君が為

ちょっとだけ、心が弾む。紅茶を淹れるときだとか、お皿を並べる時だとか、部屋を出る時だとか。そういうときにふと思い出して、ふふ、とほころんでしまって、自分不審者だ、なんて思っても止めることができない。こういうものを幸せと呼ぶのだと思う。


「ファーイっ」
「んー?何ー?なまえー」


床に座って雑誌を読んでいたファイに、背中から抱きついて、腕をまわす。金色の髪からはやわらかな匂いがした。


「明日は何の日でしょう?」
「んー?明日ー?」


明日は、私たちの付き合って1年記念日。
私はこの日のために、ファイに何を渡そうとか、どんなご飯を作ってあげようとか、いっぱい考えてきた。
付き合って半年のときに、「1年記念はなまえと家で過ごしてたいなー」なんて言っていたし、数日前にお金が足りない、とも言っていたのを知っているので、私が料理を作ってあげようと思ったのだ。でも結局何を作っていいかわからず、直接本人に何が食べたいか聞こうという作戦なのです。


「え、明日…?んー……お肉の特売日じゃないよねえ」
「違うよ」
「あ、軽音サークルのライブがあるとか?」
「ブッブー、違います」
「えーなんだろう」


なんだろう、とか言っておきながら、彼は考えるフリをしながら雑誌に目を戻してしまった。……なんで、気づかないの。1年記念日は二人で祝おうねって約束したじゃん


「ねえ、ファイ。雑誌見てないで考えて。明日何の日?」
「んー……見たいドラマのある日?」
「ちがうー!」
「わかんないなあ……」


とぼけるファイを見て、よくわからない感情がこみ上げてきた。

ファイと出会えて付き合えたことを私はとても幸福だと思うし、もし私が黒鋼と幼なじみでなかったら、黒鋼と同じ大学に進んでいなかったら、あるいは、あのときファイと出会えていなかったら、こんな幸福を知らなかったのだと思うと、こうやって一緒にいられる奇跡を、この現実を大切にしたいと思うのに。
でも、ファイにとっては、一緒に過ごした1年も、出会えたことも、目の前の雑誌の知識なんかよりちっぽけなのだ。記念日も忘れて、私のことを放っておいて。

一人だけ浮かれて準備して、バカみたいだ。


「……もういい」
「ん?」


虚しかった。ファイのことを大好きだから、1周年はファイのために何かしてあげたかったし、欲しいと言っていたシルバーのリングも用意した。明日のためにお洋服だってすっごく考えてきた。
でも、幸せに思ってるのは私だけで、ファイは、本当は、そんなことどうでもいいんだ。


「私、帰るね」
「え?」


ファイが顔を上げたのが視界のすみに見えた。でもすぐに歪んで見えなくなってしまった。目頭が熱くて、嗚咽が喉までこみ上げている。彼を背中に、鞄をひったくり、玄関へ向かう。私のことを呼ぶ声なんて知らない。私はただ、ひたすらに、この部屋を出ることだけを考えていた。


「待ってってば」


がし、と手首を掴まれたと思ったら、ぐいっ、と引っ張られ、気がついたら私はファイの腕の中にいた。後ろから抱きしめられて、ファイの吐息が首に当たる。


「やだ、離して」
「帰らないで」
「嫌、帰るっ…」

「ごめん」


窮屈なのに、私はそこから逃げられない。


「いたずらしすぎちゃったねー」


なんて、背中で弱々しく笑う声がした。


「オレが、明日のこと忘れる訳無いでしょ」


ごめん、とまた背中で呟いた。ぎゅう、と腕の力が強くなって、ドキン、と胸が高鳴った。


「本当は、サプライズするつもりだったんだ」
「……」
「レストランも、ホテルも予約してある」
「……え……?」
「少し前にお金無いって言ってあったし、半年前にも、1周年記念は家で過ごしたい、って言っておいた」
「……そんなに前から、準備してたって事……?」
「そーゆーこと。だって、1周年だよ?オレの、何十年っていう生きてきた時間の、貴重な1年をなまえと過ごせたんだから。1年ってすっごい長いと思うもん。」
「……うん」
「ごめんね、意地悪しちゃって」


抱きしめるのを止め、部屋に戻ろうか、と彼は私の顔を覗き込んでそう言った。指に指を絡めて手をつなぐ。


「……なんか、バカみたい」
「んー?」
「一人だけ空ぶって、ファイを疑ったりして、サプライズにまんまとひっかかって」
「ごめんごめん」
「……いいの。ファイにしてやられちゃった」


涙をファイが拭ってくれた。ぱちり、と視線が合う。ゆっくりと顔が近づいて、唇が触れそう。普段の私ならここで目を閉じてファイを受け入れる。
でも、今日だけは。

プイ、とそっぽを向いて、ファイのキスを回避した。えええ、なんて驚いたような落胆したような目で、ファイが見つめる。


「私に意地悪をしたバツ!」
「えええー!ごめんってばー!」
「やだもんー」
「なまえ〜……」


お預けされた犬みたい。きっと耳としっぽがあったら、しゅん、って垂れているんだろうな。可愛い、なんて思ってしまう。いや事実こういう時のファイは、本当に可愛い。


「明日は、いっぱい時間があるでしょ。それまでお預け。」
「ちえー」


じゃあ、とソファに腰掛けながら、ファイはまた私を抱き寄せた。首筋にかかるファイの温かな吐息が、くすぐったい。近い距離で喋られるものだから、ファイの大好きな声が体に響く気がした。


「今日はなまえをずーっとだっこしてよっと♪」
「……まあ、いいけど」
「えへへー、なまえあったかーい♪」


ぎゅう、とファイに抱きしめられて、幸福で胸が満たされる。私もファイの背中に手を回した。1周年まで、あと数時間。それまでずっと一緒にいようと思った。








(20111018)
あとがき

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