It's for the birds
「兄貴、」 もう聞くことは叶わないのだろうと思っていた弟の声が耳に届く。 「――凪人」 銀髪の髪を軽くかきながら、気だるそうな足取り。 相変わらず軍人らしからぬ素行の悪さだ。 「兄貴も飯か」 射抜くような強く鮮やかな赤い瞳と視線が合う。 「えぇ。凪人もですか」 「あぁ」 心の何処かで諦めていた。 だから、一緒にいられなかった長い年月を埋めるよう同職場に就き、毎日毎日話しているにも関わらず、おかしな気分が拭えない。 今でも少し、信じられない。 この感覚の根本が何か、分かっている。 いつかいなくなってしまうのではないか、と。 未来の不安をかかえている。 張本人である弟は蔑んだ目で呆れるだろうから、胸に秘めているが。 けれど、弟も察しているかもしれない、互いに思っているかもしれない。 男兄弟だからか、あまりそういう会話をしないので分からない――今度、藍澄に聞いてみようか。 雪乃はそんなことをぼんやり思いながら、フェンネルが隣に来るまで待ち、並んでから歩き出す。 会話は弾まず、すぐに途絶えてしまった。 相変わらずフェンネルは言葉の紡ぎが少ない。 例えば今あったフェンネルの言葉を汲み取ってみよう――行く場所が同じなら一緒に食べよう――という意味がある。 兄貴なら分かれみたいな発想の弟にも困りものだけれど、雪乃の方が先に慣れてしまった。 「こんな時間に珍しい」 雪乃は仕事の立て込み具合で遅くなりがちな為、フェンネルと昼食が重なるなど滅多となかった。 「あー……ガキが食いついてきて、振りほどくのに時間がかかった」 ガキことヨシュアは功績をあげるためエリュシオンに配属を希望し、それが通るほどの腕前持ちだ。 が、世の中上には上がいるもので、圧し折られたプライドからか、自分より上回る人物には食いつく傾向があった。 最近はそれも薄れたが、、完全消滅はしていないらしい。 「どうにかなんねぇか、あいつ」 「諦めなさい」 フェンネルとレイシェンは頂上にいるようなもので、上がいるからこそヨシュアの腕前は伸び続ける。 現状維持が良いのだとフェンネルも分かっているので、ただ面倒くさそうな溜息をついた。 ピーク時を過ぎている食堂はだいぶ落ち着いており、席も広く確保出来た。 日本文化あり、男兄弟とあり、食事中の会話はあまりにも少ない。 食堂はもっぱら騒がしい場なので、逆に異質で浮いていた。 そんな空間を、何も気にせずぶち抜く人は居るわけで―― 「良いところに!」 極上笑顔付きの藍澄がいきなり現れ、ふたりして驚愕した。 「藍澄さん…?」 「藍澄!?お前何処に…」 あまり顔に出ないふたりが露骨に目を丸くする。 似ていないと言われがちの兄弟もこういう一瞬はそっくりだ。 「じゃーん!見てください」 ふたりの驚きなど気にせずというか気づかず、藍澄はずいっと何か見せて来た。 藍澄が両手で持てる、さほど大きくない瓶。 お酒ではなく、どちらかというと調味料などの―― 「梅干です!」 国籍が日本なのは藍澄を含め、新生エリュシオンでも指を折る程度。 しかも「フェンネルの場合、久しぶりでしょ?」という意味合いを含め、凄く良い物を持って来たでしょ、えらいでしょ、という表情を藍澄は浮かべていた。 「どうしたんです、これ」 「母が送ってくれたんです」 日持ち出来無いものは、自然とあまり食べられないものとなる。 そのため、食べられないものほど、個人で持ち込む傾向が強い。 話を聞けば、補給ポイントを事前に教えていたようで、つい先日停泊した際、受け取ったようだ。 しかも厨房の奥でアニタと梅干研究をしていたらしい。 どおりで藍澄には目敏いふたりが気づけない訳だ。 「ぜひ食べてください。御裾分けです」 「では、ひとつ頂きます」 「ん、」 雪乃が先に摘み、その流れでフェンネルも貰う。 懐かしいし少し恋しかったからもあるが、貰ってと笑顔を零す藍澄に断れるわけが無い。 「……少し甘いですね」 やはり梅干は良いな、なんて雪乃はしみじみ思いながら――真向かいのフェンネルが少しずつ眉間にシワを寄せていくことにも気付かず――梅干を味わう。 「ぶっ!お前、梅干はすっぱいもんだろうが!!俺の感動を返せ、クソ!」 雪乃の気持ちはフェンネルの声によって掻き消えた。 ――感動って何だ。 弟にしては珍しい単語をぼやくので、兄ながら内心驚いてしまった。 指摘すると七面倒なので声には出さないでおくが。 「えぇ?!この梅干はそういうのなんです」 「ありえねぇだろ!」 「あまいだけじゃなくて、ちゃんとすっぱいと思いますけど」 「あまずっぱい、がいけねぇんだよ」 コロニー在住日本国籍をなかったことにしている弟からすれば日本食自体久しぶりなのだろう。 期待と現実が少し食い違っていたことが、凄くお気に召さないらしい。 「頑固者」 「妥協しすぎだろ、お前は!」 「妥協じゃありません!梅干に失礼です!!」 「失礼なのはお前だ!!!」 そこまで張り合うと梅干も本望だろう。 「藍澄さん、凪人。落ち着きなさい、周りの人に迷惑でしょう」 収集がつかなくなると踏んでいるからだろうか。 このふたりが感情高まると、雪乃は冷静を保てる。 「だって兄貴、こいつコレを梅干だって紹介したんだぜ!?」 「アニタさん美味しいって言ってくれたもん」 席から立ち上がる程の勢いは止まったが、ふたりとも議題からは離れなかった。 しかも言っている言葉が幼くなってきている。 拘りがあるのは良いけれど、不毛としか思えないのは何故だろうか。 「ですから、」 「兄貴はどっちが良いんだよ!」 「そうです、雪乃さんはどう思います!?」 いつのまにか決定権を押し付けられている。 「そうではなくて、」 雪乃は無意識で眼鏡のブリッジに手をやり、かけなおす。 現状にうんざりしながらも、ふたりを手放せない――未来を恐れる自分と向き合えるようにならなくてはと思いながら、雪乃はふたりに向き直った。 back |