What on earth are you doing?
沈黙した。 店員なのに情けなく呆然と客を出迎えることが出来ず、ただこの視界に映るもの全てが嘘だったら良いのにと思った。 いつも思考の回転が遅い、もう少しどうにかならんのかと言われ続けた割には色々思えたので褒めて欲しいくらいだ。 否、脱線した。 とりあえず何故だか一度ごくりと喉を鳴らす。 目をぱちぱちと開閉。 本当は頬を抓って夢だと思いたかったけれど、そこまですると怒られると察してか、手は動かず。 これがある意味この人の空気を読んでる…はず。 ダメだ、今すぐにでも逃げ出したい。 向こうも信じられ無さそうだし。 とりあえずふたりで立ち尽くしてるから、誰でも良い。 何か、声をかけて。 「お前、何やってんだ…」 向こうも色々ぐちゃぐちゃに思考を巡らせた結果なのだろ。 まぁ、滑稽な発言であるのは明白だけれど。 天袮さんみたいに笑顔ですぐフォローいれて下さい。 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、香希さんのばかー。 「えっと……いらっしゃいませ」 芹香は従業員であってプロのホステスでもなければ見習いさんでもない、ただの隠れてアルバイトのひとりだ。 『ゴージャス』に行く資金が集まる筈も無い社会人1年目、どうやりくりしようか悩んでいた所、柊子ママが声をかけてきてくれたのが『クラブ香』で働くきっかけ。 こういうのこそ人の繋がりだと思い、つい涙ぐんでしまったが。 という訳でこっそり柊子の『香』でアルバイトをしていたのだが、今日は最悪、いつもは場を見計らっていたのに運悪く遭遇してしまった。 バレても良い人の方が多い…というより芹香の中でバレたら恐いな〜と思っていたのは香希くらいだ。 どんぴしゃアウト。 「なんですか、あのアホは」 重たい溜息をついた香希に、柊子がじきじき、ボトルを入れながら苦笑する。 「まぁ、芹香ちゃんが泣いているの、見過ごせないでしょ?」 問いつめようとした瞬間、柊子がするりとやってきて香希を移動させたので本人に聞けずじまい。 だけれど、柊子は元締めなので、こっちに聞いた方が客観的で分かりやすいのも考え済み。 ただ、香希としては本人の口から一番に聞きたかったという気持ちがあっただけ。 どうしてそう思ったのか、香希も分からない。 考える必要も無いと振り払った。 「そういう問題じゃ……というより、あいつはそういうことで泣きませんよ」 「まぁね。泣いてくれないから寂しいわ」 絶対可愛いのに、という口調が柊子なりのお気に入りある証拠なのだろうけれど、何か歪んでいるような。 周囲にはそんな奴等しかいないな…と憎むべき上司を思い、香希は忘れることにする。 「……俺もさほど変わりないか」 アルバイトどころではなく、本業と同等にホスト業をする香希の言える口では無かった。 少し違うのは香希の場合、本人の意思では無い。 自分は拒んでいるのに、どう考えても睡眠時間無いだろ、と言わぬばかりのスケジュールにさせられていること。 芹香は自ら飛び込んでいる。 似ているようで違うが、多分似たり寄ったり、比べるのも不毛だ。 「あら。やっと気づいたの?」 面倒くさそうに軽く後頭部をかきながら肯定すると、柊子があっさりとした返答をする。 嫌味だろうか。 嫌味じゃなかったらなんだろう。 香希はそんなことを思いながら、無意識に芹香を捜した。 店内を一周ぐるりと見渡して、やっと裏にいるから見えるはずも無いことに気づく。 何やってんだか…と己に呆れ溜息をつこうとした瞬間、目敏い柊子が香希の態度に微笑んだ。 「私じゃなくて芹香ちゃんが良い?呼んで来るわね」 あげようか?じゃなくて、もう否定無しのつきつけ。 ママを差し置いてな気分もあるが、本人がそういういうのだから気にしなくて良さそうだ。 「いや、あいつは」 ただの雑用にすぎないアルバイトと言おうとすると、柊子は更に強く重たい笑みを見せた。 笑顔で一押し、黙らせる。 「私が良ければ通るのよ。気にしないで頂戴ね」 この店のホステスは柊子に拾われたり助けられたり、感謝や尊敬が多く、誰も文句を返せない。 それに柊子が傍若無人な訳でもなく、ちゃんと思考している。 決定打は、芹香は料理の腕前で店の子の心を鷲掴みしているから。 男のみならず、料理の美味しさは女も落とす。 という訳で、反感が薄いことを分かって、決断していた。 香希はそんな事情知らないが、柊子の決定である。 止める事など出来ない。 「ねえ、芹香ちゃん」 「…はい?」 