before class






 独り暮らしを始めてもう数年経つ。
 だから朝起きたらひとりってことが、寂しいなんて思わない。
いつもどおりジリジリと甲高く鳴る目覚まし時計の音で夢から覚める。
ぼんやりと重たい身体を動かしながら、ゆっくりと瞼を開けた。
 平均的なひとりの広さなので台所がすぐ近くに見える。
 霞んでいた。
何かが。
朝日の輝きに映える背中。
「……ぅん?」
 彼女が出来てからというもの、少し甘えた煩悩があるけれど、同棲もしていないし、今日は泊まってもいない。
自分ひとりなのに、台所で悠里が立っている…ように、見える。
嬉しいけれど、不安が拭えないのは何故だろうか。
 あぁ、そっか。
俺が作ってあげるって手があったな、今度それで阻止してみよう。
なんでこんな単純なこと、忘れていたんだ。
 ぼんやりぼんやりと、真田は鈍い思考を回してみる。
「………いや、おかしいって!」
 勢いよく身体を起こすと、一瞬眩暈がした。
寝起きの脳に強い衝撃はよろしくない。
 その感覚で覚醒する。
 ちゃんと台所を見直すと誰もいなかった。
ジリジリと未だに鳴る目覚まし時計の音だけが虚しく響いている。
 八つ当たりでそれを止め、重たい溜息をつく。
男が独り暮らしをすると一度は見るらしい、起きたら朝食を作ってくれてる彼女の図――を、真田は体験した。
なんだか情けない気分だ。
「幻覚にもほどがあるよ……」
 軽く後頭部をかきながら、起き上がった。
 そういえば少し前に、母がぼやいていたことを思い出す。
男は給料日前くらいしか実家に帰って来ないし、女出来たら頼らなくなる薄情な属性よね、と言った人だ。
それを聞いて父でさえも絶句した。
やけに鋭い指摘で、言い返せなかったことへの悲しさもある。
 その母が、「別に朝食を作ってくれてるっていう後ろ姿。女でもときめくものよ?」と言っていた。
それは父もしたのかな、と思えるほど惚気みたいな口調だったが、聞き返したことは無い。
親の惚気だけは聞きたくないという頑なで不毛な理由なのだが。
「起きよ……」
 頭を軽く左右に振って、今のを無かったことにする。
 もそもそと足を運び、顔を洗い、冷蔵庫を開けた。
自炊も面倒くさいが憧れの二階堂はちゃんとしているので、見習って真面目に取り組んでいる。
投げ出さず頑張ってる自分も本当先輩を崇拝してるよな〜と真田自身思ってしまうほどだ。
「うーん…でも、」
 フライパンを出して、手馴れた動きで進めながら、真田は思う。
料理を作ってくれてる後姿も良いけれど、自分としたら違うことの方が魅力的である。
「………そうだ!」
 閃きに、真田は声を上げた。
 相変わらず腐った煩悩だが、思いたったら成し遂げたくなる。
自分にしては珍しい。
悠里に告白する時は情けない切り出しだっただけに、出来るかなぁという不安もあるけれど、今の勢いなら自信があった。
 今日は愛に満ちている。
意味のわからない言葉を、真田は自分に投げかけた。
 二階堂がその場にいたら「とりあえず落ち着きなさい」と重たい溜息をついていただろう。






