Please, please, don't go away




※公式設定ではありません。1年・千鶴、3年・永倉と原田。剣道部(顧問のひとりに土方)




 それは年の終わり。
肌寒くて、校舎の中でも少し肩が上がってしまう。
 部活顧問に用があって職員室に出向いたその帰り道。
今年の部活も今日で終わりか、などと思いながら千鶴は廊下を小走りして突っ切る。
誰もいない静かな空間、ぱたぱた上履きの音がやけに響いた。
 部活の活動場所である剣道場と校舎の間にある中庭の渡り廊下に出ると、ひゅうっと冷たい風が頬を切り、千鶴は立ち止まる。
 寒い。
それに尽きた。
 ぼんやりと下を見てみれば、長く伸びる影。
 もう陽が落ちているのか。
そう思うと自然に太陽の方へ目が向いた。
 薄暗い、沈みゆく太陽と青色から茜色になり真っ暗な闇に落ちるまでの短い時間画かれる、綺麗な夕焼け。
 空を見上げ、見惚れる。
絶妙な赤と青の混ざった色合いが素敵だ。
せめて脳裏に焼きつけられたら良いのに。
 瞼を閉じ、その景色を忘れないよう、気持ちの中に押し込めた。
少しでも、覚えていられるよう、願いながら。
 そろそろ部活も終わる時間だ。
今年最後、年が明ければまた始まるのに、何故か少し寂しかった。
理由は分からない。
 来年もそんなことを思うのだろうか。
嫌だとも思うし、そう思えたら良いのに、と来年の今頃を今から考えてしまった。


 ザ――

 土が擦れる音。
我に返り、千鶴は瞼を開く。
そして音のする方に視線を向けた。
 それは、さきほどまで見ていた夕焼けがある方で――いつのまにか、ひとりの人物が描き加わっている。
 空の下に長い長い影を落とした、明かりに背を向ける所為で表情までは見えない、人。
沈む空と一緒に消えてしまいそうな、雰囲気。
手を掴まなければ、今ここで逃したら、もういなくなってしまうような、寂しい気持ちになって、きゅうっと胸が苦し くなる。
 何故だろう。
心では誰か分かっていても、視覚だと気づいていないだけか。
誰か、本当は分かっていて、自分は、それだから――

「…ん?あぁ、千鶴ちゃん」

 声にハッとする。
聞き覚えのある声だ。
「な、永倉先輩……」
 永倉は千鶴にとって部活の先輩だ。
3年生で引退はしているが、よく部活に顔を出している。
彼だけ、では無くこの部活だと当然とか当たり前などという考えらしく、永倉以外の3年生もよく来ていた。
「あの、」
「サボってるとこ、見つかっちまったな」
 ハハ、ととぼけた口調でカラ笑いをひとつ。
 千鶴の方に近づいてくる。
 良かった。
何故かそう思う。
 いなくなってしまう、と思ったからだろうか。
「……内緒にしておきます」
「サンキュ」
 防具を取った剣道着、頭にタオルを巻いていた事と汗の所為か、髪は少し湿っていて。
姿はいつもと変わらない。
やっと表情が見えるという距離になって、変わらぬ表情を見ても、何故か不安が拭えない。
 どうしてだろう。
こんなにも苦しい。
「あ、あの――…!」
「ん?」
 いつもと、変わらない声色。
 全てがいつもと変わらないのに。
何故だか、寂しい。
「……って、千鶴ちゃん?!ど、どうした!!?」
「え?」
 いきなり慌て始めた永倉に、千鶴が驚いた。
 2つも年上の先輩が、慌てる姿は何処か幼くて、おかしくて。
いつもの永倉がそこにいる。
そう、ずっと思っていたように、変わらない。
それが真実。

