「藤村はいい選手になったな」


不意に話しかけられ、あたしは驚いて肩を揺らした。振り向くとそこにはにこやかに笑う監督と松下コーチの姿があった。

ピッチでは紅白戦が行なわれていて、たった今成樹がゴールを決めたところだった。金色の髪に負けないくらいきらきらした笑顔で、アシストをくれた藤代とハイタッチを交わす彼を見ながら、監督は笑みを更に深めた。


「どうしたんです、いきなり」
「ああ、松下からちょっとお前らの昔話を聞いててな」


君と井上のおかげで藤村は一皮剥けたそうじゃないか。そう言われ、あたしはゆるゆると首を横に振り、その言葉を否定した。


「あたしは特に何もしてませんよ。風祭のおかげです」


あいつが真剣にサッカーと向き合うようになったのは、やはり風祭の影響が一番大きい。あたしや井上がお膳立てしたのは事実だが、その道を選んだのは成樹自身だし、かく言うあたしも、風祭将という人間に影響を受けた一人だ。それなりの努力をしなければついていけないと感じ、U-15選抜合宿のサポートスタッフに選ばれたのを期に将来を見据え始めるようになった。


「風祭、か。懐かしい名前だな」
「そうですね……」


久し振りに紡いだその名に三人して顔を曇らす。怪我で離脱した中学時代の仲間。一時は再起不能になるのでは、と危惧していたが、今はドイツにいる有名な医師の元でリハビリに励んでいる。その医師とうちの父さんが懇意にしているため、風祭の状況は逐一届くようになっている。


「あと1年くらいで長時間のプレイも出来るようになると言っていました。順調みたいですよ」
「そうかそうか。その時は是非ともうちに来てもらいたいな」


藤村との2トップが見てみたい、と監督は楽しそうに言った。桜上水では当たり前だった布陣も、このU-17においては斬新なものに映るのだろう。藤代や真田、鳴海など誰と組んでも成樹は違った成果を発揮する。その可能性が増えるのはあたしもすごく楽しみにしている。


「データを見せてくれないか?」
「えーっと、あ、これです」
「ん、最近全体的に調子が良いな」
「椎名にひやっとさせられたりしましたけど、大丈夫みたいですね」
「あいつは特に心配ないさ」


その言葉から、表情から、椎名翼という選手に対する信頼が見て取れる。ここまで強く感じるのは、今まで監督が彼に寄せてきた思いを知っているから。


「とは言っても心配していたのも事実だ。持ち直してくれてよかったよ」
「ま、凹んでるのはあいつの性に合わないしなあ」
「おかげで楽になりましたよ。サポートする側としても、気が立ってるあいつの相手するのはきつくてきつくて。監督も人使い荒いですし」
「それは西園寺に言う事だろう」
「いや、それはちょっと……なあ」
「言えませんよね」


怖くて、という言葉は既のところでぐっと飲み込む。聞かれたりしたらとんでもない末路が待っているに決まっている。松下コーチを見ると、あたしと同じような笑みを浮かべていた。どうやら思う事は同じらしい。


「っと、こんな話をしに来たんじゃないんだ」
「今頃気付いたのか」
「言ってくれよ、松下」
「何ですか?」
「ああ、今度のU-18W杯に向けての布陣なんだが」






「皆お疲れ様。ドリンクあっちに置いてあるから」


公式でないとはいえ、45分ハーフの試合はさすがに疲れるようで、ベンチ周りでは倒れ込む者が続出していた。負けず嫌いばかりが揃ったせいか、公式試合よりも仲間内の練習試合の方が熱くなる事が多々ある。今回もそうだったようだ。その結果が2−2のドローだったのだからすごいと思う。バランスが良いというか何というか。


「今日の布陣、どうだった?」
「見てる分には安定してたわ。3トップってあんまり使わないけど、意外とテンポ良かったし」
「監督は採用してくれるかな?」
「んー、多分ね。あの人面白い事好きじゃない」


そう言うと、山口は嬉しそうににかっと笑った。その笑顔があんまり爽やかで無邪気だったものだから、あたしは思わずふっと噴き出した。


「な、何で笑うんだ?」
「嬉しそうだなって思ってさ」


彼はU-17においても屈指のプレイヤーだ。センスも技術もずば抜けていると言っていい。勿論、サッカーに対する愛情もそれ相応のものを持っている。一言でまとめると"サッカー馬鹿"なのだが、その言葉が誰よりも似合うのが山口だ。かと言って勉強が出来ないのかと言われれば決してそうではなく、むしろ上位に組する方らしい。加えてこの人の良さ。


「俺さー、山口先輩って絶対モテると思うんだよな!」
「おお、ありゃ天性のタラシや」
「うん、それはあたしもそう思うわ。って何であんた達がここにいるの」
「神様って不平等だよな!」
「一物も二物も与えよってな!」


肩に重みを感じて交互に見遣ると、藤代と成樹の顔があった。この二人の組み合わせだとろくな話題にならない事は今までの付き合いから理解している。あたしは諦めて彼らの話の輪に引きずり込まれた。


「あの人見てたらさー、非の打ち所がないってこの事か! って思うワケ」
「あんたの口からそんな言葉が出て来るのが驚きよ」
「ひっでー!」
「ははっ! ナギの言う通りや!」


まあ、よくうちに取材に来るルポライターの朝倉さんなんかは……


「山口くんはね、イケメンなんだけどそれだけじゃないの。好き! この人好き! ってオーラを持ってるの!」


とかなんとか言ってた気がする。別にそういう目で見てる訳じゃないけど、普通に話してる時も、イイ男ってこういうヤツの事なのかな、とか思ったりする。


「でも、うちのチームって大概モテる奴ばっかりでしょ?」
「まーね」
「バレンタインチョコの獲得数は俺が一番多いけどな」
「そうなんだ」
「な、去年は5個差だったろ!」
「それでも勝ちは勝ちや」
「う……」


誇らしげに胸を張る成樹に悔しそうに顔をしかめる藤代。その会話に今の季節を思い出させられて、あたしは盛大に溜息をついて頭を抱えた。


「忘れてたわ、バレンタイン……」
「ん、何でそこで溜息?」
「いろいろ事情があんねん、な」


毎年この時期だけはチョコレートが少し嫌いになる。あの、これ、佐藤くんに渡しといて下さい。そうやっていくつ渡されたかわからない。まあ理由はもう一つあるのだけど、今年はないと信じたい。


「ちょっと待ってよ、もう来週じゃないの馬鹿ー」
「ま、頑張れや」
「何か作って来てくれんの?」
「無理。そんな元気絶対ない」
「ちぇっ、つまんねえの。じゃあ、渋沢先パーイ!」
「ん、どうした藤代」
「俺、先輩のチョコ大福が欲しいんスけど、いいですか?」
「ははは、明後日返却の模試の結果が良かったらな」
「げ」
「…………憂鬱だわ、バレンタイン」
「観念せえや」




退屈は停止する