Words I couldn't say






 淡い青色の高い空を、空からすれば低い低い大地から見上げてみる。
 頬を掠める風は緩やかで、過ごしやすい。
快適な睡眠を心行くまで堪能出来るだろう。
 それだけ、そう思うだけで、自分が馬鹿らしくなる。
 日常という何事も無い緩やかな時間に感激する心持ちもなければ、上司のように歌を詠う気も湧かない。
才能の無さも、知識が可哀相なほど足りてないことも、自覚している。
事により天気を意識するならまだしも、しみじみ無意味に思ってしまうなんて、柄じゃない。
 ちゃんと自分を分かっていても見上げてしまうのは――最近どうも視界が輝いて見える錯覚に陥っているか ら。
 そうしてまた今、再認識してしまう。
なんだか今日も天気が綺麗だ、と。
合わない単語を繋げてしまうほど、おかしくなっている。
 疲れている訳でも、身体に支障がある訳でもない。
 本当はどうしてそう思ってしまうのか、おかしいのか、気づいている。
ただ、臆病になっていることが本気の表れみたいで、それに、気づきたくないだけ。
気づきたくないから、気づいていない振りをする。
一番無駄な行動を、自分に向けて、する。
 千鶴。
おまえは今、何をしている。
今日は天気もよく、目立った事件も起きていない安定した時期――こんな日が続く訳無いから、巡察に誘え ば良かった。

「原田隊長、」

 躊躇いがちに、直属部下の十番隊隊士が声をかけてきた。
俺が振り向くと、和菓子屋を指し提案される。
「団子か金平糖か饅頭か、手土産にどうです…?」
 一瞬、どうしてそういう流れになるのか理解出来なかった。
よくよく周りを見てみれば、他の隊士達も俺の様子を窺っていて、不安そうにしている。
そうしてやっと、意図を察した。
 隊士に何処までかは分からないが表面は見破られている。
間抜けなくらい。
それだけ俺が千鶴を可愛がり、隠しもしていないからだろうが。
 参った。
俺、そんなに気張ってたか。
悪ぃ。
緩やかな昼の巡察ですらこんな屑になっちまってる俺は……本当、滑稽だ。
「そう、だな…そうするか」
 気を落ち着かせ、苦笑を零しながら、その提案に賛同した。




 甲高くて長い鳥の鳴き声に、集中が一瞬向き、千鶴は頭をあげた。
じめじめと湿気のある薄暗い部屋から戸の先――外を見ると、目が眩んだ。
「こほっけほっ…」
 軽く咳き込む。
埃が充満しているので致し方ない。
 千鶴は両手で持てるだけの書物を持ち上げ、部屋から庭に隣接した廊下へ出る。
先ほど今と同じように運んでおいた書物の隣に置き、ひと呼吸。
 紙は束になると重たい。
綱道の部屋掃除をする際、よく思っていた感覚を思い出し、忘れていたことに苦笑してしまう。
 随分前のようだ。
数年という年月も経っていないのに。
薄情な娘のようで、嫌になる。
 千鶴は気を紛らすように、空を見上げた。
先ほど鳴いていた鳥のことを思い出しながら。
「空が……高い」
 今日は重たい雲もなく、風の通る良い天気だ。
その丁度良い条件だかこそ、庭の掃き掃除が終わって暇を持て余してた千鶴に、山南が書物の日陰干しを 頼んできた。
 本の日陰干しは何度かしたことがある。
書物は綱道がよく読み、所有していたから、馴染み深い。
古い紙の匂いも懐かしかった。
 だから不都合なく事が進められ、焦りも無い。
 ひゅうっと、夏にはない少し冷たい風が頬を切る。
それにより無意識で肩が微かにあがった。
 肌寒くなった、と思う。
それでも冷え込むほどではなく、すごしやすい。
転た寝したいなぁ…しても良いよね、とぼやいていた沖田の気持ちが分かる。
「昼寝、か」
 新選組屯所で平和と感じてしまうのはおかしいのかもしれない。
でも、人を切るから無情という訳では無い事も千鶴は知っている。
 複雑だ。
答えなんて、出せない。
 よくない、定まらない曖昧な思考回路に、千鶴は頭を左右に振った。
考えないように、邪念の如く振り払う。
 仕事、そう頼まれた事を遂行しなくては。
あらかた仕舞いこまれていた書物を部屋から出すことは出来たが、それで終わりではない。
 山積みの書物をひとつひとつ予め引いておいた布の上に置く作業に取り掛かる。
あまり使われていない北側の廊下とあり、日光や人通りの心配はいらない。
 単純作業、何も考えないよう、意識する。
脳裏の片隅に残る、綱道の記憶を強く、会いたいと願わないように。
すぐに解決しないと分かっているからこそ、思い出さないよう、意識した。

