【  ゆめみるサカナ 】のサンプルになります







(本文サンプル)

(冒頭にゲストで二宮隊・諏訪第三者による「水族館か〜…」があります)
(冒頭はとくに単行本未収録分、161話までの設定が混ざっています。
 サンプル部分にはありませんが、本の方でご注意下さい)

(前半から抜粋)


 腹部から低く弱った音を聞いた太刀川は、いそいそ食堂で力うどんを頼み、食欲を満たしていた。食器を空にして満腹の幸せ――までは平穏だったけれど、食後の運動兼個人ランク戦を再開するべく、隣接のラウンジを通ったタイミングが悪かった。

「おい太刀川、時間あるか。あるな、座れ」

 断わる行為知らないような、相手の言い分を聞く気がないような。人に頼む口調でも雰囲気でもない二宮と目を合わせた。
「……俺の意見は?」
「あると思うか」
 二宮は椅子に座り、太刀川は移動中で立っている。これを前提に、後者が逃亡を図ると想定しよう。前者は席から立ち上がり、テーブルと椅子の隙間を縫って駆け出す、無駄な数秒を費やす。考えるまでもなく太刀川が有利であり、仮定は成功する。
 しかも現状の二宮はとてつもなく面倒そうな空気を放っている。過去の思い出から確信している。正直な気持ち、逃げるが勝ちだと思う。
 けれど、ラウンジにある横長の四人掛けテーブルに二宮ひとり、三門市とその周囲限定地域密着の雑誌が置いてあって。特集を組まれた店舗かボーダー顔である嵐山隊好き、デート等で参考にする人くらいしか買わない――と偏見を持つ太刀川としては、勘繰って興味が湧き、面倒に巻き込まれることを選ぶ。

「……なに、二宮。デートでもするの」

 これで恩を売り、久しぶりに二宮との個人戦を要求しよう。脳内で可決し、空席に座ろうとした――ところで、襟首を掴まれる。こちらに向かって来る気配は感じていたし、二宮も太刀川の後方へ視線をずらしたので、想定したけれど。
「太刀川、いた。忍田本部長から再提出の紙を預かってきた」
 だらしないし二十歳と思いたくない現実逃避の言動をとる太刀川だが、これでも沢山の戦闘員から総合一位に対する畏怖や憧れ、年上の敬意を受けている。故にこうも雑に扱う人間は、年上か、同年齢か、小南くらいだ。
「お、堤だ」
 誰か特定していなかったので、太刀川なりに僅かな驚きと、この行動を理解する。月見や加古などの女性と、自身より背の低い風間、一応年上扱いの迅は、襟首を掴まない。
「堤か、お疲れさま。丁度いい、おまえも座れ」
 挨拶もそこそこ、二宮が「いい人材が転がってきた」の雰囲気で頷いている。太刀川同様、堤も知り合って数年足らずでもそこそこ性格を把握しており、嫌な予感しかしない。
「は? 何、堤も関係あるのか」
「え、いや、オレには丁度よくないから遠慮するよ」
 話が読めていない太刀川と堤の歯に衣着せぬ物言いが重なる。互い見合ったのち、再提出の紙を押し付け、踵を返す堤の腕を太刀川が掴んだ。食えない表情で口元を緩める太刀川から「俺だけ生け贄とか勘弁だし、再提出の手伝って」が滲んでいた。
 堤もまた運の尽き。不出来な弟子に苦笑する上司の雰囲気に呑まれ、「渡しておきます」と引き受けた数十分前の自身を恨み、反省するしかない。
「堤。おまえ今日は昼にランク戦で防衛任務と夜勤ないだろ」
「うわ…二宮、把握してるの」
「さっき諏訪さんと逢って、偶然聞いた」
「ああ、そっちか」
 言い返せない的確な勤務予定と、太刀川の緩くも引いた反応に二宮の修正が入り、堤のペースを崩された――一瞬を逃してくれず。太刀川が堤を二宮の対面側の奥へ押し込み、自身はその隣、手前に座る。生身でも鍛えて重量のある太刀川を退かさないと出られない席順だ。
 ちなみに二宮は手前で、奥の席が空いている。堤を逃がさないようにすると、太刀川は今からとっても面倒くさい提案をしそうな二宮の真向かいになる。何かを選べば、何かを犠牲にするしかなかった。
 堤も座ってしまうと逃亡も馬鹿らしくなる。溜め息ひとつ吐いてから、再提出の紙を忘れないようテーブルの上に置く。
「分かった。とりあえず太刀川は受け取って」
「太刀川了解」
 まっさらな紙ではない。提出した紙に赤色のペンで直接修正部分が書かれていた。主に漢字変換の少ない平仮名に、漢字のミスなど初歩的で、微妙な再提出である。本部長は弟子に対してあまいのか、厳しいのか。二宮と堤どちらも紙を数秒凝視し、「なんだかな…」と生温い気持ちになってしまう。

