I love her still






 自分が思っていた以上に、俺は貴女を愛していた。
 どれだけ想っても、貴女が振り向く要素にはならない。
努力しても報われるとは限らない、ということ。

 貴女は、俺たちを愛してくれている。
愛情――愛とか恋とかじゃなくて、慈悲なる思い。
貴女の残した俺たちへの気持ち。
 罪だ。
知らないことがこんなにも、罪深きこととは。
 いや、分かっている。
 そんな貴女だから、俺は愛してしまった。

 貴女に逢いたい。
 貴女に愛を囁くためじゃなくて、ただ今――一番、思うこと。

 そのためには、それを叶えるには、貴女が愛している学園を――






 職員室で宛がわれた自席から窓の向こう、外を見る。
 誰が空けたのか分からないが、開きっぱなしの窓を通り抜ける風は心地よい。
少しずつ暑い夏から秋へと変わる段階ながら寒さは感じなかった。

 何故かふと、空が欲しいと思う。
手を伸ばしても届かないと分かっている、いつもそこにある空を。

 きぃ、と椅子の擦れた音と共に、腰を上げ、開いた窓まで歩く。
そして窓枠に手をやりながら少しだけ外へ身を乗り出した。
 風が頬を切り、心地よい。
 長らく青空なんて見上げた記憶も、自然を感じた記憶も、無かった。
 それだけ、それだけなのに――懐かしいと思う。
ここから見える景色は、少し様変わりしたけれど、母校であることに変わり無い。
「Ah…Ha、そうか…ここは」
 思い出す。
 この窓は、この位置は、昔、赤いストライプのスーツが特徴の葛城が外に向かって煙草を吸っていた。
禁煙の職員室、自分の背中という些細な防壁だけで。
 それを、自分は見上げる側だった。
職員室がある棟のすぐ横の道は、バカサイユに向かうひとつだったから、よく見つけては呆れたものだ。
 その葛城がいた場所に今、自分がいる。
 おかしい、というより不思議な気分だ。
 聖帝に来ると学生気分ばかり思い出すと思っていたが、こういうのをまのあたりにすると、自分も先生なのだと痛感する。
 先生――と言う言葉が、こんなにも、自分には、重いだなんて。
 立場が嫌なのでは無い。
先生という仕事に憧れていなかった、と断言出来ない思いがある。
そうじゃなくて、その言葉に、思い入れがありすぎた。
 先生。
自分が思い画く先生達が今、この聖帝にいない。
 おかしい。
この現状が、おかしい。
 あの、金銭面など人としてはお世辞でも褒められないが、先生として誇りを持ち、理事の席についたあの葛城までもが、いないだなんて。
 譲るだけの、自分が去るだけの価値が、今の理事長――佐伯にあるのか。
 わからない。
自分のものさしでは、判断しかねる。