「――千鶴」

 どきり、とする。
心臓に悪い、と思えるほど驚いた。
 千鶴は勢いよく顔を上げ、声のする方に視線を向ける。
「原田、さん」
 疚しいことは無い。
隠す必要も、多分無い。
それなのに、何故かこの人には知られたくないと思ってしまった。
自分の不安を、幼い子のように父と会いたいと願い、無意味に苦しんでいたなど、知られたく、ない。
原田だと分かって、安心した気持ちもあったのに、だ。
「……どうした?」
 苦笑混じりに、原田が軽く首筋をかきながら近づいてくる。
千鶴から視線は外さず、感情を読み取ろうと、零さないよう、気を集中させて。
 千鶴は一瞬視線を落とし、瞼を閉じる。
そして次に声をかけられるより早く、気持ちを切り替えた。
「おかえりなさい」
 隠す必要は無い。
そう、心で繰り返す。
 でも、言えない――と思い、千鶴はただ微笑んだ。
「巡察、お疲れさまでした」
 いつものように、同じ言葉を。
変に意識をすると問いただされる。
曖昧だと逆に勘違いと思ってくれる、そういう人。
 この人だからこそ、心配して欲しくない。
この人だからこそ、恥ずかしい気持ちを知られたくなくて、弱った心を隠す。



「あぁ、ただいま」
 勘違い――では無かろう。
千鶴に落ちた影は、柔らかい優しい雰囲気から程遠かった。
 だけれど、今は問いただすべきでは無い、と判断する。
ずかずかと心に入られるのは好きじゃない、そう原田自身よく思うことだからだ。
策略も練れない馬鹿だが、自分の勘を信じている。
だから、今はとどまった。
「雑用、まかされた…みてぇだな」
 廊下にずらりと並べられた書物は異様な光景で、何処か不気味だ。
「土方さんか…山南さん、辺りか?」
「はい」
 本を気にするなんて輩、新選組にはそういないから、頼む人も限られてくる。
 どうりでよく知った屯所なのに千鶴がすぐ見当たらないはずだ。
いつも居そうな場所を覗いたが全然見つからず、時間をくった。
 千鶴に逢いたくて捜した、なんて言える柄じゃない。
しかも何も無い、ただの巡察帰りで、なんて。
 なんだか、恥ずかしい。
 恥ずかしいってなんだ、この俺が。
滑稽過ぎだ。
「千鶴」
 誤魔化すために、口から出ただけなのに――名を呼ぶだけで、くすぐったい気持ちになる。
言いたいと思う、何度でも、振り向かせるために。
「まだ…時間かかりそうか?」
「いえ、もうすぐ終わりますけど…?」
「金平糖。巡察の時に買ってきたんだ。終わったら食べねぇか?」
 流石に隊士から気を遣わされた顛末までは言えなかった。
「………いいんですか?」
「遠慮するこたねぇよ」
 千鶴のため、なのだから。
 酒のつまみにすらならない金平糖を、原田は食べたいと思わない。
だけれど千鶴が好きで、嬉しそうな顔をしてくれたら、と思ってしまった。
それだけ。
それだけだから、断られたらどう対処すれば良いのか分からない。
「……はい、頂きます」
 ふわり、と。
柔らかく微笑まれた。
 この笑顔が綺麗だと思う。
尊くて、何度も見たいと、願ってしまう。
欲しいと、望んでしまう。
「もう少しで終わりますから、待ってもらっても良いですか?」
「あぁ、そりゃ勿論。そっちが終わらせてからで良い」
 作業を再開する千鶴の姿を一瞥してから、原田は空いている場所に腰をかけた。
適当に座った所為で、だんだらの羽織りに皺が寄る。
「…あ?」
 ふと視線を落とした際それに目が留まり、脱いでくるのを忘れていたことに気づく。
遅い、今頃気づいた、が正しい。
 千鶴に手土産を渡したくて、笑顔がみたくて、帰ってくるなり一目散。
餓鬼みたいに馬鹿な行動し過ぎだろ、と原田は心で呆れてしまう。
「……原田さん?」
 短い声の疑問口調に、千鶴が心配そうに顔色を窺ってくる。
「何でもねぇよ」
 いつもの口調で、よくする苦笑だけ、返した。
 いつか、先ほど千鶴が一瞬隠した影の靄を、問いただせるように、聞けるように、なろう。
そして、いつか――今日、言えなかった言葉を紡ごう。
 柄にも無い事を思いながら、原田は千鶴の仕事が終わるのを待った。






