He wandered right from the path






 眩しい陽射しが窓越しに降り注ぐ。
朝の空気を取り込もうと、瞳を細めながら窓を開ける。
さわやかな風が肌を撫で、鳥の鳴く声が微かに聞こえた。
 気持ちの良い朝だ。
 暢気でいられるのは幸せの証拠なのだろうとぼんやり思いながら、仲良し夫婦の会話を受ける息子ってのもどうなんだろう、と考えてしまった。
今更であり、その思考すら無駄だと分かっていても、悩まずにはいられない。


「ぁ?これ、美味いな」
 新聞を片手に口に苺を入れたニコラスがぽつりと零した。
朝からしっかりと食べるのはもう長らく変わらないこと。
そして食後ゆったりする時間を設けるのも、欠かさない。
「本当?よかった」
 アメリアは砂糖とミルクたっぷりのコーヒーをテーブルに置きながら、椅子に腰掛けるニコラスの顔を覗き込み、柔らかく微笑んだ。
「ほら」
 へたを取った苺を口元に寄せると、アメリアは素直に口を開け、食べる。
「うん、あまい」
「だろ?」
 ニコラスはつられて笑いながら、上げていた腕をそのままアメリアの首に絡め、唇を合わせた。


 世の中、このあまったるさが毎日続くことがどれだけすごいことか。
生まれた時からこれなので、てっきりどの両親もこれが普通なのだと思っていた。
それは勘違いだと気付いたのはいつ頃だろう。
そして考えるのをやめたのは、いつだったろうか。
「…………はぁ」
 重たい溜息ひとつ。
両親のこの空気は生まれた時から変わらないので当たり前、慣れきっている。
ただ何処にでもいる新婚やバカップルとは異なった空気や環境があることも、生まれた時から教えられてきた。
息子ながら、特殊な夫婦だとは思う。
「父さん、母さん。いってきます」
 少し早めだが、学校に行くことにする。
久しぶりに気付いてしまった普通じゃない甘い雰囲気にうんざりしてしたからだ。
気にしても仕方のないことは、場から離れ、忘れてしまおう。
「待って、いらっしゃい」
 時計を見て時間を確認してから、母のアメリアが手招きする。
 息子からみても、母・アメリアは歳相応にない若さを持つ綺麗な女性だ。
美男美女から生まれた子供、ともっぱら友達や近隣に言われている程。
「……なに?」
 断る理由もさほど浮かばず、その空気に参入した。
嫌な気がしないのは――先ほどからしつこく繰り返しているけれど――慣れているから。
当たり前と思ってきたことが異常だと気付いても、結局のところ気にならなくなる。
「あーん」
 綺麗という表現が一番合っている容姿でそんなこと言われたら、年頃の息子でも口を開いてしまうもの。
母親には弱く、気恥ずかしいよりも自分が折れる、が優先された。
「ん」
 甘酸っぱい苺の果糖が口に広がる。
「美味しいでしょ?」
 美味しいものを御裾分け。
そんなアメリアに咀嚼しながら頷くことしか出来なかった。
「ほら、お前の分」
「……あぁ」
 ニコラスのと一緒に淹れたと思われしコーヒーを父から渡される。
飲むしか選択肢がなくなると、早めに家を出るという項目が消えた。
無駄な逃亡もやめ、ニコラスの隣席に腰をかける。
「そうだ、お前ガールフレンドいたろ?」
「あ?あぁ、いたけど」
 吹かけるほど動揺した――のをなんとか堪えられたこと、褒めて欲しい。
彼女なんていないと隠す方が恥ずかしいので、短く頷いておく。
 自ら父に言った記憶もない。
何で知っているんだと視線を投げかけると、ニコラスが口元を緩めた。
息子のくせにませてるな、というからかい含んだ表情。
憎たらしいほど似合っていることが、息子というより男として面白くない。
「街で声をかけられた」
「え?あ、あー……」
 顔のパーツはアメリアで、髪質や雰囲気はニコラスに似ているため、すぐに身内だと分かるだろう。
ただ、父親として見られるかは又別の話。
 そういう発想になってしまうのは、ニコラスの見た目にある。
二十歳幾ばくか過ぎた男――間違っても三十路を越えていないだろう。
アメリアの実際より若く見えるとかそういう次元でもなければ、毎日見ているから気付かないなどと誤魔化せるものですらない。
 それを言われたのは物心をつく頃、案外早かった。

『俺は普通と違うから、お前でもおかしいと思うことが幾つも出てくる。そういうのは直接俺に言え。なんでも、俺のことならなんでも…言う。だから遠慮はするな、分かったな?』