「で、用件はなんだよ。デートか? 誰とだ」
 腹を括ったのか、再提出の紙から逃避したのか、面倒だけど何かある餌に食いつくことにしたのか。太刀川はテーブルの上に行儀悪く左腕の肘をつき掌を広げてから、二宮へ問い掛ける。
「……いや、二宮がオレたちにデートプランを相談しないだろ」
「切羽詰まってるとか」
「追い込むほどの相手…誰だろう」
「それ聞いてるところ」
「なるほど。そっか」
 二宮の返答より先に冷静な指摘、割り込む堤だが、最後には「どうでもいいか」の投げやりな頷きで完結させた。手の施しようがない諦めと、流れに逆らうのを止めた態度だ。
「そっか、じゃない」
 勝手に話を進められても困るし、明後日の方向に飛んでいたので、二宮は反論する。訳の分からない会話をするな――の睨みも付け足すが、慣れているふたりに効果などない。
「デートだろ?」
「違う。誰がそんなこと言った」
「俺」

「聞け。用件は来馬の誕生日に何をするか、だ」

 同年齢では今期最後の誕生日、二月十八日に二十歳となった来馬を祝う為、集められたらしい。出勤日の多い二月は休暇が合わず、まだ祝えていない現状だった。
「やっぱデートプランだって」
 勘繰りは消えないような、冗談として続いているような、意気込みに若干引くような。前のめりな姿勢を戻した太刀川は雑誌片手に企画案を話す二宮を見ながら、堤へ身体を傾け、内緒話のような小声で言い切る。
 男同士の友情でここまで気合いを入れるものか。決して仲は悪くないし、太刀川や堤、二宮の時も集まって祝ったけれど、この手の情報雑誌を利用していない。何であれ、恋人とのデートとさほど変わりない意気込みを感じる。
「……であって…来馬は…だが、…おい、聞いてるか」
 肩入れすると決めたらとことんの男らしい長々とした説明を「簡潔に」と言いたい。だが、重いけど悪くない思いやりなので、右から左へ聞き流していた。言葉にしない考慮はあったが、結局態度で失礼な太刀川と堤に、二宮の鋭い指摘ひとつ。
「あー二宮? 日程決まってたっけ」
 文句つけられない為、気づいた疑問で逸らし、誤摩化す。
 一応三月のある日を指定し、合わせて休暇申請したけれど、まだ三月の勤務予定表が出ていない。太刀川の記憶では、日程すら確定していなかった筈だ。
「日時確定を待っていては遅いだろ。時間帯、雨天、先に幾つか決めておけば、後々少しの修正でどうにかなる」
「……なあ、二宮のデートっていつもこうなの」
「さあ。オレは知りたくないな」
 来馬でなくとも、複数計画を立て、臨機応変にするのか。デートで不甲斐ない、情けない、醜態を晒せないと気合いが入れる――矜持の可能性も否定できず。加えて、戦闘面で東譲りの戦術を踏まえれば、更に打破できない。聞きたくないし知りたくないけど、疑問を声にしてしまった太刀川が、堤の苦笑に「だよな、俺も」と賛同する。どちらも遠慮不足、二宮に筒抜けで苛立ちを増やす原因になっていた。
「おまえら、人の話を、聞け」
 不愉快な面を隠さず、身長に見合う長い足を前方へ蹴り上げ、向かいの太刀川にぶつける。衝撃で驚いて物音ひとつ、微妙な間が流れた。
 戦闘面以外熱量平均な二十歳の青年二宮と太刀川は、時と場合で『やられたらやりかえす』精神がある。要するにどちらも譲れない相手には年齢とか体裁とか餓鬼くさいとか不毛とか馬鹿らしいとか、どうでもいい。テーブルの下で蹴ったり踏んだり避けたり、実に情けない攻防が勃発した。
