Nothing can hold you back






 千鶴は屯所内の廊下をぽてぽてと歩いていた。
空を見上げたり、庭に咲く花を覗くように見たりしながら。
 静かだなぁ、なんてぼんやり思っていた。
「……ぁれ?」
 物音がする。
大げさに慌ただしいが、誰かと揉めているとかそういう恐ろしい雰囲気には感じられなかった。
 何処の部屋か、と音のする方へ足を運ぶ。
「……あれ?」
 この部屋かな、と思う場所に辿りついた。
それでも物音は途絶えない。
千鶴の存在に気づかないほど、慌てた隊士って誰かと思いきや、予想外に土方の部屋――どうしたものか。
「あの、土方さん。千鶴です」
 幹部の部屋――しかも土方の部屋に他の人がいるとは思えず、勝手ながら部屋の主だと千鶴は決めつけた。
少し声を張って、障子越しに声をかける。
 バタバタとした音が、ぶつりと途切れた。
千鶴の存在にやっと気づいた、と言わぬばかりの流れだ。
「……どうした?」
「いや、その……凄い物音だったので、伺いに来ました」
 そう切り出されると、言葉に詰まる。
 何が出来るのか分からないけれど、不安や疑問のまま素通りして良いのかと思ったから。
だた、何か出来れば良いと思った。
力になりたかった、それだけで動いた。
「……入って来い」
「はい」
 深刻そうな声に、少しどきりとする。
なんだろう、少し不安そうな、苦しい、必死に何か感情を抑えた雰囲気は。
 障子を開ける。
 必要最低限の物しか置いていない閑散とした部屋が、どうしてか荒れていた。
物が畳の上に散乱している。
「土方…さん?えっと、見つからないものでも?」
 物の無い部屋で物が見つからない時ほど、心書き乱れることは無い。
一応推測のまま、問いただしてみた。
 するとしばし沈黙、どうやらどう言うか言うまいか、土方は考えている。
千鶴が苦笑混じりに首を傾げると、ひと溜息。
少し疲れているご様子。
そして垣間見える焦りと不安。
 千鶴にはさっぱり先が読めない。
「書物、が…その、見つからなくて、だな」
 すっごい言い難そうな言葉の紡ぎに、こういう一面もあるんだぁなんて思いながら、千鶴はふむふむと頷く。
「書物ってどんなのですか?」
 読んでいる姿をよく見る訳でも無いが、藤堂の「オレ絶対読まねー」みたいな発言もないので、部屋にあっても可笑しくはなかった。
 借り物か何かだろうか。
凄く真剣な、焦り。
「……く、句集…だ」
 何故躊躇ったのか、千鶴には分からない。
でも、今それを聞くべき時ではなかったし、重要視していなかった。
「句集?……何処かで聞いたような」
 ついさっき、何処かでその言葉を聞いた。
千鶴は「んー?」と唸りながら、自分の記憶を掘り起こす。
 次に発される言葉次第、という感じの土方に気づけなかった千鶴はとても残念だ。
どきどきはらはらの心配と斬りすてる勢いが混じった表情など、そう見られまい。
「…あ!沖田さんに貸しませんでしたか?」
「ぁあ?どうしてこの流れで総司が出てくるんだ」
 千鶴の閃いた声に、土方が一瞬怯んだ。
勿論それに千鶴は気づいていない。
近藤か沖田か井上辺りでなければ見抜けないほどの微かな差。
「さっき、沖田さんが『土方さんに借りた』って句集を――」
 そよ、と千鶴の前髪が揺れ浮く。
 何かが横切った。
何か、分からない。
とりあえず何か横切ったから、その動作の名残である風が千鶴を直撃した。
「え、あれ?土方さん??」
 瞬き程度、いつのまにか目の前にいた土方がいなくなっている。
「……えっと?」
 沖田の名を呼ぶ土方の声が耳に届いた。
近くでは無い、千鶴の場所から離れた所から、優しい声とは思えない、荒々しい、苛立った怒り。
 ひとり、ぽつんと取り残される。
 どうやら言い終わる前に、土方が廊下へ飛び出していったようだ。
沖田を捜しに行った…のだろう。
 やっと理解する。
予想外の室内惨状、ありきたりな探し物、ありえない行動により、千鶴の思考回路は停止、反応が遅れてしまった。
「どうしよう……」
 千鶴は放りだされっぱなしの物品を見て、片付けるべきか悩んだ。
なんとなくこの流れで、土方の所持物を触ってはいけない気がする。
なんとなく、だ。
 この危機感は間違えじゃない。
勘違いでは、無い。

