「あ。」
「何、どうしたの?」


女子更衣室に響く間抜けな声。それは正真正銘あたしのもので、鏡を見つめたまま動かないあたしを玲さんは訝しげに眺めて言った。

震える左手でゆっくりと左耳の耳たぶに触れる。何もない。そこにあるはずのピアスリングが無くなっていた。


「どうしよう、ピアスがない!」
「ピアスって、あのシルバーのちょっと小洒落たヤツ?」
「そう、それです! 何で気付かなかったのかしら」
「何処で落としたか覚えてない?」
「昼休みは確かにありました。髪直す時に見たから。でも」


問題はそれからだった。何せトレーナーと言っても監督やコーチ並に忙しいのだ。加えてマネージャー業務も兼任しているため、グラウンド内を走り回る事も少なくない。あの広大な芝生の中に転がっているかもしれないと思うと気が遠くなるのだが、それでも失くす訳にはいかない。


「ちょっと、何処行くの?!」
「探して来ます!」


髪を結ってる途中だという事も、タンクトップ姿である事も忘れて、あたしは更衣室を飛び出した。




ミーティングルーム、救護室、用具倉庫を始め、今日立ち寄った場所を一通り回り、廊下の隅々までもくまなく探す。しかし、直径1cmにも満たない小さなそれは中々見付からない。すれ違った人全員に尋ねてもいるのだが、皆口を揃えて知らないと言うばかりだった。

建物の中は全部回ったはず。となると残る場所は−−


「グラウンドだけ、か」


空は暁色に染まり、日は大分傾いている。あたしは覚悟を決めてグラウンドに向かって走った。




あのピアスは中1の時に成樹に貰った物だった。元々空けていたとかそんな訳ではない。ただ、余ったからという至極単純な理由で片方だけあたしにくれたのだ。

じゃあこれも付けてしまえばいいじゃない、と言ったのだが、ピアスは奇数の方がええんや、と返されてしまった。持っているだけというのも勿体ないし、とあたしはその日の内に左耳に穴を空けた。

次の日、それを付けて行って成樹に大笑いされ、担任を半泣きにさせた事は今でも鮮明に思い出せる。

それからずっと、肌身離さず付けてきた。左耳の軽さも今は違和感でしかないし、別の物を買えばいいとか、そんな話じゃない。あたしはあれじゃないと。




「ない……」


もう30分以上探しただろうか。日はすっかり落ちてしまって、さっきまで赤かったグラウンドも今は夜の闇に染まっている。ナイター用のライトアップを頼んでおいてよかったと思うが、こんなに探しても見付からない事に絶望に似たものを感じる。

諦めかけたその時だった。


「ほら、」


不意に差し出される、手。その上には鈍く光る小さな銀色があった。思わずそれを手に取って、まじまじとみつめる。


「、あたしのだ」
「ったく、大事なモンなら失くしたりすんなよ馬鹿」


聞き慣れた声に顔を顰める。小さく悪態をつくと、その声の主は呆れたように溜息をついた。


「感謝より先に文句かよ」
「か、感謝はしてるわ」
「相変わらず素直じゃないな」
「はいはいどうもありがとうございました水野様!」


ふて腐れたようにそっぽを向くと、二度目の溜息をつくのが聞こえてきた。そんなに呆れなくったって、と内心一人ごちる。それでも、手の中で光るピアスを見ると少し気分も明るくなって、それを左耳に付けながら水野の方に向き直った。


「ねえ、これ何処で見つけたの? 全部探したと思ってたのに」
「シャワールームの前に落ちてた。お前が来るより先に拾ったんだろ」
「そういう事ね。うん、とりあえずありがとう」


戻って来た重さに満足げに笑う。こんなに小さいのに、あるのとないのとでは大違いだった。


「それさ、」
「うん?」
「そんなに大事なモノなのか?」
「当たり前でしょ」


迷う事無く即答する。少し語調が強くなってしまったのも気にする事なく、水野は笑ってそうか、と呟くように言った。その顔がどこか寂しげに見えたのだが、すぐにいつもの表情に戻る。

気のせい?


「つーかお前なんて格好してんだよ」
「へ?−−あ、」


言われて初めて気付く。

普段ポニーテールに結い上げている髪は無造作に下ろしてあるだけで、服装はタンクトップ1枚。ぎこちなく苦笑いすると、水野の顔が一気にしかめっ面になった。


「いや、ちょっと寒いなーとは思ってたけど」
「何で気付かないんだよ……」
「仕方ないでしょ、急いでたの!」
「支度くらい済ませてからにしろ! 西園寺コーチが荷物持って怒ってたぞ」
「え、も、もしかして全部まとめてくれたの、かな?」
「多分な」
「あー……会うのが怖い」


玲さんにこっぴどく怒られたのは、その後の話。




光る鈍色にキスをして