 テーブルの支え柱を壁に被害を受けずにいる堤は、ぼんやり「喉乾いたな…」など別のことを考えていた。隣のらしくない言動も、相手によるものであり、それを見られる確率は少ない。
「で、二宮。来馬の方は、何か要望あったのか?」
 馬鹿らしい蹴り合いを放っておくと、飲み物が買えない。数十メートル先の自動販売機に行く為にも、用件を済ます。足下の不毛な争いに意識を向けず、堤から軌道修正する。
「あ? 一緒に飲みたい、じゃなかったか」
 頻繁ではないが、本部でも外でも一緒に飲食をする。公の場で遠慮なくアルコールを飲み始めた頃から、最後の来馬が羨ましそうな「早く飲めるようになりたい」を零していた。
「ああ、飲みに行く予定だ」
「堤とたまに行く…えーと…青いゾウ、ゾウだよな、あれ。でかい置物がある居酒屋に行く話なかったか。あのゾウ、換装してる時に一度乗ってみたいよな」
「え、そんなこと思いながら、あの青い象見てたのか」
 一人暮らしの家から徒歩圏内で美味しい日本酒とたこわさを求めて探索。駅前とあって、遅くまで営業している飲食店も多く。
 そこそこ選び抜いた堤一推しの居酒屋は海鮮中心の創作料理店で、明るい店内に人やテーブルとの間隔が広めでゆったりとした配置、女性の来店も見受けられた。油物、串、肉が欲しいと物足りない、向いていないけれど、酒の種類が豊富だから、初めての酒である来馬には試しやすい――そんな話から、今度行くことにした気がする。
 ちなみに青い象は建物一階で店舗を構える不動産のイメージキャラクターで、居酒屋の店内に置いていない。全店に人の身長を越える――置物とは言いがたい大きなオブジェだ。会社名は分からなくても、圧巻の大きさ、みっしりと詰まった中身の質感、重たそうなオブジェで視覚の印象が強い。
「あれでかいだろ」
「でかいけど上に乗りたいとは考えなかったな…」
 宙を飛んだり高所を走ったりできるトリオン体に換装する経験、馴染んでしまっているこその発想だろう。
「その居酒屋じゃ駄目…違うか。二宮が選んだとこでオレはいいんだけど。他に何か問題でもあるのか?」
 太刀川が曖昧な記憶で確認、堤も便乗して思い出し、それで十分の雰囲気になる。実際大学生で、友人からの誕生日祝いなら丁度いい。
「いや、俺もそこでいいと思っていた」
 二宮にも常識や平均の想像はできるし、頷いている。
 では、引く程の熱意はどういうことか。矛盾の返答に、太刀川と堤は不思議と振り回されている感を覚えた。
 来馬の望む酒、堤一推しの居酒屋、十分と思っている――それでも尚、情報雑誌片手にデートの如く計画を練る理由は何か。
 意味不明だし、疑問で首を突っ込みそうになるし、聞いたら後悔する勘もある。躊躇っても無情なもので、真っ当に説明する二宮から真実が伝えられる。
「せっかく合わせて予定を空けるから、みんなで何処か行こう…と、加古が言い、来馬も賛同した」
「あー加古ちゃんかあ…」
 散々延ばした『二宮がデートみたいに気合い入れて、正直引くんだけど』を一瞬で蹴散らす魔法の言葉だった。
 過去に何をしてきたのか。諏訪隊以外平均、同輩限定で雑に扱う堤も、加古には弱く『加古ちゃんなら仕方ない』の呪文で、いつも容易く譲る。
 同じく二宮ですら似たような感覚で折れており、今回に至っては来馬の嬉しそうな賛同つき、拒める訳がない。
 そして女にあまい訳でもないが、模擬戦やランク戦、稽古、任務に支障なければ、あっさり降参、抵抗しない太刀川がいて。
 居酒屋に行くまで何しようか。テーブルに放置された雑誌を凝視して沈黙、三人して溜め息が漏れた――ところで、

