「やあ」
「……何で」
「お?」
「何であなたがここにいるんですか」
「偵察ってヤツさ」


と、目の前の女性はあたしに向かってにこやかに笑いかけた。U-17ナショナル選抜の合宿に来たあたしたちを出迎えたのは、神出鬼没のあの人だった。


「何処にでも現れる癖止めてくれませんか? 驚かされるのに疲れました」
「うわー何だよその冷たい反応。先生そんな教育した覚えないぞ」


呆れて声も出ないとはまさしくこの事なのだろう。あたしは深く溜息をついた。


「あのですねぇ」
「ちょ、姐さん?!」
「ちぃっす、藤村!」


言葉の途中まで言ったところで、背後から唐突に現れた成樹に遮られる。振り返って彼を見てみれば、あたし以上に驚いているようだった。


「何でこんなとこにおんねん! 部活の方はどないしたんや?」
「大舘に全て任せてきた」
「……可哀相やな、大舘はん」


成樹の呟きに激しく頷く。きっと彼女の事だから事前に何も言わずに来たに違いない。溜息をつき、項垂れる大舘部長の姿がリアルに想像出来た。あたしも大概振り回されてるが、部長に比べれば多分なんて事ないように思うだろう。


「それより! あたしは先生がこの合宿に来た理由を知りたいんですけど」
「ああ、それは」
「何? この人山白の監督?」
「すっげー、女の人じゃん!」
「つーか美人!」


またも入る邪魔。いい加減我慢のパロメーターが限界に近付いてきていた。


「お前ら藤代と若菜と鳴海だな。で、後ろにいんのが郭に水野に不破」
「え、何で俺らの事知ってんの?」
「対戦相手のデータくらいは私だって覚えてるさ。玲先輩からも話を聞いているしな」
「玲先輩?」


そういえば、彼らは久原未来を知らないのか、と唐突に思い出す。


「この人、昔オキタ重機に所属していた元Lリーガーなんだよ」


咄嗟のタイミングで椎名がそう言った。まあ当然なのだが、周りからは驚きの声があがる。


「てことはさ、サッカー上手かったりすんの?」
「そうだな。高校生に負ける程落ちぶれちゃいないさ」
「じゃあさ、一回俺と」
「ダメよ」
「……ですよね、コーチ」


これまた絶妙なタイミングで制止の声が入り、玲さんがゆっくりとこちらの方に歩み寄ってきた。


「よく来てくれたわね、未来」
「視察くらいはしてみかったんで良い機会ですよ。この目で確かめなければ戦略は立てられませんからね」


かつてのLリーグを代表する二人の名選手がこうして言葉を交わしている。知っている人が見ればかなりレアで貴重なワンシーンなのだろうな、と改めて感じられた。


「……だってオーラが違ぇじゃん?」
「あー、わかるわかる」
「出来る女がわらわらってな」


確かに、彼女−−久原未来を相手に戦うのは難しいだろう。たとえU-17代表だとしても。

だけど。


「負ける訳にはいきませんからね」


一瞬にして静まり返る空間。見ると久原先生が少し驚いたように目を開き、こちらを見ていた。先の試合を思い描くだけで口の端がすっと上がる。隣に立つ成樹も不敵に微笑み、挑発するようにこう言った。


「絶対に勝ったるからな、姐さん」
「望むところだよ」






そして、合宿の初日が何とか無事に終わった。

普段の合宿でも大概疲れるというのに、あの人、久原先生が来たおかげで余計に疲れが増した気がする。来た時はどうなるかと思ったが、とりあえずは何もせずに帰っていったので一安心、といったところだ。

ということで。


「本日の業務終了ー!」


会議も資料の整理も自分の仕事を全て終えたあたしは宿舎の屋上に来ていた。この施設は比較的山奥に位置しており、真夏の夜でも涼しい風が吹き抜ける。疲れた体を癒すには絶好の場所なのだ。


「ねむた」


ぐっと伸びをして後ろに倒れる。星が綺麗だな、なんて考えていると。


「あ、」
「お前、何してん」


そこにはあの金髪がいた。


「何してんの、成樹」
「それさっき俺が聞いたやん」
「あたしは涼みに来ただけ」
「ふーん。同じやん」
「あら、そう」


けらけらと屈託なく笑いながら、成樹は当たり前のようにあたしの隣に寝そべった。微かに香るシャンプーの香りが妙にくすぐったい。でも、妙に落ち着くのも事実だった。


「ナギー、何か喋れや」
「疲れた」
「話題や、話題!」
「無理。もう疲れた」
「姐さん襲来事件があったからな」


完全に伸びきったあたしに、成樹はどこか哀れみを含んだ表情を見せて言った。それを同情と取っていいのか、最早考えるのも面倒臭い。


「あの人何か言うとった?」
「特に何も。あたしとしては、逆に何も言わずに帰ったから怖いのよね」


弱点を握られたのじゃないか。そんな柄じゃないのはわかっているが、どうしてもその考えに行き着いてしまう自分がいる。まさか、の一言で笑い飛ばせれば楽なのかな。あれだけ強気に返したのはいいものの、久原先生も山白サッカー部もそれなりに強敵である事は間違いない。


「あの姐さんのことやさかい、奇抜なモン仕掛けてきそうやしな」
「おかげでもうシュミレーションに大忙しよ。戦略会議にトレーナーまで呼ぶなんて……」


プロの世界を経験していて、尚且つ指導者としても目の利く彼女に勝とうとするのは、中々難しい事だ。先程の会議でも榊監督でさえ頭を抱えていたのだ。

あたしはどうやら、久原未来という人間を本気にさせてしまったようだ、と改めて気付かされる。もしかしなくてもとんでもない事をしてしまったのかもしれない。


「アホ」
「痛っ」


暫く黙り込んでいると、横からいきなり頭をどつかれた。地味に痛い。


「俺らが勝つに決まっとるやろ」
「……まあね」


横を向くと、そこには不敵な笑顔をたたえた成樹がいて、あたしはその顔を一発軽く殴った。


「何すんねんドアホ!」
「ちょっとムカついただけ」
「人が元気付けたろ思てやったのに……酷いやっちゃなあ」
「あんたに慰められるようなことじゃないわよ」


おでこを摩りながら、成樹はぶつぶつと呟く。かなりむすっとしているところを見るとそこそこ痛かったようだ。あたしはこいつに心配されるくらいらしくない顔をしていたのだろうか。

馬鹿みたい。


「負けらんないわね」
「おうよ」
「ああ、負けたらメンバー総入れ替えだからよろしく」
「はあ?!」
「監督並びに玲さん命令」
「……逆らえへんやん」
「当たり前でしょ」


負けないと思っていても、玲さんの脅しにも近いこの条件は効果を発揮するらしい。横目で成樹の方を見遣れば、少し青ざめた顔をして明日はFW会議やな、なんて呟いていた。


「心配しなくても、あたし達が勝たせてあげるわよ」
「何やー、何か言うたかー?」
「別に! 何でもない」


そんなちょっとした独り言を胸の中に仕舞い込み、上を向いて再び夜空を仰いだ。




宣戦布告