「あれー? 受験終わったのー?」

 引退後、進路確定済みの3年は部活参加が可能だ。福井と岡村は一般受験なので、体育館だと約1ヶ月半振りに見かけた。
 紫原は体育館に入ってふたりを見かけるなり、暢気に真っ当な問いをかける。久しぶりとか、受験お疲れさま、なんて言葉一切なく。昨日の今日のように、少し前までよくあった、唐突な切り出し。しかも、腕を軽く回し、首も左右に動かして「さむーい」など気の抜けた声を上げながら、コートまで来た。
 相変わらずの後輩に、投げ掛けられた福井が、破顔する。
「おーなんとかな。学年末も終わって、勉強から一時離れ、やっとボール触れられる。良いことだらけだろ! なあ?」
 卒業式後の3年を送る会、通称3送会の前日、体育館で3年対1年2年の親善試合が行われる。追い出し前夜祭だ。ポジショニング別でくじ引きのチーム構成なので、レギュラー補欠関係なく。3年を追い出すのが目的なので、楽しければ良い。それに向け、3年も身体を調整してくるので、予定に近くなる程、参加数が増える傾向だ。
「学年末も調子良かったんじゃ」
「あーなるほどー」
 3年のみ早く学年末テストが行われた。つい先日まで勉強詰めだった岡村と福井は有利で、いつも以上に良かったらしい。数日中に順位も発表なので、更に機嫌も良くなるだろう。
 最後の最後で良い締め括り、しかもやっと身体を動かせる。奇妙なくらいご機嫌な福井と、それにやや「落ち着けい…」と冷静な岡村。このバランス、少し逢わなかっただけで懐かしいと思えるのは、やはり平日は朝と放課後、土日は朝から夕方まで一緒にいたからか。
「もうすぐテスト前で部活休…て、あー頭いーんだ、こいつ」
「えー…なにこの理不尽」
 力は入っていないが、拳を腹に食らうのを許容していない。紫原が福井の頭部を掴む前に、数歩後ろに下がって避けられた。
「後輩として許せよ」
「ヤだし、そんな行使」
「ここは年上が絶対なんだよ」
「いや、それまさ子ちんだけだから」
 スポーツ界特有の空気、先輩や年上からの『絶対』がある。陽泉高校男子バスケットボール部にもその空気はあるが、『荒木監督』の意思こそ頂点で絶対だ。理不尽だったり、腹立たしかったり、ビビったりもするが、年上への憧れやらロマンやら庇護欲やら男として守りたいやら、年下の思いと邪がいっぱい詰まった結果だった。
「先輩、お久しぶりです」
「お疲れアル」
 マネージャーとの打ち合わせで遅れてやってきた氷室と劉が、紫原とは異なった、まともな一声を掛ける。
「久しぶりだな。少しは迷惑かけねーようになったか?」
「根気詰めすぎず、新学期までに慣れれば良いと思うぞ?」
 余裕そうな表情に、2年ふたりは「受験はなんとかなった?」と予測する。本人たちが何も言わないのなら、そこを問いかけたりしない。日本独自の文化を未だ理解しにくいが、『受験』は危険だと分かっていた。
「そうだ、アゴリラ。ちょっと変わった私、分かるネ?」
「なにその自然な言い回し。ワシそのって…変わった?」
 どやーと嬉しそうな劉が褒めて欲しそうにしている。福井をちらりと見て援助を求めたが、微妙な反応をされた。
