Maybe you're not alone
※『The cycle of the seasons』のネタ続き。 『ゴージャス』と『香』の定休日――日曜、里桜は竜崎の提案で、芹香の手料理を食べに行くこととなった。 里桜と竜崎の予定を合わせての日にちなのにも関わらず、芹香は慣れているからかあっさり良いと言ってくれた。 作る本人が言ったのではなく、いつも賄われている側が言う所が大変失礼で図々しいと思う。 そう心では分かっていても、楽しみにしていたので里桜は暗黙してしまった。 「そこ、脆くなってるから気をつけろよ」 見た目からしても脆い階段を上りながら、竜崎が後ろにいる里桜に注意を促す。 「階段で脆いってどうなの、それ…」 古びた建物はあまり好かないが、生活観はあるなら嫌いじゃない。 初めて来た河合荘にそれなりの好感が持てた。 「随分古いしな。…里桜、」 「何?」 「……いや、何でも」 一瞥した程度でそれ以上言わなかったが、里桜は何が言いたいのか読み取れた。 里桜の体力的な様子を窺っている、と。 待ち合わせは竜崎が最寄の駅まで迎えに来てくれたため、河合荘の現地集合では無い。 タクシーで行くと言われたが、歩ける距離だと言ったので、里桜が歩こうと提案したのだ。 いつもは面倒くさがるのにと竜崎は不思議がった。 実際少し疲れた、買い物の時だけは歩行も気にならないが、いつもは苦痛で仕方が無い。 ヒールは半端なく体力を持っていく。 旅行に出かける際の高揚感に似ている気がする。 どうしても、竜崎と歩きたいと思った。 だから…歩きたいと我が侭を言った。 「直夜は一階に住んでるんだっけ」 話を逸らした、あまり指摘して欲しく無いから。 そんなことしなくても、竜崎は分かっていると気づいていても、そうしてしまった。 「そう。1階にしては日当たりも悪くない」 「ふぅん」 やや頭上、先に上がっていく竜崎の後姿を見ながら、里桜はぼんやり待ち合わせを思い出す。 今日、初めて逢って見た時、色々どきりとした。 嬉しさと苦しさ、なんとも曖昧で複雑な感情だった。 仕事着ではないラフな格好、里桜も同じなのだけれど、こんなの見る日が来るとは思ってもいなかった。 仕事場以外で逢うなんて思っていなかったのだろうか。 すっかりそのことが抜けていて、動揺した。 失念なんて、久しぶりだ。 後悔した、初めて今日という日を、恨み、泣きそうになった。 可愛く本当に見慣れない格好に喜びと、互いに引いていた区域に踏み入れてしまったような不安。 もやもやした気持ちは消えない。 だけれど、なんだかデートみたいな気分と、これから芹香の手料理という楽しみで、そわそわしてしまう。 すぐに揺らいでいく感情。 身を任せるべきか、餓鬼だと呆れるべきか、里桜は自分をどう考えるべきか決め損ねてしまった。 短い廊下を歩き、一番奥の部屋の前でチャイムが無いからコンコンと戸をノックする。 中から「はーい」と明るい声が聞こえてきた。 手馴れているのか、竜崎はそれだけでドアを開ける。 「芹香ちゃん。今日はよろしく」 「芹香、お邪魔するわ」 「どうぞ。今日は皆でと思って鍋なんですよ」 芹香がにっこり笑って出迎えてくれる。 何だか気恥ずかしい思いで顔を背けると、竜崎のにやにやした笑みと視線が合い、里桜はムッとしてしまう。 分かってる表情が今日ばかりは憎たらしい。 「なによ」 「なーんにも」 竜崎の腕を、里桜は軽く叩いた。 入ってみれば、里桜の予想通り小さな、狭すぎる部屋だ。 荘の大きさと一人暮らしならこんなものかと予想と想像はしていたので、そこに驚きは無い。 無趣味ですかと言わぬばかりのありふれた定番の物に対しても、それはそれで気にならなかった。 それよりも―― 「あれー?