年の瀬に開催する通称ウィンターカップ閉幕次第、陽泉高校男子バスケットボール部にも年末年始の休みがやってくる。帰る気のなかった紫原ですら帰省の空気に飲まれた。

 強豪校とあって年2度、と滅多にない長期休み。紫原は家族から珍しそうに出迎えられ、母と姉なんて「何か…変わった? 見た目は相変わらず大きいけど」「…うーん、バスケで良いことあった?」と目敏く、女って怖いと思わされた。
 しかも大晦日。ウィンターカップ直後で、複雑な心境であろう赤司から、電話が掛かってくる。大会直前の集合を除くと本当に久しぶりの電話で、つい取ったのがいけなかった。父親から強制帰省させられ苛立つ赤司に捕まってしまう。
「あの家にいたら、全ての物を叩き割りたい衝動が湧いてね。オレは誰かといて冷静さを取り戻すべきだと思ったよ……」
 決勝戦で受けた感覚、感情から、元チームメイトに逢うの苦しくないのか、と問い掛ければ、言い訳じみた返答ひとつ。あの赤司でも、父親に相当苛立っているようだ。
「まー良いや。オレはそんな複雑じゃないし」
 これ以上触れない方が良い。紫原は色々諦め、大晦日付き合うことにして、話を逸らす。
「ねー。初詣でも行くー?」
「そうしようか」
 家に帰りたくない反抗期の息子みたい。
 同学年にそんな感想を抱きながら、紫原は出店のを食しつつ、赤司と決めた神社に向かった。

 その途中が、縁は巡りに巡る始まり。
 リアカーに乗る緑間とそれを引く高尾を初めて見つけた。現実逃避も面倒なくらい意味不明、なかったことにしたい光景だ。
「秀徳って馬鹿なの?」
「開口一番がそれって…! まあ、そう思うわな!!」
 高尾も自覚しているようで、自嘲全くない笑みを零している。緑間は我関せずの表情のまま、リアカーから降りず。赤司に至っては「効率的なのか、それ」と本気で疑問視していた。
 同じ場所に向かうらしく、別れにくいし、4人で真夜中に参拝、時間ばかり過ぎていく。
 その流れで日の出を拝んでいたら、「白んできましたね」「太陽じゃねーか、これでバスケ出来るな。バスケしよーぜ!」「たるい、眠い、一度寝てからバスケだろ」「大ちゃん欠伸しないでよ、うつった」と騒がしい4人――黒子が朝日に目を細め、火神が左手でバスケットボールをくるくる回し、青峰がぐだぐだ歩き、さつきが理不尽な文句を零している――と遭遇して。やや気まずそうな、でもまともに対応する黒子に、矜持で冷静を維持する赤司。周囲、青峰と緑間は微妙そうに顔を顰め、さつきは嬉しそうに、残りは「ねーお腹すいたし」「すいたなー」「今それ?」なんて会話3人。
 ここまで来ると無難な『帰路』の選択が敗北な気すらして。マジバの朝メニューが始まるまで、ストリートバスケットで時間を潰そうとコートに来てみれば。付近の道端で何故か睨み合う黄瀬と灰崎がいた。

 『キセキの世代』と一括りされるのが苦痛、うざったい賞賛。帝光の思い出を整理出来ていない、過去。各々差はあっても、だいたい同じ心境なのに、試合直後8人揃うとは。年末年始、否、ここ最近で一番微妙な空気が流れた。
 部外者の高尾が「こいつら柄悪っ…!」と笑ったり、火神が「これでチーム分け出来るな!」と空気読まなかったり。
 紫原は不思議な正月を迎えてしまった。




***




 年越し、新年早々バスケットボールに触れたたからか。ウィンターカップの高揚感が残っているのか。身体がむずむず、そわそわしてくるから。正月3箇日まで休みで、ゆっくりすれば良いものを、3日の早朝実家を出て、陽泉高校の寮に戻った。

