overcast sky






「…………え?」
 葛城は予想外のあまり怠けた反応しか出来なかった。
何故その展開を予想していなかったのだろう。
今になってみれば彼女らしい発想だと思わされる。
「ダメ、でしたか…?」
「は、え、いや!いやいやいや!悠里ちゃん、そういう意味じゃないから!!」
 どう見たってしょんぼりした悠里に、葛城は慌てた。
自分の発言にそういう意図はなかったのだ。
「あのね、悠里ちゃん……その、」
 葛城に動転している自覚はある。
 このもどかしくも説明しがたい気持ちを、どう悠里に伝えれば良いのか。
どうにか訂正したいのだが、納得のいく言葉が浮かばない。
「葛城先生。今の聞かなかったことに――」
 うだうだしてはいたが、ほんの短い間。
ただ悠里の決断が早く、先に顔を上げただけのこと。
「待った、悠里ちゃん」
 引き際を見定め、なかったことにしようとする口を、葛城は手で遮る。
 それ以上言わせてはいけない。
悠里が我慢するべきではない。
女の願望すら叶えられない男など――葛城はそんな自身に苛立つ。
「葛城さん…」
「コラ、『銀児さん』」
「…銀児さん」
 講師の癖が直らないのか、先生はとれても名前に慣れてくれない。
あわく笑いながら訂正させる。
「悠里ちゃん。嫌じゃないんだ、ちょっと驚いただけだから」
 悠里を引き寄せ、抱きしめる。
不安がらせないように。
触れることで、落ち着いてくれるように。
 葛城にとって年末は馬とオトモダチ、鳳家で静かに暮らすこと。
追い出されないようにすることでいっぱいいっぱい。
そういうのも悪くなかったし、昔のことを思い出さないようにしていたからもある。
 だが、今年は違う。
理事長に就いたということは、その昔に戻らなければならない。
 新春、親族との顔合わせは苦痛だ。
家庭的な正月など葛城は知らない。
だから差など分からないが、あの雰囲気は苦痛だ。
面白くない。
行っても何一つ楽しくない。
 それでも、今年は避けられない。
避けてはいけない。
何が待っているか、分かっていても。
行かなければならない。
「悠里ちゃんのことお披露目したいけど……あそこは苦痛だよ」
 正月の親族会は嫌だと葛城が悠里に零したら、着いて行きたいと返してきた。
他愛のない会話のように紡ぎ流そうとしていたのに、悠里はあえて見過ごさず。
彼女を家族に紹介する、そんな一般的感覚のように。
悠里は望んだ。
 葛城だって是と言いたい。
だけれど、自分のところは色々歪んで、醜い。
聖帝の先生達のような人、いない。
葛城が憧れる家庭的な家族像は何処にもない。
「はい」
 それでも、悠里は頷く。
 無茶だ。
葛城の親族を知らないからそう思えるのだ。
 そう、葛城は思う。
「銀児さん、」
 悠里の手が葛城の頬に触れ、優しく撫でた。
否定する心を打ち消すように微笑んで。
 表情に出ているのだろう。
隠せている自信が何処にもない。
葛城は己の顔が見えていないが、悠里の表情で確信した。
「嫌な思いする」
「……はい」
 結局、葛城が嫌なのだ。
悠里が傷つくなど。
 だけれど、女性は強い。
悠里は強い。
「それでも、銀児さんが許してくれるなら……行きたいです」
 葛城の心を慰めるように、腕の中で居心地よさそうにすり寄って。
優しく包み返してくれて。
柔らかく笑って。
名を呼んで。
「銀児さんを守らせてください」
 視線と態度は本当素直で、心には本当不器用な悠里が紡ぐ言葉。
嫌で嫌でしかたない世界に行こうとする葛城を守りたいなど。
「……悠里ちゃん」
 頼もしいことに圧倒されるし、惹かれる。
そして眩くて、その輝きに落ちた影――自身の弱さがとてつもなく痛い。
 本当は葛城が悠里を守らなければならないのだ。
これからもずっと一緒にいるということは、嫌でもあの世界に連れ込むことになる。
「逆でしょ、逆。銀児が悠里ちゃんを守らせていただきます」
 テレくさくて、認めたら負けなきがして、誤魔化してしまう。
それもお見通しなのか、悠里は少しおかしそうな表情を浮かべていた。