「あら、三人揃ってるわ」

 丁度話題をしていた問題児が声を掛けてきた。
 微妙そうな表情で見上げる男三人に、加古は気にしない雰囲気で、左手を頬に添えて綻ばせる。
「丁度よかった。三人に伝えたいことがあるの」
 この四人掛けのテーブルに空席はひとつ、ただ手前に二宮が座っている。加えて椅子の背凭れと奥に片仮名のコの字で観葉植物のパーティションが設置され、通れるスペースもなく。二宮がずれるか、一度立ち上がって加古を奥の席に座らせるか。
「……俺も話がある。意見を出せ」
 言われずとも流れで的確に読める。再度呆れの溜め息を吐きながら、二宮から奥、堤の真向かいにずれ、手前の席を空けた。
「ありがとう。意見ってなあに? 先に聞くけど」
 加古は軽く身体を傾け、長い髪を緩やかに揺らしながら、嬉しそうな笑顔を零して。感謝の一言を掛けながら席に着いた。
「いや、おまえから話せ。嫌なことは先に聞く」
 駄々を捏ねられたら面倒で譲っているような、優しさであっさり折れたような。踏ん反り返るが如く図々しい発言は常日頃でなく、気の置けない仲故だが、如何なものか。いつも邪険にされる猫がようやく懐いたと思ったら、ちょっと問題児だった――くらい思う部分はあった。だが、まだ愛嬌で留まっているので、誰ひとり嫌気は差していない。
「二宮の方がいいことみたいな発言だな」
「本当、嫌ね。私の方が朗報よ? 根拠はないけど。二宮くんより悪いとか面白くないわ」
「加古ちゃん、本音だだ漏れだよ」
 気まぐれも多いが、加古なりに確固たる基準を持ち合わせており、その中でも二宮には『面白い』『つまらない』でだいぶ揺れ動く。それは現状該当しているし、よくある事柄でもある。
「根拠ないのかよ」
「だってまだ二宮くんの話聞いてないもの」
 悪くない発言だったらしい。太刀川から呆れながらも可笑しそうな口調で指摘される。対して加古も、素直かつ真っ当な思考を捨てていなかった。
 けれどやはり自身の感性を優先し、面白くないと拗ねる加古は、手持ち無沙汰なのか、テーブルに放置された再提出の紙を拾う。記入者欄を見て誰のものか把握し、過去の記憶から面倒事と予測、同じ場所に置き直した。これも正しい判断である。
「早く言え」
 駄々を捏ねていない、遊んでいないで話せ。人差し指でテーブルを叩いて物音ひとつ鳴らし、意識を向けさせて。二宮から苛立ちを露骨に出しながら次を促す。
「もう、二宮くんはせっかちね」
 すぐ脱線させる加古に非があっても、不満はある。僅かに口を尖らせ、余計な一言を零してから、説明に入る。
「さっきまで鈴鳴支部にいて、来馬くんと話してたの」
 冒頭で疑問が湧く。支部から本部に用事はあっても、本部から支部への使いは少ない。加古が任されたとも思えないので、立ち寄った理由からして分からない。ただでさえ間延びしているので、話の腰を折る訳にもいかず、聞く側三人黙ったまま。何より、嬉しそうに話し始めた加古から経験上「この話、長くなるな…」と予測し、耐久に入るのも一瞬。女の話は内容がよく飛ぶし、長いわりにオチもなく、加古もそこそこ該当しているけれど――

「来馬くんと来馬くんの誕生日祝いに何処行きたいか聞いてね」

 ――ほんの少し前まで触れていた、二宮が後でいいと譲った内容で。加古の的確で鋭い話題提供に、不意打ちを食らったのは言うまでもなく。
 祝いたい人に直接聞く――サプライズは薄れるが、失敗なく喜んでもらうのもひとつの方法だ。同輩兼友人同士ならこれもこれで良案であり、いい人選だった。来馬も照れくさそうに、けれど加古の真っ直ぐさに綻ばせながら、話していただろう。