 今思えば、あれは父の覚悟なのだろう。
 それから怪我をしてもすぐ治ってしまうこと。
父に老いという変化が見られないこと。
 投げかけた疑問は全て教えてもらった。
そして少しずつ不思議に思うことが減り、今では滅多となくなった。
色々遠回りしながら、最後に行き着いた父の根本――死神のことも、聞けた。
 父は問いに答えてはくれたが、自ら話すこともなかったので、馬鹿かつ気付かなかったら『死神』なんて単語、一生聞けなかっただろう。
 要するに。
父はちょっとやそこらじゃ死なない不死身のような身体で、時間が無意味な域に達しているらしい。
 恐いと思えなかったのは、こんな父親が当たり前だったからかもしれない。
なにより、あんなに愛し合う両親の別れは、必ず母が先であると気付けば、嘆くのも馬鹿らしくなった。
一番辛いのは父で、一番悲しいのは母。
そうなると、息子は何をすれば良い。
 答えはすぐに見つかった。
あっさり納得してしまった。
この全てを、受け止めることだろう、と。
 この夫婦の間に産まれた時点で、運命――特殊ながら、こういう技量発揮もあるだろう。

「…っと、時間だ。いってきます」
 ゆっくりと時間を刻むニコラスに合わせていると、朝なんてすぐ終わってしまう。
椅子からを立ち上がり、コーヒーを飲み干し、気持ちを急かす。
まだ時間はあるけれど、噂のガールフレンドと登校時間より早めの待ち合わせなのだ。
 女は拗ねると面倒しか起きない。
ニコラスとアメリアのケンカを見てきた身としては、己が体験せずとも分かっている項目だった。
「おー。学業励んで来い」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
 新聞から視線を外さず片手だけ上げるニコラスと、柔らかく微笑むアメリアを一瞥してから、家を出た。



 恋をすると浮き足になるし、それを相手に悟られたくなくて、必死に隠してしまう。
 そうテレくさそうに話したニコラスのことが、今なら賛同出来る。
いつもと景色が違う、なんて錯覚すら起きるのだから。
聞いた当初は「未だにそんなこと言ってんのこのオヤジ」と新婚以前恋人風に失笑したが。
 今日の通学路でガールフレンドに父と逢ったか聞いてみようと思う。
自分の父親という認識ではいるだろうけれど、どういう人だったかは覚えていない――そんな返答だろうと予想は出来ているが。
 ニコラスは人を避けない。
見知った人という感覚で近所の人と挨拶や会話をする。
だけれど接しられた方は、ニコラスを覚えてはいるけれど、考えない、考えられない。
 狩る力の表面は教えて貰ったが、何を狩れるのか聞いていなかった。
おぞましいものも受け入れているからか、なぞなぞのように零した父の姿を今でも覚えている。
綺麗なものではない時間から離れた者の能力を、いつか気付けたら面白いという感覚で問われていた。
 憶測は随分昔からある。
意識的に考えられない感覚は、その一部なのだろう。
 答え合わせをしたことはない。
自分は答えを求めていない。
だから憶測のまま構わない。
「まー俺の知れることじゃねぇけど」
 どんな気持ちでいつも隣人と挨拶しているのか。
ニコラスにしか分からない気持ちであり、理解は出来無いだろう。
 ただ父のことを考えさせてくれる特別さ。
あえて苦しい気持ちを余儀なくさせてくれたことに感謝している。
 父が死神だと知らないで、考えなず能天気に生きる息子なんて――幸せから程遠い。
そう、思っている。

「俺って親孝行者だぜ」
「父親に似て馬鹿だな、お前は」

 そして忘れた頃にやってくる全身黒ずくめの男――ジャンがいきなり現れる。
初めは脅えたが、この神出鬼没も慣れてしまった。
今も少し目を見開くだけ、すぐに落ち着いてしまう。
 自分の記憶に間違えがなければ、ニコラス同様ジャンも不変的だ。
両親が恐れていないなら気にすることもないか、と麻痺した解釈で今に至っている。
「ジャン。今日は苺が美味いからあがっていけよ」
 食べることに意味は無いと聞いたことはあるが、ジャンの都合など無視する。
なんたって――
「母さん、ジャンが来るの待ってたから。顔みせてやって」
 アメリアがジャンに懐いている。
その表現も可笑しいが、事実アメリアは凄く嬉しそうにジャンと話していた。
「じゃぁな」
 ガールフレンドが最優先。
ジャンの横を通り抜け、反応など気にせず走り出した。
 言うだけ言って去っていく後姿を目で追いながら、ジャンは軽く首元をかく。
そして魂すら亡くなった人物を脳裏に浮かべ、溜息を零した。

「……ダレン。お前の孫は娘同様、螺子が吹っ飛んでいるぞ」



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