「くぉらー! 起きろお前ら!」


常人より2倍は大きいアルトボイスが教室中に響き渡る。やばいと思った瞬間、何とも言えない程の衝撃が後頭部を襲った。


「「っ痛〜〜〜!」」
「授業中だぞ馬鹿者! 二人揃ってお昼寝タイムか、ああ?!」


迂闊だった。深夜までパソコンと向き合っていたため就寝時間は午前3時。気をつけてはいたのだけれど、うん、迂闊だったとしか言いようがなかった。

よりによって久原先生の授業。黒板には運動時の怪我の対処法など、既知の事柄ばかりが並んでいる。そのせいで気が抜けてしまったのかもしれない。


「姐さん……コレ、結構痛いで」
「当然の報いだ」


隣を見ればあたしと同じように後頭部を摩る成樹の姿が。どうやらこいつも居眠りしていたらしい。


「ったく、日の丸背負ってんなら相応の自覚を持て! 忙しいのはわかるが、本分を疎かにするな」


と、いう事で。

そこで言葉を区切った先生の口元がにい、と歪んだ。

……嫌な予感がする。


「藤村と姫川は放課後、残って教室掃除な。拒否権はないぞ」
「「えーーー!」」




鳴り響くチャイム、帰路につくクラスメイト、机にかかったサッカーボール。しかし、手には箒。何だか、無性に悲しくなってきた。



「珍しいやん、居眠りなんか」
「3時までデータ整理してたの。最近忙しくて全然出来てなかったからさ。あんたは?」
「酔っ払いの世話しとったら同じ時間なっとってなあ」
「酔っ払い?」
「和尚や、和尚」
「あーそれは、お疲れ」


二人しかいない教室は会話が止むと箒の音しか聞こえない。珍しく静かな空間に新鮮味さえ感じる。


「そういや、姫さんスペイン行くんやて? えらいこっちゃなあ」
「準備は着々と進んでるみたい。高校生でリーガ・エスパニョーラに挑戦、でしょ? 初の試みともあって期待も大きいって」
「ま、あいつやったら押し潰されたりするタマやないわな」
「でも最近プレイにブレが出てきたのよね。あんな椎名初めて見た」


ベタなスポーツ漫画読んでる気分よ、と言うと成樹はホンマやな、と言って屈託なく笑った。若い内から外国の、特にヨーロッパのサッカーに触れるというのは非常に良い事だと思う。でも、同時にプレッシャーが大きいのも事実だ。周りが支えてやらなければいけないのだろうけど、最近不調が重なっているせいで近付きにくいオーラが彼の辺りに溢れてしまっている。


「心配せんでも大丈夫やろ。あの姫さんも男や。何とかしよるって」
「そうだといいけど」


言葉に詰まったせいで語尾が小さくなっていく。単なる好奇心だけど、少しだけ聞いてみたい事が頭を過ぎった。


「あのさ」
「どないした?」
「もし、あたしが海外へ行くって言ったら、どうする?」


本当にそんな話が出たせいもあるのだと思う。だから、答えを聞いてみたくなった。半分冗談、半分現実の話。その気になれば、あたしはいつだって海外へ行ける。プレイヤーとしてでも、多分、トレーナーとしてでも。

始めは成樹も笑っていたけど、あながち冗談ではないと悟ったのか、真剣な面持ちになる。そして。


「嫌や」


とだけ言った。

たったそれだけの言葉にひどく安堵している自分がいて、気付かれないように俯いて嘲笑った。


「何でいきなりそんな事言うねん。まさか、お前も」
「行かないわよ。この間父さんに持ち掛けられたけど断ったし」
「ったく、焦らすなや」
「あら、焦ってくれたの?」


意地悪っぽくそう言うと、成樹は照れ臭そうに視線を逸らす。その仕草が不覚にも可愛くて、あたしは思わず盛大に噴き出した。


「笑うなアホ!」
「ゴメンってば! でも、その、可愛くて……あはははは!」
「こっちも恥ずかしいねん! ええ加減黙れや!」
「おっかしいー!」
「……はあ」


延々と笑い続けるあたしに諦めたのか、成樹はがっくりと項垂れた。仕方ない。さっきのは反則だ。


「でも、ホントなんでしょ?」
「嘘なんかつかんわ。お前がおらんくなるんは嫌や」
「それは、どうして?」


相当突っ込んだ質問に、成樹は吃驚したように目を見開いた。あたしが本当に聞きたいのは実はこの答えだったりする。


「……約束したやん」


成樹は微かに頬を赤らめてそう言った。約束−−それは、あたしたちがまだ出会って間もない頃に交わしたもの。


「ずっとあんたをサポートしていく、か。懐かしいわね」
「3年も前の話やからなあ」
「もう3年前なのね。最近な気もするし、もっと昔な気もする」
「何やそれ」


ケラケラと陽気に笑う成樹につられて、同じような笑みを零す。太陽みたいな、笑顔。あたしはこの向日葵のような奴と何処まで行けるのだろう。何処まで共に歩めるのだろう。


「ねえ成樹」
「おーう」


名前を呼べば、きちんと返事を返してくれる。そんな小さな事が純粋に嬉しくて。


「プロになってもよろしくね」
「当たり前やろ」


窓を吹き抜けていく風に混じる冬の匂いを感じながら、あたしは向日葵のような笑顔を見つめて、また笑った。




白昼夢の輝き