 
「水族館になったわ」

 
 だいたい長くて言いたい部分が分かりにくいのに、こういう時だけ省きに省き、あっさり結論言われれば、防御の隙なし、脳に直撃する。
 加古は誕生日祝いの日に何処へ行きたいか聞いて。会話の流れは不明だけれど、水族館が候補に挙がったので、他三人に聞かず決定した。来馬の要望に沿う為にも、文句言わず賛成、参加しろ――ということか。
 把握しても抵抗したくなり、加古の台詞を何度か繰り返し噛み締めた。どういう場所か勿論知っているし、誰でも一度は行った筈だ。想像も経験もあるからこそ、友人の誕生日祝いに結びつけたくない。
「……は?」
「来馬が言ったのか?」
「え。飲みじゃなくて?」
 間抜けな声しか上げられない二宮と、人物から疑う太刀川と、酒ではないのかと内容を問い質す堤。三人の驚愕な視線を受けた加古は、雑誌に目をつけ、開いて紙を捲る。
「あるかしら……よかった、あった。ここの水族館ね」
 約一年前に改装した水族館の冬から春に向けての企画が掲載されていた。場所はボーダーの合宿所がある四塚市の隣、海に面した市で、自動車か電車なら問題なく。『何処かへ行こう』には丁度いい、遠くも近くもない距離だった。
 全員で囲うように特集を眺めたのち、もう一度加古に向かって顔を上げ、理解を拒む。恋人とデートならまだしも、男四人と女ひとりで行く場所ではない。正しくは誰が誰と行ってもいい場所だが、この同輩の輪だと否定的、行きたくない、候補にしないだけ。
「加古が行きたいと我が儘言ったんじゃねえか」
「鈴鳴第一で水族館に行きたいなら分かるけど……ああでも、来馬は加古といたら嫌とか言わないな…」
「加古ちゃんのこと止めないし、賛同するよ…」
 大きな問題にならなければ、加古を止めない連中だ。とくに来馬は優しく叶えるので、残念なくらい容易に想像できる。
「なあに。私が全面的に悪いみたいじゃない」
 水族館に抵抗があると予測しながら、来馬と決めたのだろう。平然の態度で言い退け、誕生日を祝いたい来馬と決めたから、頷き、認め、行くしかない――そう突きつけるように、加古は満面の笑みを作った。

 

(中略)

 

 夜勤明けの太刀川と堤に合わせ、本部から近い駅にて集合。陽が高く昇った時間帯で電車は空いていて、座った太刀川と加古はうとうと微睡んだり、二宮がつり革に掴まった状態でふたりを蹴飛ばして起こしたり、来馬の柔らかい「いい天気だね」とか暢気だったり、堤の「着いたよ」がなければ乗り過ごしていたり。三十分も満たない乗車ですら好き勝手の連中は、下車しても改まる気配などない。
 昨日は大きな出来事なく手応えがなければ、のんびり過ごす夜勤だった。けれど三月上旬、寒い気温ながら陽射しのある昼には眠気を誘う。加古と一緒にうたた寝していた太刀川は、駅を出てから再度、背丈を伸ばしながら欠伸を零す。
「ふああ……海か」
「そうだね、潮の香りがするね」
 電車の窓から何度も見えていたけれど、身体で空気や匂いに触れれば繰り返し実感するもの。三門市は海に面していないので、異なる差が分かりやすい。目的地の最寄り駅に降りてすぐ感じる嗅覚からして、よほど近くに海があるのだろう。来馬も背伸びにぶつからないよう、一歩ク距離を置いてから賛同する。
 そのふたりを横に、二宮はコートのポケットから携帯電話を取り出し、地図を開く。事前に確認しているが、初めて行く場所なので万全にするようだ。
「二宮くん、二宮くん」
「なんだ」
 加古が二度呼ぶので、検索しながら鈍くも反応を示す。
「二宮くん」
 それでもまだ名を繰り返してくる。しつこいと思うが、無意味な呼び掛けとも感じられず、顔を上げてみれば――加古の指先には、デフォルメされた可愛い魚のイラストと矛先、距離の書かれた看板があった。
「看板通りに行けば着くわよ」
「多分、あれか…建物も見えるな」
 加古の大雑把と、堤のぼんやりな把握は、曖昧かつ頼りない。けれど周囲に高層ビルなどなく、景色の半分は海で、もう半分は道路と民家、線路くらいで。徒歩十分程度とやや離れた距離ながら海べりにある水族館は、朧げながら肉眼でも捉えられた。
 気ままな連中に精密が馬鹿らしくなった二宮は、携帯電話を仕舞った――ところで、先程珍しい海に食いつくふたりは何処へ行ったのか。太刀川と来馬が忽然と消えていることに気づく。

「……あいつら、何処行きやがった…」

「ああ……海じゃないかな」
 一応視界の隅で掠めたらしい堤が、水族館とは左に七十度逸れた方向へ視線を向けた。そちらに意識してみると、打ち寄せる波の音が聞こえてくる。
 どうせ太刀川が向かい、来馬もひとりではと同行したのだろう。放置して先に行って待つのもありだが、来馬にお守りを任せていいものか。
 二宮溜め息をつく頃には加古もあっさり「あっちね」と海へ向かい、その後ろ姿を見ながら堤が「先に海だな…」と零しながら歩き始めて。最後の最後、二宮も止まっていた足を、四人と同じ方向へ動き出した。


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