「なんで作ってるの?」

 陽泉高校は寮生活の生徒多数とあって、帰省率も高い。残っているのは、年末年始に大会がある部員と、留学生くらいだ。それなのに、氷室も残り組で、紫原は少々驚いた。
 思い返せば先日、火神から「タツヤが主将なのか?」と聞かれている。このふたり、相当面倒くさいし、まだ続きそうだ。
「アツシおかえり。今年もよろしくね」
「おめでとうアル」
「あけおめー。で、なにそれ?」
 寮の食堂にて、男ふたり、何か作っている。料理の腕前なんて聞いたことなければ、作る意味も分からない。新年の挨拶もそこそこに、問い掛ける。
「プリン、クリームチーズのプリンだよ」
「そうじゃなくて、理由ね」
 図書室で借りた菓子の本を広げながら、新主将と新副主将、協力して製菓――年明け早々、理解しがたい。
「食べたいの? 頭、壊れた?」
「アツシ…?」
「ごめんなさい」
 呆れ眼でふたりを見ると、氷室の周囲にゆらりと不穏な空気が漂う。試合中に殴る男、人気の少ない寮なら、拳が出る率は上がる。瞬時に察して、紫原は間髪を容れず、謝った。


「え? アツシ、タイガに逢ったの? なんで、ちょっと、そこ座って、早く説明しろ」
 氷室から話題提供の「実家どうだった?」から軽い気持ちで話せば、鋭い視線付き、後半強制させられた。劉は「分かっていたキーワード、言ってどうするネ」と冷ややかだ。
「後で教えてあげるから、その前に、オレの疑問、答えてよ」
 話が逸れている。いきなりプリンを作る理由や意味くらい知りたい。興味というよりは、唖然を消化させたいだけだが。

「誕生日のお祝いアル」

 まだ疎遠で知らなかったけれど、新緑の季節に福井の誕生日祝いがあった。夏休み前、劉のから紫原も参加、休み明けに岡村、紫原、そして氷室――と、誕生日が来る度、行っている。氷室と劉どちらとも仲の良い部員が誕生日、なのだろう。けれど、紫原は誰なのか予測、検討も付かない。
「誕生日…? いつ、誰が?」
「今日、1月3日」
「荒木監督だよ」
「…………え?」
 気にしていなかったのもあるけれど。抜けていた、が一番良い表現だろう。どうして忘れていた、と衝撃が走る。

「まさ子ちんの、誕生日…?」

 男子バスケットボール部は通例3箇日まで休み。翌日の4日、帰省土産の一部を雅子に贈る――各々誰からか分かりやすいよう、名前を書いた付箋など貼る――のが部員共通らしい。
 帰省の前、先輩から一年に声を掛ける。氷室は寮生が帰省し、静か過ぎる寮にて、暇そうな劉から聞いた。故に、氷室と近い紫原までは辿り着かず。
「……じゃあこれ、まさ子ちんへのプレゼント…?」
「そう。オレたち帰省のお土産渡せないからね」
「積雪でバスケできないし、暇ネ。インパクト狙うアル」
 暇を持て余しているからこそ、お手製、渡す理由の強みもあって。雅子がどういう理由なら頷いて受け取るか、念入りだ。
「それに今年は監督が3日、女子寮の夜番代理なんだ」
 帰省出来ない寮生もいるので、寮母や教師などで寮は最小限動いている。雅子も世の中の「そろそろ結婚はどう?」糾弾に負け、「実家にいるとそこそこ面倒なんだ…」と早々撤退。3日の夜から4日の朝まで、寮母代役に名乗り出ていた。
「それなら当日渡したいだろ? だから今日作って……え、ちょっと、劉、何?」
 オリーブオイルを掴む氷室の手に気付いた途端、劉が制御した。「冗談やめるネ」「オリーブは素晴らしいよ」「それとこれは別アル」「一緒だろ?」が視線で交わされ、どちらも譲らず膠着する。互いに厳しいので、何であれ折れられない。
「あれ、アツシ…が、いない」
 溜め息くらい吐きそうな紫原の反応がない。氷室が視線を向けてみれば、忽然と消えていた。
「劉、アツシがプリンを『食べたい』も言わずにいなくなったよ。ああ、すごいね…」
「色々思うところあるが、氷室はその調味料を置くネ」
 氷室の分かったような口振り、紫原の驚きと必死さも気になるが、まずは誕生日のお祝いを美味しく作らなければいけない。他者の心配より、目の前のことが優先である。
 今、オリーブオイルはいらない。なんで氷室と作るなんて提案した、と後悔先に立たず。劉は力いっぱい引き止め、早く完成させようと決意した。








