雪がいなくなって、半年が経った。表向きには留学したことになっているらしく、直後はそれなりに騒ぎになったが、1ヶ月も経てばそれまで通りの生活に戻っていた。

奥村くん奥村くんと騒ぎ立てていた女の子達も、今じゃすっかりなりを潜めていた。彼を忘れてしまったんじゃないかと思うくらいに。彼女達の前で雪の名前を出しても、そういえば留学したんだっけ?という答えが返ってくるくらいだ。それがどうにも虚しくて、寂しかった。この間まで彼を追い掛け回していた女の子達の中で、心から奥村雪男の帰りを待ち侘びている子が、一体どれだけいるだろうか。

私も大分現状に慣れたとはいえ、時々どうしようもない寂しさに襲われることがある。

物心ついた頃からずっと一緒だった。一緒にいるのが当然だった。そんな彼が突然いなくなって、今まで通りの日々が送れる程、私はしっかりした人間ではない。彼が好きだと認めて間もなかったから、余計に。普段周りに悟られないように強がっているせいか、一人になった時にどっと押し寄せる波に涙を流すこともあった。

連絡さえ取ってない。勿論私も雪も携帯電話を持ってるけど、最後の勇気が出せずにいた。話したところで、何を口走ってしまうかわからない。帰って来てほしいとか、寂しいよとか。

好きだ、とか。

雪がいなくなってからというもの、その気持ちは日を追う毎に大きくなっていた。変わることが怖いから何も伝えないと決めたのに、今はこの状況を変えたいと切望している。

離れてみて、改めて思い知らされた。私は雪がこんなにも好きで、彼の傍にいたいとこんなにも強く願っているのだと。そして、今の関係に区切りを付けたいと思っているのだと。

思い返せば、私達は"幼馴染"という言葉で互いを縛りつけていたんじゃないだろうか。それ以上にも以下にもならないように。臆病であるが故に、"幼馴染"以上になることすら諦めていた。でも、もう諦めるのは止めにしようと思う。雪が好きだから、今より近い場所で雪と一緒にいたいから。

雪が帰って来たら、それ以上に進めるように努力しよう。そのためにも、彼が好きだと言ってくれた笑顔でいたい。彼を笑顔で迎えられるように。私は突き抜ける青空を真っ直ぐ仰いだ。

「待ってるよ」

空は何処までも続いている。願わくば、この声が彼に届きますように。



ざあ、と風が唸った瞬間、不意に後ろから抱き締められた。誰が、と考える前に感じた身に馴染んだ匂い、ごわごわとしたコートの感触、それからたくさん傷のついた掌が見えて、思わず目を見張った。

私は、これが誰だか知っている。

半ば呆然としながら肩越しに振り返ると、見慣れた黒髪が目に入った。

「ただいま、小夜子」

耳に心地良いテノールが体中を包み込む。全身がじんわりと温かくなって、涙腺まで緩んで、私は声が震えないよう気を付けながら彼の名前を呼んだ。

「ゆ、き……」

どうして、いつの間に、任務は?とか、聞きたいことは山程あったけど、今は何よりその存在を感じたかった。私は体ごと後ろを向いて、雪の胸に飛び込んだ。

「小夜子、泣いてるの?」
「泣いてなんか、ない」
「嘘、声震えてる」

そう指摘しながらも、優しく抱き締めてくれる。腕の中の温もりが更に涙腺を刺激するものだから、まだこうしていたいという気持ちに抗うように、少し体を離して顔を上げた。

「ほらやっぱり。目潤んでる」
「う、煩いなあ」

泣いてないわよ、ともう一度言えば、彼は仕方ないとでも言いたそうな笑みを零した。

「ねえ、何でこんなとこにいたの?」
「……なんとなく」

こんなとこ、というのはいつかに来た旧館男子寮の屋上だ。雪がいない間、彼の影を求めたくなってはここに来ていた。今日来た理由もそれだけど、恥ずかしくて言えたもんじゃない。

「そういう雪はどうして?」
「うーん、小夜子に会える気がしたから、かな」
「な、」

真っ先に此処に来たんだよ、と言いながら見せる綺麗な笑みに何も返せなくなって、私は必死に言葉を探した。

「任務はどうしたの? 2年は帰って来ないって燐に聞いてたのに」
「その予定だったんだけど、聖騎士の部隊が片付けちゃったらしいんだ。僕としても何て言うか、拍子抜けで」

大した任務でもなかったし、と眉を下げて苦笑する雪が向こうに行く前と何一つ変わってなくて。彼が無事だったことや帰ってきたことより、そのことが嬉しかった。ほっと胸を撫で下ろしていると、雪の表情が少し曇った。

「謝らなくちゃね、小夜子に」
「え、どうして」
「兄さんに聞いたろ?」

−−笑って待っていてくれ。

すまなそうに顔を歪める雪を見て、ヴァチカンに行ってしまう時に彼が燐に残した伝言のことだとわかった。

「あんな形でしか伝えられなかった自分を今でも情けなく思う。でも、あの言葉に嘘も偽りも無いから」
「雪」

だんだん深くなっていく眉間の皺を解すように人差し指でつんとつつけば、彼はきょとんと目を丸くした。どこか幼さの滲むその表情に、私はふっと笑みを零した。

「おかえりなさい」

待っていたよ。心配したんだから。帰って来てくれてありがとう。一番に会いに来てくれてありがとう。

大好き。

出来る限りの笑顔を浮かべて、胸に宿る想いを全て乗せて言葉を紡ぎ出す。口にしたのはたった一言だけど、私の言いたいこと、伝えたいことは届いているだろうか。やっぱりちゃんと言うべきなんだろうか。これ以上ない程柔らかい顔で微笑む雪を見ていてそんなことを思った。

「あの、私、雪に言いたいことが」

次の瞬間、言い終わるか終わらないかの内に、私はまた雪の腕の中に誘われた。再び訪れた温もりにびくっと心臓が跳ねる。今日だけで何回この感覚を味わっただろう。鼓動が速い。この音は多分、雪にも聞こえている。

「ゆ、ゆき、今度は何」
「黙って」
「ちょっと」
「暫くこのままでいさせて」

切なさを帯びた声色に何も言えなくなる。恥ずかしさで今にも死にそうだ、と私は心の中で叫んだ。

それでも、包み込む腕は温かくて、肩越しに見える空は気持ちいいくらいに晴れ渡っていて。こういうのを幸せと呼ぶのだろうか、などと一人思いながら、私はそっと雪の胸に擦り寄った。



(好きだよ、小夜子)
(雪、大好き)



言葉なんて期待してない
もう伝わってるから


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驚異の没テキスト3つ。難産でしたがようやくラスト1話まできました。すごく曖昧に見えると思いますが私なりの着地点です。さあ、最終話いくぞ!

2011.11.27
(up:2011.11.29)