 消灯した廊下には月明かりの影が落ちている。
生徒の下校時刻は過ぎているので、とてもとても静かだ。
そこに足音が聞こえてくるとしたら、見回りをしている先生か警備員だろう、というくらい容易く予 想出来る。
「おや、久しぶりだね。葛城先生」
 本日の当番が誰か確認していた葛城は、声をかけられても驚かない。
 理事長になった今、極力顔を出さないようにしている。
葛城なりのケジメ。
 それでも逢いたくなる人、逢っても良い人はいるわけで。
 そのひとりが鳳だ。
ことを知っても態度は変わらない。
あえて触れないことを選んでいるかつ葛城の堕落さを知っているからだろう。
 今日は都合がついたから、悠里と一緒に帰ろうと思っていた。
メールをしたら嬉しそうな返答が来たし、見回り当番表を見て確認――鳳の厚意にあまえ、今 日は職員室まで行っても良いかなと思い、葛城としても心はスキップで来たのだ。
「鳳様、静かに」
 口元に自身の人差し指をのせ、合図を送る。
「うん…?あぁ、そういうことか」
 鳳は少し不思議そうな表情付きで葛城が向ける視線の先を見て、納得。
 大半の教師が帰り、広い職員室でぽつんと小さな塊ひとつ。
悠里と真田が書きながら話し込んでいる。
プリントやら教えることやらで盛り上がっているのだろう。
「入れば良いじゃないか」
「頑張ってるとこ、水さしたくないでしょ?」
 職員室の前まで来て、入れなくなった。
なんとなく頑張っているところに自分が入って中断させるのが嫌だった。
 教師としての悠里はとてもキラキラ輝いてみえる。
自分が去った職、悠里にはその輝きのままでいて欲しいと、願ってしまった。
「………君らしいね」
「褒めても何も出ないよ、鳳様」
「褒めてはいないよ」
「……ひどい、鳳様はもう少し男にも優しくして良いと思う」
「言ってみてどうだい…それ」
「きつい」
 引きつった顔をする鳳に、葛城も言っておきながら肯定してしまった。
男女平等に優しいなどあまりない発想であり、そこは投合している。

「ねぇ、鳳様」
「うん?」
「鳳様は正月……帰る?」
「……どうだろね。ここ数年、年明けが一番億劫だ」
 微笑みの貴公子と呼ばれる完璧そうな鳳も、帰省は多くない。
住ませてもらっていた葛城がそれをよく知っている。
 聞いた訳では無い。
むしろ互いに踏み込まないようにしていた。
だから全て憶測。
それでも――
「あぁ…だから、葛城先生も少し落ちているのか」
 似たような感覚は避けていても、気付いてしまう。
「……今年は、やっぱりね」
「そう。南先生は、」
「行きたいって」
「…はは。葛城先生、それはそれは」
「あー鳳様が笑ったー…」
 葛城の返答は軽いが、小さく弱い。
 こういう感覚は稀にある。
 話して決めた訳ではない。
ただ暗黙みたいなもので、相手が話してきたら少し踏み込んでいた。
友情ほど近くなく、熱烈な教師の輪でもなく、当たり障りの無いほどの遠さでもなく。
ふたりは静かに距離をはかっていた。

「何をしているんですか。葛城先生ならともかく、鳳先生まで」
「お、葛城じゃねぇか」

 鳳と同じく見回り当番の二階堂と九影が、廊下でぽつんと立つふたりに呆れた声をあげる。
大の大人ふたりが廊下でひっそりしているなど、確かに可笑しい有り様だ。
「おい待て、陰険眼鏡!オレはともかくってなんだっ!」
「言葉通りの意味ですが」
「トリさんまで何してだんだ?」
「いや…私らしくなかったね」
 葛城があえて職員室に入らず静かにしていたのに、その努力もこれで打ち切り。
悠里と真田がひょっこり廊下を覗き見し、騒ぎが収まるまでほんの少し。



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