 この焦燥感は、なにか。

 曖昧ではなかった。推測も出来ている。
 こういう類を理解しにくいと思っていたけれど。困惑する感覚すら、持ち合わせていなかったらしい。悩まずに「あー…そうなんだー」とすんなり認めて。ただ、思った以上に膨大で、規模に動揺してしまった。


 紫原にとって、誕生日は貰って嬉しい一日だ。日頃の行い、と表現しておこう。そこそこ貢がれるし、美味しい物ばかりだし、優しい。逆に上げる側でも、お菓子を渡す程度にしか考えていなかった。
 それなのに今、紫原は勢いよく駆けながら、何を渡すべきか思案している。兄や姉の好みなど、年上の感覚まで捻出して。
 部屋に戻り、防寒着を羽織り、帰省に使用していたメッセンジャーバッグを背負う。最後に実家で姉から「福袋にあったの。いらないから上げる」と、問答無用で渡されたマフラーを首に巻いた。真っ新で馴染んでいないが、福袋ながら質の良さに「悪くないかなー」なんて思いつつ、部屋を出る。
 あげるにしても、あげないにしても。ひとまず冷静さが欲しい。寮の自室が無難と分かっていたが、何か掻き立てる焦燥感を消したい。少しでも遠くへ行こう。
 まだ人気の少ない寮の廊下を駆け、外へ。帰る時は降っていない、素敵な天気だったのに。この時期にしてはだいぶ良い粉雪、天気の変動なんてよくある。
 寮から学校を越えた先にバス停がある。距離から傘は支障もないと判断、予定続行。
 冬は常に雪と生活する地域だ、紫原でも滑り止めを考慮して靴を選んでいるが、速さから滑った。条件反射、機敏さから、こけることなく、一度落ちた速度を戻す。
 息は切れない。じわじわと身体があたたまっていく。バスの時刻表見てなかった、と気付き、一瞬悩むも――

「どうした、紫原。何かあったのか?」

 常に気怠そうな巨躯が急ぐなんて。驚きで信じにくいが、現実は目の前で存在している。何かあったか、と心配そうな言葉。聞き慣れている声色。今、聞きたかったような、会うべきではなかったような。紫原は足を止めた。