 あの後姿、現在ひとり、絶好のチャンス。
職員室で九影に聞いた行き先、時間による推測が正しくて安心する。
 真田はそんなことを思いながら廊下を走った。
走るリズムと共に高揚感が湧き上がる。
しつこく付け加えると、二階堂がいたら「朝から騒がしい!」と若干逸れたことを指摘するに違いない。
「先生、南先生っ!!」
 準備室や移動教室として使われる場所にいるので、人気が無く、声が響いた。
 ゆっくりと、後ろを向いた悠里が目を見開く。
驚くのも無理は無い。
「真田先生?どうしたんですか、何かあ…?!」
 言い終わる前に真田が悠里の所に追いつき、腕を掴んだ。
何も言わせず、ただ強引に歩かせて少し先の曲がり角に誘導させる。
「ぇ、えぇ!?さささ真田先生??」
 悠里の動揺は妥当だろう。
おかしいのは自分で、珍しくやけに落ち着いているな…と、真田はそう評価した。
 この曲がり角の先は、運が良いことに行き止まりで倉庫になっている。
昔は違うことに使われていたようだが、いつからか捨てられない物を置く場所になったようだ。
真田が聖帝学園に来た頃にはもうそうなっていたので、時期は知らない。
「せんせ」
 いつまで『先生』なんだろうか、どうして名前を呼べる強さが無いんだろう。
特に学校という場所では二人きりでも呼べない。
弱いな、これからの課題だ。
 真田はそんなことをぼんやりと思いながら、悠里の前に立ちふさがる。
無意識で悠里は後退し、背中を壁にどんっとぶつけた。
「ぁ」
 少し振り返り、これ以上下がれないことを視覚で認識する。
「いきなりで驚いた、よね。ごめん」
 あぁ、可笑しい。
 少し驚いている表情も、少しいつもと違う感じに慌てている姿も、可愛くて仕方が無かった。
気の高まりは少しずつ落ち着いて、冷静になってくる。
 いつもなら挙動不審なはずなのに。
自分でも変だ。
開き直って思うことをしたいと決めた時の自分がこうなるとは。
「驚きましたっ!」
 少しムッと睨んだが、怒っているようには見えない。
「私から聞き直します。真田先生、どうしたんですか?」
 この状況で、ちゃんと強い意思でいる悠里は勇ましい。
ちょっと先生モード入ってるけど、そこも可愛かった。
 やっぱり好きだなぁとしみじみ思いながら、真田は悠里の髪を軽く掬って、指に絡める。
くるくると玩んで、解き、を繰り返した。
 本当、この髪をいじりたかったんだよな。
手を伸ばし、触ってみたかった。
 そうして手に入れたこの権利に、自分は幸せ者だと真田は噛み締める。
「もぅ、早く答えて下さい。HR始っちゃいます」
 好き勝手にはさせているも、何処か不信な視線だ。
 考えていると思われる発言に真田は我に返った。
「あぁ、うん。えっとね。ちょっと、したいことがあって」
「したいこと?」
 警戒していた割りに、すぐその防御を解いてしまうところがあぶなっかしい。
 きょとんと興味ありげな疑問文に、ついそんなことを真田は思った。
にっこりと笑い、再度不安がらぬよう心がけ――

「おはよ、悠里」

 ちゅ、と音をワザとたてて唇にキスをする。
 なんてことない希望。
料理の得意不得意関係なく、朝の御飯より、朝のキスの方が魅力的で、してみたかった。
 でも学校は生徒も先生も沢山の人がいるから逢ってすぐには出来無い。
人気の無い場所って探すの案外難しいものだ。




 驚いた。
 そして反則だと思う。
「……おはよう、ござい…ます」
 とりあえず、返答はしようと思った。
だけれど、この火照りを隠すことは出来そうに無い。
 最近見え隠れする真田の違う一面を悠里なりに読み取ってはいた。
 違和感はあるものの、多重人格とまでは思っていない。
悠里も、大人しい性格だが先生として生徒を見ると何処か力強さが出る。
だから可笑しいとは思わなかった…が、真田だと何となく、変な気分だ。
 今も流すことが出来ず、どう対応すれば良いのか混乱していた。
 なるべく動揺を見せたくなかったのだけれど。
「先生、可愛ぃ」
 頬を軽く触れ、少しだけど撫でられる。
 いつもどちらかというと真田の方が慌てるのに。
悠里からすればそっちの方が悔しかった。
 多分それも読み取って真田は言ったのだろう。
 悔しくて仕方が無い。
「もぅ!」
 悠里は真田の首に腕を絡めて抱きついた。
 もう、自分の表情を見られたくない。
隠したい。

「卑怯――な人。怒れなくなったじゃないですか」

 拗ねたままで良い、この気持ちをちゃんと伝えておこう。
 凄く幸せだと思ったけれど、ちょっと悔しいから。
どうも真田にリードされ続けると悔しいって、分かってくれるように。
「謝らないよ」
 抱きしめ返してくれた力が優しくて、悠里は何故か泣きたくなった。



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