月の綺麗な夜(1/3)

賑わう街、行き交う人たち。桜の花びらが風に舞って、恋人たちを祝福する。目の前に映るのは、楽しそうに並んで歩くとあるカップル。ファイさんと、見知らぬ、女性。




ダァン!と大きい音を立てて、彼女はビールのジョッキをカウンターに叩き付けた。あまりにも大きい音だったのか、クローバーに来ている客の何人かが驚いてこちらを振り向いた。


「どーせ私は冴えない女ですよ!」


と叫びながらえぐえぐと涙を流している。嗚咽もあげて、彼女は泣いていた。


「なまえさん、イッキにジョッキを空けるんはあかんでェ」
「おかわり!」
「今のうちの言葉聞いてた?」


最近よく来てくれるようになったばっかりの、なまえさん。泣きながらイッキにジョッキを空けたのはどうやらやけ酒らしい。


「なあ、ビール空けるよかうちに話した方が楽になると思うで」
「いーの!知らないの!おかわり!」
「やめときィて言ってるやんか」
「やだやだービール飲むのおおお!カルディナちゃんのいじわる!」


ちょっと前にうちの店に来た時は、恋人のファイさんと来たからか、彼女はとても静かにお酒を飲んだ気がする。ましてやこんなに悪酔いするなんて思いもしなかった。ビール!とせびるなまえさんを、うちは苦笑いしてなだめる。


「何があったん?」
「え!?なんにもないよ!」
「何にもあらへんわけないやろ、その様子じゃ。ファイさんと何かあったん?」
「!」


ピク、と肩が跳ねて、図星や、なんてうちが言うと、彼女はまたえぐえぐと泣き始めた。


「だってね、だってねカルディナちゃん!ファイさんってば、ファイさんってば……!」
「落ち着いて話しいや、うちは逃げへんから」
「うわああんカルディナちゃああああん」


彼女の話によれば、ファイさんが買い物に出掛け、暇だからとなまえさん自身も散歩に出掛けたところ、街中で見知らぬ女性と、恋人であるファイさんが仲睦まじく談笑しているのを見たのだそうだ。声をかける勇気もなかったなまえさんは逃げるように家に帰り、逃げるようにクローバーにやってきたのだという。


「ファイさんのこと信じてたのに!!」
「で、なまえさん、逃げるようにうちに来いはったはええんやけど、財布はちゃんと持っとるよね?」
「そんなことよりビールに塩って邪道だと思わない?」
「何話しすり替えとんねん!ツケはお断りやで」
「カルディナちゃんのこと信じてたのに!」

あはは、なんてなまえさんの2つむこうのカウンターに座った客が笑った。


「だってだってだってー!うち5人?6人?でお財布一つなんだもん……お財布ファイさんが持ってたし……」
「せやなあ。でもなあ、うちかてボランティアちゃうし、話くらいならはなんぼでも聞くんやけどなあ、ビールが沸いてきたらええなあ」
「ううっ……」
「ファイさんが財布持ってはるんやったら、ファイさんに来てもらうんが一番やなあ」
「……」


あ、さすがに言い過ぎたかも。
俯いてしまったなまえさん。ぐす、という鼻をすする音が聞こえた。


「誤解かもしれへんで?」
「……ぐすっ……」


ぽた、と涙がカウンターに落ちた。ぽた、ぽた、と水滴が水たまりを作ってゆく。あかん、まるでうちが泣かせとるみたいや。


「ぐすっ……」
「せ、せや!なまえさんビールやなくて、カクテルはどや!?うちがうまいもん作ったるわ!」
「……怖いよ……」
「え?ワイン?ワインが飲みたいの?」
「ちげーよ!怖いの!ファイさんに、直接、聞くのが……」
「……そらそうやな」
「私、ファイさんの事が大好きなのに……でも、ファイさんがもし私より他の人のことが好きだったら、私、ちゃんと諦めるの。その覚悟はあるの。」
「……うん」
「私はそう思ってるから、他の人のことが好きになったんだったら、正直に言ってほしかった……」


開いたビールのジョッキをかたしながら、なまえさんの言葉に耳を傾けた。シェーカーに氷がぶつかって、カラン、と心地の良い音が聞こえた。


「…そうしてくれたら、私だって諦められるのに……」
「諦めたいの?」
「……そういうわけじゃない」
「ややこしい話やな」
「……女々しいね、私」


そう言って情けなく彼女は笑った。目は赤く充血していて、涙が目尻に光っていた。







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