「そーいやさ、最近雪男の様子がおかしいんだけど」

午後8時の旧館男子寮の一室、主の片方が不在のこの部屋で、英語の課題に唸っていた燐が突然そんなことを言い出した。あまりに唐突だったため反応出来ない私。おーい大丈夫かー?と目の前でひらひらと手を翳されてやっと我に返った。

「ゆ、雪の?」
「雪男の」
「いつから?」
「先週の土日くらいかなー」

漠然と雪が変だと言われても何と言っていいのかわからない。そう言えば、心ここにあらずってカンジでたまにボーっと手ぇ見て溜息ついてんの、と返ってきた。思いきり私のせいだった。

先週の土曜日といえば、私が化学を教えろと泣きついた日だ。その時に彼の手に触れながらいろいろ零してしまった気がする。まったく、思い出すだけで恥ずかしくなってくる。なんだか顔も火照ってきた。

「小夜子も知らないってなったら、他に誰がいるっけな」
「雪も先生やら祓魔師やらで忙しいのよ。そっとしといてあげましょ」
「そっかな?」
「そうよっ」

だからこれ以上その話をしないで!という意味を込めてぴしゃりと言い放つと、燐は目を丸くして私を見つめた。

「やけに自信満々だな」
「そりゃ、幼馴染ですし」
「何だそれ。でも」
「ん?」
「お前、昔から雪男のこと好きだったもんな」

ごつん。机に頭をぶつけた拍子に部屋中に盛大な音が鳴り響いた。一瞬沈黙が流れると、燐がおずおずと私の方を覗き込んできた。

「おい、大丈夫、か?」
「…………何で」

のっそりと頭を起こす。打ちつけたところが空気に触れてひりひりしたが、そんなのはもうどうでもよかった。

「何で燐が知ってるの!」
「俺はずっと気付いてたぜ?」

鈍さにかけては右に出る者がいないであろう彼にバレているだなんて。てことは、もしかして雪も?!と思ったところで、燐がけらけら笑って言った。

「雪男なら大丈夫だって」
「どうしてわかるのよ」
「うちの弟は鈍いからな!」

絶対大丈夫だ!と胸を張って言い切る燐を半信半疑で見つめながらも、ひとまず信じてみることにした。全く似てないとはいえ双子の兄弟だ。それに加えて兄としての勘も働くのだろう。

にしても、自分でもついこの間隠しきれないと認めた恋心に気付いていたとは。口ぶりからしても随分前からなのだとわかる。そんなに態度に出ていたのか。そう考え始めると、今までの自分の振る舞い全てが気になってきた。

「燐はその、いつから気付いてた?」
「いつからだろーな……もう忘れたけど、いつの間にか、こいつは雪男のこと好きなんだなーって思ってた」
「もうやだ、聞いてて恥ずかしくなってきた……」

自分の恋心が人に知られるのはこんなに恥ずかしいものなんだと初めて知った。なんせこれが初恋というやつだ。自分でも覚えてないくらい前から持っていた気持ちではあるが、認めたのはつい最近。人に指摘される気恥ずかしさなんて初体験になる。

「んで、好きなのかよ」
「……た、多分」
「多分?」
「好きですもう認めます!」
「ま、お前にしては素直になったな」

お前にしてはって何だ、お前にしてはって。そう文句をたれると、燐は苦笑して言った。

曰く、私は中々気持ちに素直になれずに、つっけんどんな態度を取ることが多いらしい。特に雪に対して。もしそうなら、思い返せば出てくる今までの可愛げのない行動諸々は全部気持ちの裏返しとやらではないか。

「ね、何で燐はそんなに知ってるの」
「それはほら、幼馴染だし、今までよく見てきたからよ。弟に関係あることでもある訳だし」

そう言った燐は"兄"の顔をしていた。こんなお兄ちゃんを持てて、雪は本当に幸せ者だ。兄弟のいない私は彼を少し羨ましく思った。

「小夜子は今のままでいいのか?」
「どういうこと?」
「告白しようとか付き合いたいとか、そういうの思わねーの?」

そんなの思ったことない、訳がない。でも、そうするには今の関係が悪化してしまうリスクもあるということで、それを考えるとどうしても足踏みしてしまうのだ。私は誤魔化すように曖昧に笑って言った。

「そういうのはいいの」
「いいのか?」
「今が心地良いから」

胸に走る痛みなんて無視して笑う。すると、眉間に皺を寄せた燐がおもむろに立ち上がり、私の方に歩み寄って来たかと思うと、わっと振り上げた手をそのまま私の頭に落とし、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。

「わっ、り、燐!」
「うっせー少し黙れ」
「髪、ぐちゃぐちゃになる」
「我慢すんな」

唐突に落ちた言葉にはっと息を飲む。同時に燐の手の力も弱まり、次第に撫ぜるような仕草に変わっていった。

「泣きそうな顔で笑うな」
「……そんな顔してないもん」
「してる」

自分を繕ったところで、彼には全部お見通しなのかもしれない。だからこんな、乱暴な手つきにも温かさがあるんだろう。私は俯いたまま頭の上を行き来する燐の手を取った。剣を振るせいで豆だらけになったその手は、彼の弟のそれにとてもよく似ていた。

「ねえ、燐」
「なんだ?」
「私、燐も大好きよ」
「……おう」
「雪も大好き。でも、燐の好きと雪の好きは全然違うの」

これが恋、なのかな。

そう問い掛けると優しい熱が頬に触れて、静かに伝う雫を拭い取った。

「ああ、お前はどうしようもないくらい雪男が好きなんだよ」



こんなの恋じゃないのに
言い聞かせてももう遅い


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最後の台詞が割と気に入ってます。燐いい子。兄貴な燐が好きだ。

2011.11.01
(up:2011.11.14)