「……どうしよ」




トランクの中を漁れるだけ漁って、小さく呟いた。いつもは口うるさいリリーのお陰で秩序が守られているこの部屋も、あたしの物が散乱している状態だ。トランクも気が付けばすっからかん。それでもあたしはまだ悩んでいた。




「もういや!助けてリリー!」
「まだ決めてなかったの?1週間前からずっと言ってたじゃない」
「だ、だって、だって」
「はい、落ち着いてね」
「時間がないー!」




そうこうしてる間に待ち合わせの時間まであと15分を切っていた。「10時に談話室ね」と約束したのはあたしの方だ。これで遅刻なんてしたらどう思われるか。今更かもしれないけれど、マイナスイメージがつくのは嫌だ。




「仕方ないわね。どれにするの?」
「一応この服なんだけど」




ばさ、とベッドの上にあたしの一番のお気に入り、深緑色のタータンチェックのワンピースを広げた。前のクリスマス休暇の時に買ったばかりのものだった。




「これにブーツ合わせてコート羽織って完成ね。髪型は?」
「アップにして団子かな」
「任せてちょうだい!さ、そうと決まればちゃっちゃと着替える!時間無くなるわよ」
「やっばい」




ネグリジェを脱ぎ捨て、急いでワンピースを掴み取る。他の子には悪いけど、部屋の片付けは今日を乗り越えてからにしよう。




「着替え終了!」
「OK、次は私の番ね」




後ろから楽しそうな鼻歌が聞こえてきても、あたしの心臓は鼓動が早くなるばかりだった。








「よっス」
「……よ、ス?」




猛スピードで階段を駆け降り、約束していた場所まで走ると、いつも通りの余裕を湛えた笑顔でシリウスは立っていた。人でごった返す中でも、一際光るその存在感。今日この人と出掛けるのかと思うだけで、心拍数は急激に増した。




「時間ピッタリか。ちょっとくらい遅れると思ってた」
「馬鹿にしてる?」
「違ぇよ。女って支度に手間取って待たせるモンじゃねえの?」
「そんなずぼらな人間じゃないわ」
「はは、そうだよな。悪い」




憎まれ口が返って来るかと思いきや、割とあっさり認められて反応に詰まる。ただでさえ緊張でどうしたらいいかわからないっていうのに。




「ね、ねえ、今日他の皆は?」
「ジェームズはピーター連れてエヴァンス探しに奔走するってよ。リーマスは体調不良で留守番」
「大丈夫なの?!」
「チョコレート食べときゃ治るレベルだよ。んじゃ、俺らも行くか」




人の流れがだんだんと外へ向かうのを見て、シリウスは楽しそうに言った。何度も行ってると言えど、ホグズミード行きの度に胸が踊る心地になる。それは彼も例外でないらしく、瞳がきらきらと無邪気に輝いていた。








今日もホグズミードは愉快な町だった。ハニーデュークスからはお菓子の甘い匂いが誘うように漂ってくるし、ゾンコでは店先で悪戯道具の実演販売をしていた。加えてこの寒さ、バタービールが恋しくなる。




「なあ、ローズ」
「何?」
「いつもどんな店行ってんだ?」




偶然会った事はあっても、一緒に行動した事は一度もない。まあ、リリーが断固としてジェームズと同じ空間にいる事を拒むため仕方ないのだが、この質問はシリウスの気遣いなんだと受け取れた。




「えーっと、大体ハニーデュークスでお菓子買ってから角の雑貨屋さんに行って、本屋さん覗いて、バタービール飲んでから帰る」
「完璧なスケジュールだな」
「シリウスはどうなの?」
「俺か?一日中ゾンコに入り浸って、締めにバタービールかな」




悪戯グッズを試しながら、ああでもないこうでもないと言い合う仕掛人達の様子がリアルに想像出来てしまう。そんな予想通りの解答にあたしは思わず吹き出した。




「何でそこで笑うんだよ」
「ううん違うの、ホントに悪戯が好きなんだなって思って」
「まーな」




シリウスは口の端を吊り上げて言った。端正に整った顔立ちが更に魅力を増す、その笑顔。綺麗すぎて腹が立ってくる。




「スリルを楽しむのも限度を守ってやりなさいよ」
「平凡な日常にスパイスを、な。まあ今日は一日お前に付き合うよ」




どちらから参りますかお嬢様、なんてふざけた姿にも見惚れそうになる。それが妙に悔しくてあたしは平静を装ってハニーデュークスの向かいにある雑貨屋の名を言った。








「……ねえ、シリウス」
「……何だよ」
「この店似合わないわね」
「うるせえ」




あたしたちがいるのはアクセサリーコーナーで、それが更に違和感を醸し出している。周りを見ても女子のグループかカップルしかいない。今のあたしたちも恋人同士に見えてるのだろうか。考えるだけで顔が熱くなった。