 巡察から帰った十番隊の中に、左之の姿が無かった。
 あいつ何処行きやがった。
これから花街に行かねぇかって誘う俺のためにも、早く見つかれってーの。
 お、いたいた。
廊下に腰なんてかけやがって、珍しい場所にいるから時間かかっただろうが。
なんだよ、平助と将棋でも――
「千鶴ちゃん」
 死角で気づかなかったが、左之の隣に千鶴ちゃんがいた。
ふたりの間には金平糖とお茶。
こりゃどう考えても左之からだな。
あいつ餌付けしか思いつかないのかよ。
あー馬鹿なヤツ。
「永倉さん」
 俺の方を見上げて、柔らかく笑う。
すっげぇ無防備。
おー怖ぇ、左之睨むんじゃねぇよ。
千鶴ちゃんから見えない角度だからって大人げねぇっていうか、自覚してんのか、その微かな殺気。
「永倉さんもどうですか?」
 金平糖?
いやいや、甘い一級品はちょっとなぁ。
しかも左之のだ…いやいや左之のだしな!
「じゃぁちょっとだけ」
 軽く摘んで数個口にいれる。
 あっめぇ。
本当砂糖菓子だ、茶茶、左之の茶。
「おい、てめぇ」
 左之の言葉なんて無視。
お前の茶なんてどうでも良いだろ、な。
 口直しをしてから、千鶴ちゃんに向かって有難うの笑顔を見せると、再度千鶴ちゃんは微笑んだ。
 しょーがねぇ、今日は俺が諦めるかって気になるのは何故だろう。
千鶴ちゃん、侮れねぇ。
「左之」
「なんだよ」
 複雑そうな表情で睨みつけられたって、痛くもかゆくもねぇよ。
どうせこの場を見られた事が恥ずかしいんだろうけど。
まぁ、左之は俺より馬鹿だからな。
つーか馬鹿すぎだからな。
「男の嫉妬はみにくいぞ、左之」
 千鶴ちゃんに聞こえないように。
小声で。
 自覚しろ、お前は馬鹿だから。
ちゃんと、気づけ。
千鶴ちゃん、悲しませんなよ。
「新八っ…!」
 左之の拳が飛んでくる前に、俺はその場から立ち去った。
背中越しに聞こえる左之の声なんて無視無視。
 良いだろ、からかうくらい。
俺が今日花街諦めてやるってんだから、それくらいさせろよ。



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