lingering evening glow
職員室に入った瞬間、窓側から強い日差しを感じた。 直射では無いものの、暮れていくやや赤く染まった空が綺麗に見える。 なんで赤になるのか頭でぼんやり思い出しながらその景色に目を奪われた。 綺麗…とありきたりな言葉を零しかけた瞬間――黄昏で見難かった人の影に驚き、一歩後ろに下がる。 変な動転、どくどくと脈拍が上がった気がした。 一瞬何か分からなくてじっと一点集中。 哀愁帯びていて、夕焼けの寂しさと合っているような、目頭が熱くなるような。 悲しさいっぱい、切なさいっぱい。 「か、かつ…葛城せんせ…い?」 だよね?と自分に問いかけるように、悠里は様子を窺った。 葛城は自分に宛がわれた机に顔をつっぷしてめそめそしている。 実際泣いている訳じゃなくて、心が、という雰囲気だ。 そういえばあまり職員室にいるイメージ無いな、と思う。 居座らないというより、周りの教師に追いかけ逃げ切りみたいなことをしているからであって、悠里のは浅はかで無知な発想である。 雰囲気は負でいっぱいだけれど、それでも映えていた。 スーツの色でイメージが付いているからかもしれないが、似合っている。 夕焼けと、色と、この景色と、葛城が。 可笑しなこと考えてるな、と悠里は思考を振り払った。 空を見て詩を浮かべたりするような性格じゃないから。 「葛城先生」 近寄って、もう一度声をかけた。 どうしたんですか。 そう、分かるような雰囲気で。 葛城は見た目と動作でどうも適当な人に見られがちだが、教師として生徒への思いやりが深く、ちゃんと場を空気を読む男だ。 勿論合えて読まない時だってあるが、何も考えてい無い訳じゃない。 人は見た目に動かされるべからず――というのを大変失礼だが、痛感させられる。 悠里が我武者羅すぎて、何度か止められた。 自分のためにも、生徒のためにも、と。 気兼ねなく話せる人、沢山のことを話してくれる人、だけれど奥は全く見えない。 不器用などでは無く、上手く防壁を張るというか、男の人らしかった。 悠里の中で、女より男の方が自分で自分のことは解決するイメージがあるからだろう。 いつか、葛城の助けになりたいと思う。 その気持ちがどうあってなのか、まだ分からないけれど。 「……ん、仔猫ちゃんだ」 「はい。南です」 ざっくり訂正しておきつつ、にっこりと笑った。 なんだろう、凄い切なそうな顔をしている。 面倒くさいーと喚きながら、テスト問題を考え途中の難攻不落で絶望しきった時に似ている。 が、今はそんな時期じゃないし、机には何の道具も置いてない。 「あれ?仔猫ちゃんこそどうしたの。補習は?」 時計を見て、違和感を感じたのだろう。 確かに悠里がこの時間、職員室にいることはそうない。 「翼君、今日はバイトがあるって言ったから小テストだけして切り上げたんです」 「真壁はなー…って南チャン、あいつバイトあんのに補習受けたの?」 今だ顔の頬と机を合わせ、葛城の低く哀愁帯びた声が続く。 真壁ぼんって何…?と悠里は心で思ったが、今触れると脱線にしかならないので、聞かないでおいた。 「えぇ。なんか今日は気前良いとか言ってましたけど」 「気前、ねぇ……」 翼がどういう心境かなんて、葛城からすれば容易に分かる。 全く持って、なーんにも面白くない。 いや、変わっていくことは良かった。 自分の力じゃなくて良い、誰かの気持ちで揺れ動く心があったのが嬉しかった。 悠里の努力だって知ってる。 だから素直に褒めたいのだけれど、別の感情が邪魔をした。 生徒に何、餓鬼くさい嫉妬してんだか、と自分の気持ちを切り捨てる。 「ふーん。そっか」 葛城は身体を起こし、軽く髪をかきあげ、背伸びをした。 しょげていた気持ちが別のことでいっぱいになっている。 どれだけ動揺してんだ。 切り替えろ。 「……あれ?なんか、人。少ないですね」 葛城の動作を一瞥しながら、悠里はふと職員室をぐるりと一周見回して今頃なことに気づいた。 鳳やら九影など積極的とは言えない部活の顧問組みが職員室にいない。 