里桜さんだ、こんばんはー」 「どうも」 いつも竜崎を指名しているので接触はないが、名前は覚えている。 玲司と、最近入った香希だ。 違和感のような、慣れたくつろぎのような。 竜崎から話は聞いていたので、心底唖然とした訳ではないが、聞くと見るとは大きく違う。 「……そうだ。芹香」 あえて無視、疑問なんてキリ無さそうだし、里桜は見なかったことにする。 芹香に買ってきたケーキを差し出すと、嬉しそうに「有難う御座います」と笑ってくれた。 そんな些細な…と思ったが、その表情で里桜は十分満足してしまう。 「狭いですけど、どうぞ座ってください」 言われてからやっと座る場所に視線を向けると、一応腐ってもホストか、里桜の空間は広く取られていた。 ちゃっかり先に座っていた竜崎が空いているスペースを軽く叩いて催促しているので、そこに里桜は腰を下ろす。 「そういえばマコトは?」 定番のメンツなのか、竜崎がぽつりと零した。 今で芹香含めて5人なのに、どうやってテーブルを囲むというのだろう。 想像したくないので、里桜は考えないし聞かないでおく。 「遅れてくるって言ってましたよ。なんか用事があるらしくて」 芹香の返答に「ふーん」と簡単な相槌をうつ竜崎と玲司に対し、香希だけは眉間にシワを寄せた。 里桜はひとり気づいていたが、あえて触れない。 最近その弁えが、職業病な気がした。 自然に、自分の性格として捉えたかった…職業的にそうする、とかそういうのが嫌だ。 職業とオフを分け隔てるこの拘りも可笑しい。 だけれど、気になりだすと無性に苦しかった。 誰にも零したことの無い、里桜の心境。 多分これからも言うことは出来無いだろう。 分かって欲しくないし、気づいてほしく無いから。 「はい、里桜さん」 芹香の声に、里桜はハッと我に返った。 視線を合わせると器と手渡され、里桜はそれを受け取る。 「もう出来ますよ」 「…そうね。お腹空いた」 鍋か。 いつのまにかテーブルに料理が並べられていて、自然とそちらに目がいった。 芹香が竜崎とは反対側、里桜の隣に座り、食材や飲み物など揃い、準備万端。 「もう良いだろ」 「香希さん、そう急かさないで下さい」 香希の発言に苦笑しながらも鍋の蓋を開けると、白いけむりと一緒に玲司が「わー!」と喜ぶ声を上げる。 ちょうど頃合いのようだ。 美味しそう…と、食べてもいないのに里桜は見た目だけでそう思う。 鍋なんて物珍しいものでは無い。 いつもは料亭という広い空間で静かにとっていて、素材の値段から雰囲気まで今とは正反対だ。 やはり美味しいものにはそれなりの場所と食材と思ってはいたが、こっちの方が良いとお世辞無しでそう感じた。 あぁ、そっか。 里桜はそれでやっと分かる。 どうして、皆が芹香のところで食べたいと思うのか。 彼女の優しさと気持ちと、料理の腕と、まだ他にあった、と。 「皆、同じか」 芹香は気づいていないけれど、里桜や竜崎が浸かる業界は何処かしら皆ひとりぽっちだ。 寂しさを感じる、沢山の人と接しているのに。 その心を、芹香は当たり前に癒してくれる。 だから。 美味しさも勿論あるけれど、空いた穴を埋めに来ている。 エゴイズムの塊。 それを芹香はどう受け止めるだろう。 誰もが不安がって恐れ、聞けずにいる。 だから、芹香は知らない。 「ん?里桜どうした」 竜崎が顔を覗くように見てくるので、里桜はそれを軽く首を横に振って誤魔化した。 今、言う必要なんて無い、触れることなんて、無い。 ふたりの会話に気づかず芹香が「いただきます」と声をかけたので、玲司を筆頭にして皆素直に「いただきます」と発した。 「里桜さん、美味しいですか?」 「えぇ。羨ましいくらい美味しいわ」 「へ?」 囲んで御飯を食べる、そんな意味をこんな形で知るなんて。 言っても理解されないだろうから、里桜はそれを芹香に言わなかった。 back |