 そう、違うとすれば、おかしいのは自分だ――と千鶴はやっと気づいた。

「千鶴ちゃん、俺…何かした?それとも、千鶴ちゃん、何かあったのか?」
 永倉の手が少し伸びて、千鶴の頬に触れる。
そして拭う仕種に、千鶴は泣いているのだと分かった。
 目元が熱い。
視界が滲んでしまうほど、泣いているのか。
 寂しい、寂しい。
理由が分からない。
だけれど、一瞬にして、心に、穴が、開いた。
ただ、綺麗な夕焼けと、沈みゆく太陽と、そこにいた永倉を見ていただけなのに。
 感動して泣いた嬉しくて苦しい涙じゃないことは分かる。
「すみ、ません……」
 頬をつたう、悲しみを伝えた、涙が、こぼれる。
 泣いては、ダメだ。
千鶴が泣くのは可笑しい。
 自分でも分かっている。
 どうしてだろう。
止まらない。
「その、俺が、何かしたなら…その、謝る」
 心が静まったのか、永倉がぽつりと零した。
何も言わない、それを永倉は自分が何かした、と捉えたようだ。
「ちがい、ます…!」
 それは違う。
そこだけは否定しなければいけない。
「永倉さんが悪いんじゃなくて、私が、ただ…」
 違う、違う。
 何も分からない。
 何が、どうして、こんなにも泣けるのか、分からない。
どうして良いのか、分からない、涙。
「千鶴ちゃん。落ち着け、な?」
 首を何度も横に振る千鶴に、永倉は喉を鳴らして笑った。
「俺が悪いんじゃないなら――」
 千鶴の涙を拭う手が止まる。
それでも離れない、永倉の手。
「泣き止んでくれ。俺は…千鶴ちゃんの涙にはどうも弱い」
「すみません…」
「謝るなって」
 その声色に、やっとまともな勇気が湧いた。
 ゆっくりと千鶴は顔を上げて、永倉と視線を合わせる。
「――…!」
 息を飲んだ。
涙も、止まった。
 見たことの無い、表情。
少しくすぐったそうに、嬉しそうに、困ったような、なんとも言い難い雰囲気で。
千鶴を落ち着かせるように、柔らかく、最後には笑う。
 見惚れた。
 その言葉が、一番正しい。
 どうして、だろう。
どうして、泣いて、しまったのか――千鶴はやっと、やっと、気づいた。
遅すぎるのだろうけれど、やっと自分の苦しさも綺麗だと思ったことも寂しさも、理解出来た。
「永倉先輩は…青紫と茜色の混じった夕焼けがすごく似合います」
 好きだ、こんなにもこの瞳に映る人が。
 だから、いなくなってしまうのではないかと不安になった。
事実、2つも上の先輩だから卒業がせまっている。
そして、だから警戒の音が鳴らしていた。
「…どうした、いきなり。褒めたって何も出ないぞ」
「本当に、そう思ったから…言いました」
 綺麗だ、こんなにも。
 傍にいたい。
それを自分の心より、身体が先に気づいて――泣いてしまった。
「……千鶴、ちゃん」
 永倉に向かって、ちゃんと笑えているだろうか。
 千鶴はそんなことを思いながら微笑む。
 この人の前では笑っていたい。
泣いて欲しくない、と言われたから、間逆のことを、しよう。


「新八ー?おーいサボってねーで戻って来い!土方さんが苛立ってんぞー!!」


「――さ、左之!?」
 少し遠くから、永倉と同学年でよく部活に顔を出す原田の声が聞こえてきた。
それと同時に、永倉が千鶴の頬に触れていた手を離し、千鶴も視線を外してしまう。
 そして訪れる、気まずい沈黙。
何か囚われたように、足が動かなくて、曖昧な雰囲気に今更恥ずかしくなる。
「……あー…千鶴、ちゃん。いこっか」
 先手を切り出したのは永倉で、少し苦笑混じりに千鶴の顔色を窺ってきた。
「は、はい!」
 まだ部活は終わっていないことを思い出し、千鶴は勢いのある返事をする。
「おう」
 それに気をよくしたのか、永倉が豪快に笑った。
 それと顔に落ちる夕焼けが重なって、綺麗で、千鶴は一瞬目を細めてしまう。
さきほどと、同じ寂しい感情が溢れてくる。
「千鶴ちゃん?」
 着いて来ない千鶴に、永倉が振り返った。
 曖昧な気持ち、幻覚じゃない、感情。
やっぱり、この気持ちは嘘じゃなかった。
そう、分からされた気がする。
「今、行きます!」
 千鶴は拭えない気持ちを心に閉ってから、永倉の後を追った。



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