「まさ子ちん、その、あの…」
 学校でよく見る姿ではないが、似たような、柄のない服装。興味なくとも最低限のファッションにセンスは持ち合わせているらしい。雅子の綺麗な格好に、「ちょっと珍しいの見れた」なんて感じながら、紫原は駆け寄る。
「急用か?」
 危機と解釈したようで、雅子が詰める。近い――と、邪かつ思春期らしく戸惑うのも少し、自身が思った以上に慌てていることに気付いた。悔しいし、ガキくさい、と落ち着かせようと深呼吸する。
「ううん、違うし…あ、まさ子ちん、あけましておめでとー」
「……? あけましておめでとう。今年もよろしくな」
「ほどほどのご指導お願いしますー」
 緩い笑みを零せた辺りで、だいぶ心が静まっている。紫原は内心そう分析していると、雅子が手に持つ傘を差し出した。
「お前、傘はどうした」
 黒の生地に白と薄い赤色で彩られた花が描かれた傘。いつも使用している、見慣れたもの。
「……さっきまで降ってなかったし」
「昨日今日この辺に住み始めた奴みたいなこと言うな。この時期…まあ、今は良いか。どこか行くんだろ? 使え」
「えーいらない。まさ子ちんはどうするの?」
「女子寮までの距離だ。お前の方が大事だろう」
 ふたりでひとつ。背の大きい方の紫原が、雅子に傘を傾けながら持つ。
 せっかくの距離だ。わざとではない、理由あっての近さ、咎められない。怒られないなら「もうちょっと良いよね」と言い訳をしながら。もうちょっと、話を長引かせる。
「あー…今日、寮母代理なんだっけ」
「そうだ。知ってたのか」
「さっき聞いたーというか、まさ子ちん車どうしたのー?」
「学校に置いてきた」
 敷地内の教員駐車場から、校舎と隣接して建造された寮まで、程近い。明日から部活なので、寮に置く利点がなかった。
「歩くのは良いけどさー。まさ子ちん、マフラーしなよ」
 紫原ですら、秋田の冬は堪え、防寒している。コート一枚と手袋だけは無謀、目が嫌でもいくし、気付く。

「短い距離だ。気にすることはない」
 お前がそんな心配するな。教師らしい発言だが、邪険に扱う雰囲気でもなかった。心配に対する反応としては、丁寧だ。

 この返答に、紫原はピタリと何かが一致した。靄がいきなり散り、心にストンと落ちていく感覚。偶然な運を逃すわけにはいかない、と意識が傾く。
「まさ子ちん、あのさ、良いよね?」
 またも、心の何処かで誰かに言い訳して。何が、と不思議そうな雅子に傘を持つよう渡してから、自分のマフラーを解いた。
「今さっき使い始めたばっかだから、許してね?」
「だから、」
 何が、続く声は途切れた。
 巨躯が身を屈め、雅子の首にマフラーを巻いていく。

「お誕生日おめでとー。まさ子ちん」

「……おい、紫原っ」
 部員の中で周知だから、雅子も驚かない。だが、肌に感じる柔らかさから、手軽なものではないとも分かる。受け取れない。受け取れる訳がない。
「オレ、帰省の土産でまさ子ちんの分買ってくんの忘れたから」
 忘れたのではなく、知らなかった。
 帰省組は部活や寮に土産を持参する。一時期、食べ盛りの男子の寮でも、物で溢れる。その分を渡しても良いが、他から指摘されたら面倒だ。言い訳、説得用として使ってみる。
「だからってなあ…」
「姉ちゃんから、福袋のあまりで貰った奴でね。俺にはちょっと派手でしょ? 捨てると姉ちゃん恐いし、一度くらい使おうと思ってた矢先だから。ね、まさ子ちん、貰って?」
 人様に上げるのに、この言い分は酷い。けれど、雅子がそれくらいでなければ受け取らないと読めていたから。巻かれたものを解く理由を、無理矢理削ぎ落させる為に必要だった。
「それでも、私は――」
 何でもない年下から貰うこと自体、気が引ける。そこに生徒から、が上乗せすれば尚更、拒む選択しかなかった。
 気持ちだけ頂こう。雅子が睨みつけるように見上げれば――
「……紫原?」
 困り果てた、どうしたものか、と不安に揺れる瞳で見下げている。初めて見せた紫原の表情に、戸惑う。雰囲気に飲まれた。
 何をそこまで焦燥しているのか、分からない。生徒から帰省の土産を貰うくらいで、大層なことにもなっていない筈。