「お、千鶴発見!捜し…ってどうした?千鶴」

「……平助、君」
 陽気な声に、千鶴は縋りつくような気持ちで振り返った。
空きっぱなしの障子から藤堂が顔を出し、千鶴の呆然具合に驚いている。
「なんで千鶴が土方さんの部屋にいんだ?」
「わからない」
「は?」
 少し泣きそうな表情。
藤堂が少し慌てて千鶴に近寄る。
「俺よくわかんねーけど、大丈夫だ、千鶴、大丈夫!」
「でも、なんか悪いことしたような気がする」
 何かを掻き乱させたのは確か。
 言わなかった方が良かったのかもしれない。
でも、言わなかったら、後悔していた。
「千鶴は背負わなくても良いことまで背負うから、千鶴が悪いとは限らないし、その、えーっと、左之さん!そう、左之さんが団子でも食わねぇかって。それで俺、千鶴を捜してたんだ。だからとりあえず団子食って落ち着こうぜ。そこで話も聞くから。俺も手伝うし」
 今にも瞳から涙が溢れ出さんばかりの表情を変えようと、藤堂なりに考えた。
頑張って、頑張って、言葉を繋ぎ合わせる。
「……うん。ありがとう」
 くしゃくしゃになりながら、千鶴が笑う。
 藤堂の必死さがあったからこそ、伝わったのは言うまでもない。





 どたばたと遠慮無く廊下を走る沖田に一瞥。
 あえて無視、視界に入らなかった、ということにしておこう。
そう思うも、見過ごすな、と心の何処かで引き止めている。
声はかけたくない、なるべく。
だが、その感覚を無視出来ず、諦め、声をかけた。
「沖田さん」
「ん?あぁ、山崎君か。珍しいね、君が声をかけてく――ちっ…君に見られたって考えるべきだな」
「は?」
 いきなり舌打ちとは腹立たしい。
 文句と質問を投げかけようとしたが、次の瞬間にはもう沖田の姿は無かった。
「……なんだ?」
 見られた、とからして良からぬことだろう。
少し様子を探るべきか、と思案しかけた所で次の問題がやってくる。
「山崎ぃ!!総司見なかったか!」
「え?ぁあ、はい。さきほどそちらへ」
 鬼の副長らしい雰囲気と勢いに圧され、山崎はそれだけ答えた。
展開についていけなかった、とも言う。
「よくやった!」
 答えた方向に走り去っていく土方の後姿をじっと見つめ、捜すのは無意味というかしょうもない、と考え尽きる。
 土方の番犬でもそう思えるほど、かなり間抜けで馬鹿げた展開になっていた。





「おや?」
 きょとんとした声に、山南は顔を上げた。
予想していた通りの人が視界に映る。
「どうしました、井上さん」
「いや、それはトシさんのじゃないかな?」
 山南の膝元にある句集が物珍しいようだ。
しかもその存在を知っているからこそ、という驚き。
「あぁ、やっぱり彼のでしたか」
 庭に面した廊下――誰かと遭遇するなんてよくあること。
しかも山南は今そこに腰をかけている。
隠れていない、見つかって嫌なことは無い。
今の今まで読んでいた書物に後ろめたさなど――無い。
 見覚えのある文字に「もしや」とは思っていた。
その程度、要するに何も知らず、山南は読んでいたのだ。
「知らずに持っていた、と。それこそ驚きだよ」
「彼が句集を嗜むとは聞いてはいました。ただそれがこれと一致していなかった、それだけです」
 土方の性格からして見て見ぬ振りが最善だと分かっているからこそ、己の失態に、山南は苦笑する。
それにつられ、井上も素直に苦い表情を浮かべた。
「誰かな、あぁ…総司辺り、かな?」
「えぇ。いきなり渡されて少し持っていて欲しい、と。読んで感想下さいとか言うから何かと思えば、これです」
 意味不明な言葉をよく噛み砕かず従ってしまったのも間違えだ。
沖田が何も考えず、山南に何か提供するはずが無い。
「だからかぁ。珍しくトシさんが走り回っているよ」
「え?」
「うん?だからトシさんが走り回っているよって」
 聞こえなかった訳では無い。
のほほんと解釈する井上に驚いたのだ。
 桜が咲いたよ、くらい緩い。
 平和そのものみたいな笑顔にびびる。

「山南さん!ちょっと作戦変更、句集を――って源さん?」

 ダーッと凄い勢いでふたりの間に沖田がやってくる。
土方の気配は無い。
「やぁ、総司。いつになく楽しそうだね」
 井上の言葉に嫌味は一切無く、事実を述べたまでの笑顔を向けている。
総司が楽しそうで何より嬉しいよ、という雰囲気だ。
「えぇ、そりゃぁ今日は実に素晴らしい時間を過ごしていますよ」
 そして沖田は清々しいまでに爽快な笑みを返していた。
「沖田君、はい」
 どうなんだ、そのやりとり…と思いながら、山南は預かっていた土方の句集を手渡す。
 井上の会話と沖田の態度により、流れは掴めていた。
土方の見るべきではない句集を沖田が手にし、逃げ回っている。
山南は句集を隠すため、そしてもうその必要が無くなった、ということ。
「有難う御座います。じゃ、」
 取りに来ただけ。
時間を割かず、沖田はすぐに走り出した。
「あ!後で感想教えて下さいねー!」
 少し先で沖田の叫ぶ声、そしてすぐさま聞こえる土方の怒鳴り声。
叫んだから気づかれた、という間合いだった。
続く物音と声からして、土方が山南と井上の存在に気づいていないようだ。

 静けさが戻る。
 山南は呆れの溜息をひとつ、井上は落ち着いたことに一息。
「山南さん。トシさんの句集、どうだった?」
「はい?」
「読んでいないからこそ、気になるものでね」
 意地悪とかじゃない純粋なる興味の表情に、山南は手に負えないと思った。



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