、最後の『諦めます』のフレーズでいっぱいになっていた。 

(ええんか、これで)

ユウジの体を動かしたのは、そんな自身への問いかけであった。数段下を降りて行こうとする彼女の肩を力任せに掴み、振り向かせた。バランスを崩して小さく悲鳴を上げた彼女の腰を反対の手で支え、まるで抱き着くような形で二人は止まった。至近距離で視線がぶつかり、心拍が跳ねる。喉を鳴らしたユウジは無意識のうちに彼女を支えた手の行方に気付き、スルスルと移動させて触れていても不自然でない、彼女の両肩を掴んでもう一度目を合わせた。鋭い眼光にいつもと違う雰囲気を感じ取り、涙の滲む瞳の彼女もやや緊張の面持ちでユウジを見た。


「辞めんな」


自分は何を言っているのだろう。ユウジの口から出た予想外の言葉に、彼女は呆気に取られた表情をしていた。


「お前みたいな物好き、今更その辺の男で満足出来るワケないやろ。こんな遠くからじゃなくてなぁ、」


ユウジの細長い人差し指は、ここより遥かに下の
屋外ステージを指し止まった。「最前。ど真ん中。そっからもっぺん俺ん事観て、ホンマに諦めるんか考え直せ」ええな、と凄んだユウジを見て、黙って聞いていた彼女は、笑った。「何ですか、それ。客寄せじゃないですか」「アホ。お前がおらんくても満席御礼立見も完売じゃ」「…ユウジさんらしい」緩んだ空気に、彼女は無理矢理笑顔をつくりながら目にうっすら浮かぶ雫を人差し指で拭った。その流れるような動作を、ユウジは『綺麗やな、』と正直に思い、ハッとした。(何を、考えとるんや俺は)居心地の良さから普段気にも止めていなかった彼女の容姿を美しいと感じたのは初めてだった。ここ最近、彼女と居ると、自然と知らない自分自身に出逢っていく。ユウジはそのコロコロと移り変わる感情に時折苛立ち、困惑しながらも、不思議と今 嫌な心地はしていなかった。それどころか、ハッキリと『彼女を失うのは嫌だ』とすら思い出した。


「期待しますよ、物好きも普通の女の子なので」


あの日のように頬を染めた彼女に、ユウジは自分も同じ顔をしているとも知らず「言っとけ」とふんわり突っぱねるのだった。



恋は知らぬ間 落ちるもの





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