 問い質すべきか。踏み入ってはいけないような、その領分に入ったら戻れないような、不思議な気持ちを抱く。

 瞬時に決断出来なかった。憶測過ぎて、危険だった。

「…………分かった。今回だけだ」
 首元の、彩度の高い赤混じりの茶色に、雅子は失笑を零す。
 エースとして評価し過ぎていると、気にしていた。こういうあまやかし、特例はいけないとも分かっている。
 奥が見えない瞳に、拒み、返す方法すら思いつかなかったのも事実で。教師として失敗した、と内心反省する。
「次、忘れてたとしても、気持ちだけで十分だからな」
「うん、ありがとー」
「こちらの台詞だ。ありがとう、紫原。念を押すが、今回しか借りないからな。お前は自身の体調を心配しろ」
「うんうん、」
 いつもの気怠い、分かっているのか適当なのか微妙な相槌。部活中なら指導するが、現状長期休み中だ。雅子は追及しない。
「それで、だ。お前、何処か行くんだろ?」
「あーそうだ、うん、そうだった」
 丁度今、解決したので、粉雪の舞う中、駅に出る理由もなくなった。けれど雅子にそれを言えず。
「やっぱ傘、取りに戻る」
「そうか。なら、」
「じゃあね、まさ子ちん」
 これ以上はミスが出やすくなる。紫原は傘から抜け出て、雅子から離れた。逃げるが勝ち、咎められる前に立ち去るべきだ。
「紫原っ! 傘を!!」
「すぐだからいらなーい」
「私も距離は一緒だろうが!」
「寮戻ったら傘と防寒具用意するからー」
 雅子は、一生徒に手をやく範囲を定めている。追いかけてこないと、紫原は確信していた。けれど、寮まで勢いを止めない。
 首元が冷たい空気に触れ、かなり寒い。けれど、心に溢れてくるものが何か、分かっている。そして、あたたかく、悪い気もしない。

 この思いが何から来るのか。分かっていたけれど、あえて言葉に、形にせず。紫原は心で受け入れた。





メタモルフォーゼン
-Metamorphosen-












 楽しいばかりの学校生活ではない。寮の規律だと、特に時間が厳しく、自由も少なかった。それでも、同級生や先輩で挫折していく部員を見てきたから。強豪校で満足のいく練習や試合が出来て、良い方だと分かっている。
 柔らかくない、沢山の足跡のある大地に、岡村が主将として立ってからの日々は、本当にあっという間で。
 受験あって帰る予定もなかったが、少し息抜きするべきか。そう判断し、5日間ある休みの内、大晦日の夕方から3日の朝まで、勉強道具一式持って帰省した。

「降ってきたんじゃい…」
「もうちょいの距離でこれかよ…」
 学校最寄りの駅にて、ずっと共に歩み支え、怒られ怒り、励まし合う福井と合流したのは1時間前のこと。乗車時は降っていなかったのに、バスを降りた頃には粉雪が舞っていた。
「あ、」
 先に気付いたのは福井で、瞳が一点に集中している。倣って視線の先を見れば、寮からほど近い路上に、雅子が立っていた。
 歩いている気配なく。傘は差しているが、舞う雪だ、コートに付着し続けている。
 あまりない、何処か無防備な、否、『強くない監督』がいた。
 岡村からすれば、鉄壁ではないと思っている。冷徹に話すが、涙もろく情もあって、キレたら感情で怒鳴る、バスケットボールに情熱を傾けすぎた人。物理的腕前に加え、精神も強いが、それでも、完全ではない。
 今がそうだ。本当、いつもの強さを知っていると、心配になる程、隙がある。
 雅子が傘を持ち直した。今日は寮母代理だと聞いていたので、女子寮に向かうのだろう。足が動く前にと、岡村の口が開く。
「監督、」
 周囲は学校関連の建物ばかりで、関係者すら少なく、とても静かで。ふわりと邪魔なくらい舞う雪の中、雅子が振り返った。
 濃いが明るい色のマフラーを首に巻いていることに気付く。いつでもせず、見ている方が寒くなる程、細い首を露にしているから、珍しく思う。けれど、問いを開口一番にしない。