 劉は他国での数年、心細い気持ちを我が儘や相手の反応で相殺している。岡村も察していたし、本当に嫌でもないからあだ名も許容していた。褒めて欲しいなら褒めたいし、自主申告に応えたいが――さっぱり分からない。
 すると、紫原が「また言ってるし」と呆れ、氷室がやけに睨みを入れて恨みがましそうにしている。
「ふん、僻むな氷室。伸びる子は伸びるネ」
「黙れよ、劉」
 いきなりケンカ腰。「えー…?」くらいの呆然だ。
 相変わらずこのふたりには、他なら許せるけど、コイツだけ論外の法則が成立している。嫌悪ではなく、しかも主将と副主将の関係が上手く行っているから尚更不思議だ。
「背、伸びたんだってー」
 岡村が答えを要求するように紫原を見ると、氷室面倒と察した上で、応答してきた。
「あー…そうか…ワシと数センチじゃ分からんう…」
「あ? おいアゴ、オレに対する当て付けか? 見上げてたら分かるってことか、ああ?」
 岡村の隣、福井から火の粉というか火が直撃な八つ当たりを受ける。あだ名すら省く、単なる頭部の名詞になっていた。
「俺も伸びたー」
「敦もまだ伸びてんのか…」
「ちょっとだけどねーそっちはー?」
「受験中に測るか!」
 ごもっともである。
 新体制に向け、簡易ながら身体測定を行い、そこで判明した。バスケットボールをしているなら、高身長に越したことはない。努力だけでは解決しない筆頭の身長、褒めて欲しかったようだ。
 収集付かなくなる前にと、福井が劉と氷室の間に割り込む。
「上が揉めんな」
 背の低い監督が威圧で抑えている為、3年間見てきた福井もそこそこ習得している。後輩の襟首を掴んで無理矢理屈ませ、説教の一声。
「……はい」
「分かったアル」
 上が示せ。雅子がいつも紫原に、そして最近だと主将の氷室と副主将の劉にも口酸っぱく言っている。そして、元主将の岡村と元副主将の福井も言われ続けた。説得力がありすぎる。
「伸びたのは良いことじゃ、劉」
「氷室も小さくねーし、身長に合った戦法はあるだろ」
 そして後輩の面倒を慣れたふたりだ。飴を出すタイミングも良い。手をやく生意気なひとつ下の後輩ふたりだからこそ、分かり尽くしていた。
「ホビットが言うと、効果抜群アル」
「ホッピー…?」
 氷室褒めるの面白くない、と未だケンカ腰の劉が、拗ね気味に返す。それに氷室も食い付くと思いきや、不明単語に引っ掛かり、気が逸れていた。
「室ちん、かすってないから」
「アツシは知ってる?」
「最近『指輪物語』読んでたから、その影響でしょ」
 日本語の勉強として、図書室から文庫サイズのを借りて読んでいると知っていた。翻訳かけたイギリス産の作品、「ちょっと逃げた方向だよね」と思ったのは、記憶に新しい。
「指輪…Aha! 映画ならタイガと観たよ」
「えー? だったらホビットくらい覚えててよ」
「ホビット、小さいネ」
「お前らケンカ売ってんならオレの目ー見て言え」
 嫌味を言っておきながら先輩を放置して話し出す3人に、福井が青筋をたてる。岡村はこの話題の場合、何を言っても良い方向に行かないので、沈黙していた。