柊子のお招きならば断るはずもなく、警戒心無しに芹香が近づいてきた。 いつもは奥の裏方なので呼ばれることもそうありはしない。 何か持ってくるのかな、みたいな表情すらしている。 「ちょーーーっと忙しいから、今だけ香希君のお相手してあげてて」 「……え?」 何処が忙しいんだ。 若い子に任せて大丈夫、信じてるしヤボで柔な子達じゃないから、とか言ってゴージャスに来る人が言える口か。 しかも今の今まで全然忙しいなんてそぶりも空気も予感も無かった。 完全な適当で嘘。 「と、柊子ママ?!私はそんな、」 芹香の今着ている服装は、店の表側としてそぐわない。 ぶち壊し間違いなしと慌てるが、柊子はそれも予想済み、笑顔でにっこり遮断した。 「一星の時にはしてたでしょう?」 店長の名に、香希は知らない出来事に触れかけるも、追求しないでふたりの会話を見守る。 どうして気になるのか、香希本人が気づけるのはもっと後のこと。 「あれは閉店になっていましたし!それとこれは全然違いますよ!」 「まぁ確かにそれとこれって感じだけど。芹香ちゃんも体験してみると良いわ。たまには営業する側、経験も大事よ」 なんとも嘘くさい言葉の繋がりなのだろ。 柊子は「ほほほ」と意味不明な声と共に立ち去っていく。 てきぱきとした動きと言葉についていけず、芹香は途方にくれた。 どうせ止めることなど出来るはずが無い。 諦めきっている香希はというとだらりと珍しくソファに背を預けた。 そして締めていたネクタイを少し緩め、柊子が注いだ水割りを口に入れる。 いつもと同じアルコール、若手にあなどることなくちゃんと出すさまは流石銀座で店を出し、名を馳せる人だ。 凄い人、そうだから誰も文句が言えぬまま終わってしまう。 「えー…と、香希、さん?」 香希の態度を見て、芹香もやっと諦めたのか、今度は恐縮そうに座りなおした。 「なんだ」 「お仕事お疲れ様です」 ゴージャス使用のスーツではなく、芹香が会社で見る姿だったのでそう言葉を選ぶ。 「そっちもお疲れさん」 「ぅ、はい…」 本日、月曜日。 香希の定休日であるから間違いないし、この返答からして会社からの帰り道に、という感じだろう。 きまずい…何を話せば良いのか分からない。 うーんうーんと声には出していないが、芹香特有、はっきりと気持ちが表情が出ていた。 それを知っていたのもあって、香希には芹香が今何を考えているのか読み取れる。 相変わらず周りを見ないというか、もう少しどうにかならないのかと言いたくなるような。 「……お前、今日は行かないのか」 何故だかは分からない。 ただ、しょうがないから助け舟でも出すか、と香希は思った。 「何が、ですか?」 芹香がハッと顔を上げる。 『香』に着いてから初めて自然と目を合わせられた気がした。 初っ端は驚いてそれどころじゃなかったのでカウントにいれていない。 「だから『ゴージャス』」 「……ぇ、はい」 「そうか」 「?」 相変わらず難しい人だな、と思うも黙っておいた。 いつもは香希の客だが、今は逆だからもあるし、何を言って良いのかさっぱり分からない。 そうしてやっと芹香はホストやホステスの凄さをちょっと感じることになる。 やはり受けてみないと分からないことだらけだ。 「このバイト、何時までだ?」 「えーっと…いつもバラバラなんですけど」 最後までは居させてくれたことは無い。 芹香は少し頭上を見ながら、だいたいの平均を割り出した。 「あんがい早いな」 「はい。早い上がりなんです」 芹香はやるとしたら徹底的で最終まで居たいと言い張るのを読み取り、柊子がそうさせていないのだろう。 人のありがたみを上手く取らないというか知らない奴だな…と、思うも柊子が恩をきせている訳でもないと分かっているので、香希は指摘はしない。 香希は一度腕時計で時間を見て、今日の上がり時間までを計算する。 そんな長く無いし、居座るにはちょうど良さそうだ。 「上がったら俺に飯を作れ」 「ここでですか?」 「違う。河合荘で、だ」 へ?と首傾げる芹香に回転の鈍いこいつをどうにかしてくれと心で詰った。 言葉数が少ない所為もあると自覚はあるので責められないのだが。 「ここだと食った気がしない」 「まぁ…飲んだりするところですし」 「それにお前は――…いや、なんでもない」 「はい?香希さん??」 「神崎だ」 「はぃ、神崎さん」 料理の腕を自負して良いと思う、と言いかけたが、なんとなく釈然としなくて言えなかった。 ※『It is the calm before the storm』にその後あり back |