「おい、翼。死ぬ気かー?」

 暢気な声で我にかえる。
「……一か」
 声のする方へ視線を向けるまでには、落ち着けていた。
 聖帝で学生をしていた頃あった、視界の狭い勢いはもう無い。
「んーあ、よしよし。なんだよ、翼。俺じゃダメなんかー?」
 何処から連れてきたのか、毛並みの良いロアとじゃれあう一と目が合う。
戯れながらも翼の顔色を窺っていた。
「いや、そうでは無い。ただ、少し…俺はどうするべきか、考えていただけだ」
「……俺が出来そうなことはちゃんと言えよ、翼」
 出来無いことはしないのではなく、全て言う必要は無いと言われているのだと理解している。
その引き際を、いつも頼りにしていた。
「Understanding。そのために…お前らB6には無理を頼んで聖帝に来て貰ったのだからな」
「ん、なら良いけどよ」
 口元を歪ませて、何かを企むような笑顔を零された。
そうして、翼の肩を軽く叩いてから、一はするりといなくなっていく。
「Thank you a lot....」
 後姿を一瞥しながら、一には届かない小さな声で、祈るように願うように気持ちをこめて零した。
 どうするべきか、即答出来ないまま。
それでも、分かっていることはある。
 翼は再度空を見上げ、それを強く思う。
 今でも忘れていない。
 何故、空が青いのか、なんて聞いたこともあった。
何を質問すれば良いのか思いつかなくて、でも何か教えて欲しくて。
貴女に、振り向いて、笑って、何か自分に言って欲しくて。
「promise……約束、したんだ」
 苦しみを潰した声は、空気と混じり、消えていく。
ぎゅっと拳を握り、静かな怒りが溢れ出ないようにする。
 ずっと、ずっと、聖帝学園に戻って来て、ずっと感じてきたこと。
 葛城が理事長の座に就こうとまで思えた聖帝学園のあの席に、他のヤツが座っていて。
自分の愛している人が愛している学園は様変わりしていて。
変わる方向が悪いとしか思えなくて。
 許せるはずなんて、無い。
 時間の流れと共に何もかも少しずつ変わっていく。
分かっていても、思ってしまう感情――苛立ち。
許せない、負の感情。

――貴女が愛している聖帝が……



「天十郎君!待ちなさーい!!」

 勇ましくて、我武者羅な声。
靄が一瞬にして吹っ飛ぶ。
 視線を下ろすと、天十郎を追いかける真奈美の姿が見えた。
相変わらず天十郎の手にはスポーツ用品があり、部活の助っ人をしていたのだろうと思わせる。
「やなこった!!俺様を呼ぶヤツがいる以上、助けねぇでどうする!」
「それは、良いことだけど…補習はちゃんと受けて!!」
 何でもこなせる天十郎を追いかけるなど、無理がある。
今だって息切れして無理があるのに、諦めず走っていた。
「元気が良いな」
 懐かしい。
補習って単語も、それを嫌がる生徒も。
思いは複雑だけれど、やはり懐かしいが勝る。
 翼がふたりをじっと傍観していると、真奈美がふと顔をあげた。
昔の自分のように、声もかけられず気づいて、視線を合わせて。
自分と違うとすれば、真奈美がぺこりと頭を下げ、挨拶をしたこと。
呆れず、丁寧に。
「………頑張れよ、新任」
 それに翼は一度だけ手を振り、挨拶を返す。
 聞こえてはいないだろう。
少し距離があるから、声を張らなければ届かない。
 真奈美の横に、天十郎がやってきた。
どうせ天十郎は真奈美が足を止めて珍妙な動きをしたことが気になったのだろう。
天邪鬼、素直に補習が受けられないアホ。
それに気づいてしまう翼自身が、一番馬鹿らしくて情けない。
 ふたりで何か話している。
 翼には聞こえない。
聞こえない方が良い。
このふたりの会話を盗み聞きするような感覚は得たくなかった。
「げ!真壁!!」
 真奈美と同じ方向を見上げ、天十郎が翼にも聞こえる大きな声で露骨に嫌がる。
傍にいたら拳骨くらいお見舞いしたい腹立つ態度だ。
「行くぞ!」
「え?ちょっと天十郎君!?」
 天十郎は真奈美の手を引いて歩き出し、その場から立ち去った。
 なんてあからさま。
隠していると思えているのは天十郎だけ、理解していないのは真奈美だけ。
「ハッ…!なんてアホゥな奴等だ」
 喉を鳴らして笑いたくなるほど滑稽で、翼は口元に手をやる。
お得意の高笑いは出来ない。
自分のことを思い出せば、尚更のこと。
 昔を思い出す。
そして想ってしまう。
いつでも、何度でも。
聖帝学園にいるとそれは強くなる。
 認める認めないなんてこと、もう随分前のこと。
 もう、そんなことで気にしない。
今はただ――
「守ってみせるぞ、先生」
 貴女が愛している場所を、崩させはしない。
 それだけは分かっていた。


おまけ



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