「小さくねーよ! …いや、バスケだと小さいけど、一般男子ならある方だって言わ――」

 いきなり声が止まる。首を絞められたとか、喉を詰まらせたとかではなく、福井自ら声を途切れさせた。
 こういう態度は、後輩だからこそ言いたくない時に起こる。露骨過ぎる違和感に、後輩3人じっと見つめ、何か面白いことがあると、勘も冴えていた。
「一般男子としては、良い方…てことは、一般女子アル。クラスメイトからネ?」
「ステディですか?」
「えーそれでご機嫌なの? 受験終わってすぐとか、やるー」
 答えていないのに、方向が確定しかけている。福井が気恥ずかしそうに「違えよ!」なんて否定するから、尚更後輩たちは「引っ掛かった」「ちょろい」と思うもので。生意気な後輩なりに先輩の恋話、少しくらい聞いてみたかった。沢山はいらないのと、上からな発言の辺り、生意気なのだが。
「でも、言われたんでしょ?」
「じゃあ無難に、岡村主将ですか?」
「そこでアゴリラを出す氷室、おかしい。ステディ、どこ投げ捨てたアル。拾ってこい、ゴリラだけはないネ」
 日頃の態度からして、岡村に褒められたくらいで、こんな反応しない。岡村も「酷い!」と喚くものの、すぐ苦笑した。
「主将は氷室じゃ…それに、福井をいじめてやるな」
「いじめじゃないですよ、可愛がりです」
 嫌味抜きの表情に、劉と紫原は「あ、りえない…」とドン引きの視線を向けた。親しみある先輩でもその表現は、ない。
 福井は劉を筆頭に、後輩の面倒見が良く、岡村と組めば拍車を掛ける。強い言葉でも優しさがあり、そこそこ同学年の女子から人気だった。受験が終わったら彼女持ちの可能性浮上など、最後の最後で面白い話題である。
 次の瞬間――いきなり体育館が静まり、はっきりとした声が何度も響く。騒がしい方に全員振り向いて見れば、監督である雅子がいた。
「時間切れアル…」
「もう少しだったのにな…」
 露骨かつ隠す気もない発言に、福井は乗らない。3年間の習慣で、意識が切り替わっていた。今日はいつも以上に部活の空気を凝視している。久しぶりの復帰に高揚しているようだ。
 氷室と劉は、主将副主将の仕事を始めるべく、マネージャーに声を掛けた。


「やっぱり、そっかー…」
「……アツシ? どうした、アツシ」
 遅れると怒られるだけでなく、練習が何倍に増える。ひとり立ち止まって視線だけ動かし、何かを確認する紫原に、氷室が覗き込んだ。
 途中から茶化さず黙っていたのは、飽きたからだと解釈していたが、違うらしい。視線が何度か移動するので、何処に、何を、がさっぱり検討出来なかった。
「んー? どーしてこういう時は分かるんだろうねー」
「こういう…? 何が分かったって?」
 話の脈略的に、福井関連だが、氷室も意識を切り替えており、繋がらず。不思議そうに説明を求めた。
「距離感、感覚…から、かなー…まあ、譲らないけど」
 語尾はもう、掠れに掠れて、全く聞こえない。氷室が再度名を呼ぶ前に、紫原から視線を合わせた。
「なんか今日はやる気出て来たー」
 気の抜けた「よーし」ですら、紫原だと珍しい。バスケットボール馬鹿の氷室は、疑問もすべて掻き消えてしまう。
「え、アツシ、オレは嬉しいけど、」
「氷室! 紫原!! 早く並べ。やる気出させてやる!」
 雅子の喝が飛び、竹刀がきらりと光る――幻覚を見た。





冬のおわりに












 この思いを、恋だと表現出来たら、良かったのか。

 多分、バスケットボールでなくとも良かった。
 始めた時の先輩がまともな方で、続けられて。高校だと自分たちの1年前赴任した監督が理不尽で恐いけど、やる気に満ちていたから。部活に惚れ込んだ。
 バスケットボールが本気で好きになった。
 全国大会に出場する強豪校となると、ベンチ入り出来ない部員が多い。入れ替わりもあって、成長過程で追い抜き追い抜かれ、気も抜けず。やるからにはスターティングメンバーになりたいし、実力も高く望みたい。
 スポーツ選手として、必要な思いだ。なければ崩れ、置いていかれる。ボールを手放し、蚊帳の外からぼんやり見てしまう。
 がむしゃらな日々。恋とかアルバイトとか、魅力的な要素もいっぱいあったのに、部活中心の生活。後輩は厄介ぞろいで、同期の鬱憤が溜まり、辛い時期もあった。けれど、折れなかったのは、支えてくれた仲間がいて。自身を買ってくれた人――監督がいたから。
 必ず報われる優しい世界でもないのに、努力を買ってくれる。悩んだ末の質問に、親身に考え、一緒に答えを出してくれた。
 監督の、バスケットボールへの直向きさに尊敬している。こんな先生になりたい、部活で教示したい、という憧れもある。理不尽でやるせないこともあるけれど、涙もろく絆されやすい部分に、庇護欲だって湧く。淡く笑う表情が堪らなくて、心拍数が上がるあの感情も、ある。
 ただ、自身が部活を愛し、仲間と頂点を望んだ思いと、混ざりに混ざってしまった。沢山の思いが、分類すべき感情が、ぐしゃぐしゃになって、ひとつに表現出来なくなった。
 憧れならば落胆した。恋心ならば頷きにくかった。多分、どちらも同じくらいで、どっちかを取れない。
 結局ひとつに絞れなくなった。


