「馬鹿でしょあんた」 「せやから、すまんてずっと言うてるやんかー」 「何で待ち合わせ時間の5分前に起きるの! 頭おかしいんじゃない?!」 「間に合ってんから許してぇな! この通り、な!」 「ったく……」 手を合わせて謝罪の言葉を述べる成樹を前に、あたしは深く溜息をついた。 あたしたちの通っているこの山白高校は、もちろん桜上水中よりも遠い。それなりに早い時間に出ないと間に合わない、と言っているにも関わらず、成樹は相変わらず寝坊癖が抜け切っていないようだった。 「ナギがモーニングコールしてくれたら起きれるかもなぁ」 「馬鹿」 「あでっ」 軽くデコピンをかます。あぁ、こういうところが端から見たら恋人同士に見えるのかもしれない。 実際ここに入学してから二週間経つのだが、付き合ってるの?と聞かれた回数は最早数え切れない程にまで達していた。そんな訳ないと一蹴しても、噂は途絶えることは無かった。 「ただの腐れ縁なのにね」 「?」 「凪紗ーーー!」 名前を呼ぶ声がしてもあたしは驚かずにそのまま振り返った。 「朝っぱらから何よ、梢」 「むむ、どしたの、そのしかめっ面」 「あんたの声高いのよ!」 「あはは、ゴメンね。藤村くんもおっはよー」 「おはようさん」 いつの間にかあたしの隣にいた成樹に向かって手を振る彼女、菊池梢。同じA組のクラスメイトで、得意科目は体育、苦手科目はそれ以外と豪語する自称"体力バカ"。この目で見たわけではないが、足がかなり速いらしい。陸上部期待のエースランナーだとか。 「そんなことよりお姉さん! 今日が何の日か知っていますか?!」 「……今日?」 確か、誰かの誕生日でも学校行事でも……ああ、そういえば。 「体力テストだっけ?」 「そう! 盛り上がるがよい! 体育祭の次に大きな行事だ!」 あんたの中で体育祭がどんな位置付けになってるかなんて知りません。というよりも、たかが体力テストでここまでテンションを上げられるものなのか、と違う意味で感心する。 ふと気付くと教室の前まで来ていたようで、あたしは何ともなしにドアを開いた。 「よーっス、姫川に藤村! 今日は祭りだぞ、体力テストだ!」 梢をあのテンションにした犯人を確信した瞬間だった。 久原未来28歳、1年A組の担任にして元Lリーガー。現在はここ山白高校で保健体育の教師をしながら、サッカー部の顧問兼監督をしている。 そんな彼女が教壇の上で足を組んで座りながら、こちらに向かって豪快に叫んでいた。何かもう……頭が痛い。 「お前らには期待してるからな。しっかり頑張ってくれよ!」 「期待してくれてるのは嬉しいんですけど早くそこから降りてください」 「おいおい、もうちょいノってもいいだろ? なあ、藤村」 「ホンマその通りですわ姐さん」 どうして周りはこんな人間ばかりなのだろうか。もうこの場から逃げ出したい衝動にかられてしまった。 「まーまー、落ち着け。期待してんのは本当だからな」 「どうも」 「9時までに着替えてグラウンドに来い。まずは50m走から測るぞ」 「わかりました」 彼女から向けられる視線にはどこか挑戦的なモノが含まれていた。実力を見せてみな、と試されているような。あたしはふっと口の端を吊り上げて、立ち去る先生の背中を見つめた。 「この挑戦は受けて立たななぁ」 「当然。やってやろうじゃないの」 瞳は不敵な輝きに満ちていた。 体力テストはクラスごとに測定順が決まっている。その中であたしたちA組は50m走から測ることになっていた。 他にはハンドボール投げ、長距離走、反復横跳びなどがあり、全ての種目が同じグラウンドで行われる。そのため、他クラスが何をやっているかも一目瞭然。時折起こる歓声と拍手は誰かが驚くような結果を出したサインとなる。それを聞く度にあたしの中の何かがくすぐられるようだった。 「菊池梢、7秒42!」 「イエース!」 測定係の声が耳に届きそちらの方を向くと、拳を握ってガッツポーズを決める梢の姿があった。話に聞いていた通り、足の早さは中々のものだ。 「へえ、やるじゃない」 「負ける気せぇへんやろ?」 「ま、どうにか越せるレベルかな」 そうこうしてる内にあたしの番が回ってきた。ペアが成樹となのは単なる偶然なのか、それとも、あの先生の陰謀なのか。どっちにしろ、成樹と一緒だといつもより速くなるからいいんだけどね。 「ナギ、目標は?」 真っ直ぐ引かれたスタートラインの上に立ち、50m先のゴールを見据えながら成樹があたしに問い掛ける。 「……6秒80」 そう答えたのとほぼ同時にピストルが乾いた音を発した。 周りの景色も、音も、全て後ろに流れていく。 そして、 「姫川凪紗、6秒68!」 どっと歓声が沸く。いつの間やら他クラスの者までギャラリーに加わっていて、何故か先生も数人混ざっていた。 「お疲れサン」 「あ、成樹。何秒だった?」 「5秒88」 「悔しいくらいに速いわね」 「女に負けたらカッコ悪いやん」 ナギもそんだけ走れたら十分やろ、と成樹は笑った。 今でも速いのだろうだけど、スポーツに携わっている限りは現状に満足してしまってはいけないと思う。常に上を目指していくのがスポーツマンというものだろう。(いや、あたしは女だけれども) 「ちょっと凪紗!」 「あら、梢」 「あら、じゃないって! あんた何でそんな速いの?! どうして言ってくれなかったの!」 「どうしてって、別に言う必要は」 「あんたが入ったら陸上部は最強になるもん!」 「ストップ! あたしはサッカー部のマネージャーになるつもりで」 「そんなちっさいトコに収めてたまるもんですか!」 「だ、だからあたしは!」 「いやー悪いな、菊池。そいつはサッカー部に貰っていく」 「久原先生」 あたしが答えるよりも先に、何処からか現れた久原先生が低くそう告げた。 「そいつはうちのマネージャーになるために来たようなものだからな。他のクラブに入部するなんて、何があってもしないさ」 久原先生の言う事に偽りは全くなかった。第一、あたしがこの学校に来ることになったのも、全て先生が言い出しっぺなのだから。 「私がこいつを呼んだんだよ。先輩の話によく出て来た教え子の一人で、興味を引かれてな。その人を介して受験を薦めたんだ」 「そ、そうだったんですか」 「……姫川」 久原先生がその凜とした声であたしを呼んだ。 「私の予想を上回る実力を秘めているようだな、お前は」 「まだまだ序の口ですよ」 口元を不敵に歪ませて、あたしは言った。 「学年トップの成績取れるだけの自信はあるつもりですから」 あたしも、成樹もね。 |