「別のトコ行こっか?」
「いや、別にいい」
「目立っちゃうけど」
「今日は付き合うって言ったろ?」




そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど、周りの注目を集めているのは確かだった。学校一のハンサムが女と二人でこんな店にいるのだから当然だろう。何か、悪い事したかな。

微かな罪悪感を抱きつつ、気に入りそうな物を探す。早いとこ見つけてバタービールでも飲みに行こう。そう考えた時だった。




「−−あ」
「どうした?」
「な、何でもない」




咄嗟にそれを手の平で覆って隠す。何でそうしたのかわからないけど、あたしは注意を背けるように店の隅を指差した。




「あっち、本棚あるから行っといでよ。珍しい本とかいっぱいあるし」
「へえ。ちょっくら覗いてくっか」




悪戯に使える本があると思ったのか、シリウスは興味津々といったようにそちらへ向かった。ふう、と息をつく。そして手の中にあるそれをまじまじと眺めた。




「うわあ、高い」




一目惚れしたそのリングは、学生の小遣いでは中々買えないような値段だった。どうにか出来ないものかと財布の中を見ても、この先切り詰めてもやっとである事は間違いなかった。

光の加減で青や灰色に輝く珍しい石にどうしようもなく惹かれた。シリウスの瞳と同じ色だったから。

欲しい、けどな。

またいつかお金が貯まってから買いに来よう。そう自分に言い聞かせて、あたしは渋々リングを元の場所に戻した。




「ローズ」
「ふえ?!」
「おいおい大丈夫かよ」




いきなり背後から声を掛けられて思わず奇声を発して飛び上がる。シリウスは苦笑しながら続けた。




「欲しいモン見つかったか?」
「あー……ううん、あんまり。大体見たし、次の店行こうか?」
「悪い、俺これ買ってくるわ」




"妖精魔法の使い方"と書かれた本をかざしながら、シリウスは悪戯っぽく笑った。聞かなくても本の用途はわかる。フィルチをからかうのも程々にね、と言ってあたしは一足先に店を出た。








それからハニーデュークスでこれでもかというくらいのお菓子(7割はリーマス注文のチョコレートだ)を買ったり、生まれて初めてゾンコの悪戯専門店にも案内してもらったりして過ごした。時間が過ぎるのは早くて、三本の箒を出た頃にはもう夕暮れ時だった。




「やっべえマジで重い」
「そんなに買い込むからでしょ。一体何に使うのよ」
「新しい爆弾の開発」
「返品。今すぐに」
「フィルチ相手にしか使わねえよ」




そう言ってシリウスはケラケラと屈託なく笑った。いつもならここで悪態の一つでもつくのだけど、今日はそんな気分じゃなかった。




「おっと、忘れるとこだった」
「どうかしたの?」




荷物を無造作に置いて、コートのポケットを探る。目当ての物を見付けたのか、薄く笑みを刷いた顔がこちらに向けられる。ほらよ、という声と共に何か白い袋があたしの方に投げられた。




「開けてみろよ」




促された通りに可愛いピンクのリボンをするり、と外す。




「、これ!」
「ずっと見てたろ?」
「そうだけど、何で?!」




手の平に落ちたのは、さっき一目惚れしたリングだった。値段を見て諦めたそれ。あたしは信じられないといったようにシリウスに詰め寄った。




「欲しそうにしてたから驚かせてやろうと思ってさ」
「だってこれ高くて、だからあたし諦めたのに」




反論しようと口を開くと、しっと仕草で諭された。




「素直に受け取っとけ」




シリウスは軽くあたしの頭を撫でると、足元の荷物を持って再び歩き出した。これは夢なのかもしれない。何がなんだかわからなくなって、でも、手の中にあるリングの冷たさは現実のものだった。




「あ、ありがと!」




まとまらない頭をフル回転させて、精一杯の感謝の言葉を紡ぐ。返って来たのは予想外の言葉だった。




「いいじゃん」
「へ?」
「その髪型」




(初めて、橙色の夕日に感謝した)






呆れるくらいに君を想う