「福井、」

 久しぶりの部活上がり、鈍りに鈍った身体だと基礎練習ですら辛かった。毎日走り込みをしていたので、足腰は保てたけれど、それだけ。福井より希望大学に余裕のあった岡村は、身体作りをそこそこしていたので、自身より余裕そうだ。
「なんだよ。追い出し試合までに作り込むって」
「そんな心配してないんじゃ」
 福井の部活に対する思い入れ、意気込み、真面目に作り上げることはよくよく知っている。
「……あのなあ。お前は考え過ぎなんだよ」
 今日、部活に行く前からずっと、何処か不安そうにしていた。岡村自身のことではない。福井の様子を窺っていた、相変わらず優し過ぎた。大げさに溜息を付いて、杞憂だと言い含める。
 けれど、それ以上に岡村は上手だった。
「福井ほどではないぞ」
 いつもいじられ、図体の割に弱そうな印象を持たせるが、根っから優しく、精神もしっかりしている。仲間の信頼が厚い。だからこそ、主将に指名された。
 疲れて苦しくて逃げ諦めようとする時、汲み取ってくる。いつも見過ごしてくれる優しさを、厳しさに変えて。しっかり前を向けと、叱咤する。こういうのが嫌だとも思うし、これが本当の意味で優しさだとも思う。

「あーもう…俺は負けたんだ。慰めんな」

 福井が素直に白状出来る相手は、そういない。否、絶対に茶化さないこの男くらいだ。真面目に受け止めすぎるから、はぐらかすこともあるが、今日はそれすらしない。
 久しぶりの部活で思いが溢れたのもある。あの人と慣れに慣れた距離感で、久しぶりに向き合い、話せたからもある。福井が悔しそうに、言い訳そうに、紡いでくるから。
「……そうか」
 岡村が目を開閉させた後、朗らかに笑った。
 読み切った上での表情が、有難いし、腹も立つ。福井は無防備な図体に殴ってから「あの人、物でもスポーツでもねえから、勝ち負けとかねえ」と言い直した。

「部活後に雪かきってなに。マジ意味わかんないし」
「同感アル」
「そうだね…なんか根こそぎ持っていかれた感じがする…」
「室ちん、根こそぎなんて単語知ってたんだ」
「アツシ。ほめてるの? けなしてるの? オレ余裕ないよ?」
「3段階でギア上げる氷室…離れるネ、離れろ」
 なんとも言いがたい空気を取り払ったのは、廊下の体育館側からやってくる集団の声だった。放課後の練習後、自主練習をさせてもらえず、一番不機嫌そうな氷室と、いつも以上にぐだぐだの紫原、相槌すら適当な劉がこちらに向かってくる。
 冬は常に雪がある。放課後の練習前後は全部活ローテーションで分担、本日該当日していた。3年のみ除外、人数が減った分、1年2年の負担は大きい。
「あ、ゴリラネ」
「リュウ、発見の声とあだ名を混ぜた?」
「便利アル」
「お腹すいたー」
 近づく後輩3人に、短い気合い、福井は身を引き締める。
「――岡村、」
「なんじゃ」
「……なんもねえ…」
 勝ち負けはないと言い直したが、渦巻いている感情を悟られる訳にもいかない。後輩三者三様だが、変に聡くて敏感と共通しているから、用心する。福井なりに、先輩としての矜持だった。



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