二階堂と真田は寄席に行くと帰り際に丁度逢ったから知っていたが、他はさっぱりだ。 「俺、捜してんじゃないかな」 「何か約束でもあるんですか?」 捜すと約束が繋がる悠里の思考に、葛城は可愛いと言うか知らないってある意味凄いことだよなーと思う。 職員室に居座れないという盲点を合えて使えば、見つからないという時もある。 「2日前なんだから振っても何も出ないのにねー……よく頑張ること」 借りておいてなんだが、よくそう思う。 ぶっちゃけマジで持ってない。 後2日、どうやって生きていこうか悩んでいるくらいだ。 煙草も吸えない。 飯もそんな食えてない。 本当に哀れまれて、二階堂にあんぱん投げつけられた時は、ある意味死にたかった。 真田が買ったのを苛々して投げたらしいのだが、あいつから貰っても深い極まりない。 まーお腹空き過ぎてたのでプライド捨てて食いましたけどね。 あーイジメられてばっか。 学生の頃、テスト返却後に勉強しようと思いなおす、あんな気分だ。 今度はもっと慎重に考えよーとか思うのだけれど、つい期待して大きく出てしまう。 馬も銀の玉も金のコインも、スルが倍に増えたりもするから、飴とムチでやめられない。 「2日前?」 「そ、きゅーりょーびまで」 人差し指と中指だけ伸ばし、間をぱかりと開け、ピースと同じ手を見せた。 悠里はきょとんとした顔をしながらそれをじっと見て、「あぁ」と唸る。 「給料日!あーはい。今は財布が軽くなりますよね」 だからこんな憂鬱そうなんだ、と悠里はやっと分かった。 思えば少し頬がこけている気もし無くない。 「お腹すいててすいてて……」 「……じゃぁ、何処かに食べに行きますか?あまり持ち合わせ無いですけど、奢りますよ?」 すっかり捜すとか(勘違いで)約束とかを忘れて、悠里は名案といった表情で誘い始めた。 誤魔化したというより、勝手に忘れて流れたこの緩やかさに、葛城は運が良いなーと心でほっとする。 これ以上聞かれてたら、どう返して良いか、上手くすり抜けられる自信があまりない。 隠したいという気持ち、何故で言いたくないのか。 どうせ情けない理由だろうからと葛城は考えないでおいた。 「ラーメンとかどうですか?真田先生が美味しい所、教えてくれたんです」 心でそれは多分俺が教えたとこだろーなー…と思った。 あの餓鬼、何俺のオススメ教えてやがんだ。 ヒトツしか年齢が違わないのに、葛城はそんな不満を漏らす。 「そういう意味で言った訳じゃないから気にしないで。南チャンの気持ちで十分です」 「いえいえ。実際ですね、ラーメン屋って女ひとりじゃ入りにくいんです。だからお付き合いしてください。ね?」 いや、語尾は反則でしょ。 気の遣われに、申し訳なさも感じるし、少しくすぐったい気持ちにもなる。 葛城は大きく一息。 そしてすくりと立ち上がる。 「じゃー銀ちゃんに奢って下さいっ」 「はい。食べに行きましょう」 ノリの良さがお気に召したようで、悠里は嬉しそうに笑った。 「ささ、そうと決まれば早く行こう」 「え?」 「用事まだあんならこの銀二、お手伝いしますが?」 「今日はちょうどキリが良いんですけど……どうしたんですか?そんな慌てて」 そりゃ勿論慌てますとも。 鳳様や九影に見つかったらたーいへん邪魔ですから。 そんなの分からないだろうし、知っても欲しく無いから、葛城はニヤリと笑うだけ、悠里の背中を軽く押して早くと急かした。 「そうだ。仔猫ちゃんが野垂れ死にそうになったら遠慮なく俺に言ってね」 恩返しをしたいのに、悠里はさせようとしない鈍さと遠慮を持っているから、先に言っておく。 悠里は目を丸くしてから、嬉しそうに柔らかく笑い、「はい」と返した。 「あ。もう暗くなってる…今日、綺麗な夕焼けだったんですよ」 「ん?南チャンはよく見てんなぁ」 「いや、その。えーっと、ですね?声かける前、葛城先生と夕焼けの赤が凄く映えてたから……印象に残ってたんです」 「………そ、そうなんだ」 「はい。なんか気恥ずかしいので忘れて下さい」 (いやいやいやいや。南チャン、それマジ反則だから) back |