「気安くシリウスに近付かないでくれる? 目障りなのよ、あなた」
「……は、」




いきなり腕を引っ掴まれて人気のないところに連れ込まれ、何事かと思いきや発せられたのはそんな言葉だった。滅多に人の立ち寄らない北塔の裏。目の前にはけばけばしい装いをした6年生のお姉様方がいて、あたしは隠す事なく顔を顰めた。呼び出された用件にも苛ついたが、いろんな香水の入り混ざった匂いにも苛々していた。どうすれば制服なのにこんなに目に悪い格好が出来るのだろうか。あたしは行き過ぎたお洒落の破壊力を改めて知った。




「ねえ、話聞いてるの?」




ぎゃあぎゃあと喚き散らしてばかりだったのに、恐らくリーダーと思われる女の人が声を低くしてそう問い掛けた。質問に対する答えは勿論ノーだが、ここで反抗したらどうなるかくらいあたしにもわかる。でも嘘をつくのは何となく嫌だったから、あたしはとりあえず何も言わないでおいた。




「何とか言いなさいよ」
「……はあ」
「生意気な女ね! だから、あんたみたいなのはシリウスに合わないって言ってんの!」
「身の程を知りなさいよね」
「大体、彼も何でこんな女に構うのかしら。勉強くらいしか取り柄なんてないのに」
「意外と見る目なかったりして」
「やっだー!」
「私たちで目を覚まさせてあげなくっちゃねえ」
「………るさい」




うるさい。




「はあ? 何か言った?」




多少のやっかみは我慢してきた。今までも何度かそういう目にはあってきたから。でも、直接聞いたのは初めてだった。−−付き合ってる訳でもないのに、そんな事言わないで。そう反論したところで聞いてくれる人は殆どいないだろう。多少の壁は覚悟していたし、面倒事が起こるのだけは避けようと、ずっと我慢しようと思っていた。




でも。




「煩いって言ったのよ!」




もう我慢の限界だ。




「いい加減にしなさいよ! あんたこそ何様のつもり? シリウスの恋人? 家族? 友達でもないでしょうが! なのにあたしが何であんた達に指図されなきゃいけないの?! 揚げ句の果てに彼の事まで否定する始末ですって?! 馬鹿馬鹿しい! あたしが彼とどう付き合おうとあたしが彼をどう想っていようと関係ないでしょ! 放っといてよ! あーもー苛々するわね!」




流れる沈黙。静かな空間にあたしの息継ぎの音だけが響く。彼女達は何も言い返せない様子で肩を震わせていた。あたしだって、言われっ放しやられっ放しは性に合わない。やり過ぎたかな、とは思ったけど、後悔はこれっぽっちもしていなかった。




「言わせておけば、勝手な人ね!」
「勝手なのはそっちでしょ! こんな事、シリウスがあんた達に頼んだとでも言うの?!」
「彼はきっと望んでいるわ! だから私達が代わりに」
「馬っ鹿じゃねえの」




不意に聞こえた、男の声。ここには女しかいないはずで、滅多に人の近寄らない場所なのに。どうして彼の声が聞こえるのだろう。




「俺の代わりに言ってやっただ? はっ、怒りも呆れも通り越して何も言えねえな」




そっと顔を上げてみる。いつぞやと同じように、シリウスが窓から身を乗り出した状態であたし達を見ていた。デジャヴとはこういう事かと一瞬思ったけど、よくよく考えるとあの時のシリウスは楽しそうな不敵な笑みを浮かべていたはずだ。……今はどうだろう。見た事ないくらい不機嫌な、敵意丸出しの視線を彼女達に投げ掛けていた。




「何とか言えよ、おい」
「……い、いつから」
「あんたみたいなのはシリウスに合わないって誰かが言ったとこかな」




女達の顔が一斉に青ざめていく。それもそうだろう。同級生の女と話す事さえ許したくないくらい大好きで大好きで仕方がない憧れの彼が、沸点直前の状態で目の前に立っているのだから。しかも原因は自分達。こんなはずじゃなかったのに、なんて心の声が聞こえてきそうだった。




「あ、あの、シリウス」
「煩ぇよ」




すとん。音も立てずどこか優雅な動作でシリウスは窓枠を飛び越えた。




「お前らみたいな女が、気安く俺の名前を呼ぶんじゃねえ」




これはもう決定的だった。一人が逃げ出すとまた一人、一人と散っていって、リーダーの女は最後まで残っていたけど、シリウスの睨みに耐え切れずに程なくして去って行った。




「ローズ」




そう名前を呼んだシリウスの声は、さっきとはまるで違っていつもの柔らかい声色をしていた。ローズ。もう一度呼ばれたけど何て返せばいいかわからなくて、あたしは口を閉ざして地面を見つめていた。




「返事くらいしやがれ、馬鹿」
「いったい!」




ばちん。指で額を弾かれて、反射的に上を向く。響いた音ほど痛くはない。それよりも合わせてしまった視線を外せなくなった現状の方が問題だった。かお、ちかい。




「何もされてねえか?」
「あ、えっと、うん、特に何も」
「そっか」




そう言って笑ったシリウスの笑顔に心臓が大きく跳ねた。こんなに純粋な笑顔を、初めて見た。




「エヴァンスから聞いていてもたってもいられなくなってよ。すぐ見付かって良かった」
「な、何でここがわかったの? 普通思い付かないわよ、こんなところ」
「んー、愛のチカラってヤツ?」




………………………え?




「だからさ、」




今、何て。




「俺、ローズが好きだ」




…………何て言ったの?




「いつからだとかどんなとこがとか言葉にすんのはすっげえ難しいんだけど、お前が好きなんだ」




頭が働かない。声は聞こえる。でもその言葉の意味を理解するのにどれだけかわからないけどかなりの時間がかかった。つまり、あなたは。




「あたしが、すき?」
「さっきから言ってんだろ」
「いつもみたいにからかってるんなら、それかなりタチ悪い冗談よ?」
「安心しろ、本気だから。……って何泣いてんだよお前!」




気付けばあたしは泣いていた。シリウスはどうすりゃいいんだよ、とか言いながら、本当にどうすればいいのかわからない様子でおろおろしていた。違うの、嬉しいの。そう言いたいのに、言葉が出ない。あたしもどうすればいいんだろう。どうすれば伝わるだろう。そこまで考えて、あたしは思いきってシリウスの胸に飛び込んだ。




「………ローズ?」
「す、き、」




だいすき。




ちゃんと言葉になったかどうか不安だったけど、苦しいまでに強引ともいえる手つきできつく抱き締められた事で、ああやっと伝わったんだ、とわかった。ふわり、とシリウスの匂いが鼻孔を擽る。自分からやっときながらも、慣れないその行為にドキドキが止まらない。彼はそのままの体勢であたしの名を呼んだ。




「俺の聞き間違いじゃねえよな?」
「違うわよ」
「都合いい解釈してもいいよな?」
「言葉の通りだもの」
「あー……やっべ」




俺、超幸せだ。

口から零れたそんな呟きに胸がきゅっと締めつけられて、これが幸せなんだな、なんて事を頭の隅で思った。言葉に出来ない温かいものが全身を包み込む。この温かさを少しでもわけてあげたくて、精一杯背伸びしてシリウスの首に腕を巻き付けた。




(あたしもしあわせよ)






アイラブユーは突然に