「明けましておめでとうございます、監督」

 新年の挨拶は3度目だ。これからも可能性はあるが、新年3箇日に挨拶出来る機会など最後だろう。
 岡村はひとつひとつ、隣の福井より先に、噛み締めて行く。自身より考えすぎるチームメイトだから。先手を踏まなければ、支えられない。
「荒木監督、明けましておめでとうございます」
 岡村の声に、黙っていた福井も続けて新年の挨拶をする。もはや習慣のようなもので、上手く切り返せていた。
「明けましておめでとう。早い帰りだな」
 3箇日まで寮は停止状態に近い。各自食堂のキッチン使用の許可書提出か、調達を余儀なくされる。夕飯を済ませ、門限までに帰ってくる寮生が多数を占める故の、発言だ。
「実家居心地良かったんですけどね」
「早めに戻れば、駅で福井と逢いまして」
 苦笑混じりで曖昧な福井を倣い、岡村も核心は避けた。
 実家で何か問題あってではない。文字通り居心地良く、中学の友達と逢い、これはこれで楽しかった。
 けれど、3年の終わりに近い時期。寮生活も後数ヶ月とない。縛られた生活であろうと、日々過ごして来たもの。短くなればなるほど、名残惜しさが増す。
 じわじわ浸食する寂しさ。予測していたけれど、ウィンターカップでの引退が悪化の原因だ。
 せめて抑え込もうと、少しでも早く帰った。後輩が残っていると知っていたので、一緒に他の寮生を迎えるのも乙だろう。
「それと、誕生日おめでとうございます。今日、監督いるって聞いたんで――岡村」
「おう、待てい。何処いったかのう」
 今渡すと思っていなかったので、一瞬驚くも、反対する要素がなかった。雨や雪になっても支障ないよう鞄に仕舞っていたプレゼントを探す。
「お前、潰してねえだろうな」
 バッグを漁る岡村に、福井がじれったそうな声を上げた。
 雅子は「気持ちだけで良い」と返す性格だ。教師の立場から、更に頑になる。雅子から言われる前に、物を出さなければ。
 1年の頃、岡村と同期のマネージャーが聞いて始まった――帰省先の土産による誕生日祝い。卒業式ではなく、部活の思い出も詰まった日に。3年間の感謝――他にもいっぱい、なんとも言いがたい、沢山の気持ちを。おめでとう、に詰めてみないか。ウィンターカップが終わり、部活の準備もせず、早朝から勉強机と向き合った日、福井から提案して来た。
 『どうしても、あまやかしてしまうな』
 雅子が初着任から少しで、岡村と福井たちの入学。思入れの深い、反省点の多い学年だと、偶然耳にして。その言葉が不謹慎ながら、嬉しいと思ったのも事実だ。
 岡村にとって、雅子はバスケットボールで強く、自信を付けさせてもらった人だ。監督であり、先生であり、とても強くて、少し脆い女性。
 嘘偽りなく、邪はない。だからこそ、強くて脆い人が頼ってくれる、その思いに答えたかった。そして、今がある。
「岡村、福井」
 物を取り出したところで、声が掛かった。聞き慣れた、けれど部活とは異なる、少し小さな音量ながら、切れ味のある声色。
「はい、」
「なにか」
 遅かったか、と思いながら、4つの瞳が一点に向く。
 すると雅子は交互に見て、やや自傷気味に笑った。自身たちと同様、雅子も思うところがあるように見える。この辺りが本当に脆い人だと、岡村は思う。

「――おかえり」

 感傷あっても、強い人だから。雅子が淡く笑った。
 何処までも格好良い人だと思うけれど、この笑顔が一番綺麗だ。年上の女性像が出来てしまった、笑顔でもある。
 寮の前では2度と聞けない、迎えの言葉。色々区分して、これもまたひとつの最後の『おかえり』。
 ほんの少し前、最後の『試合』だったから、更に辛い。それでも、それでも、身体はあたたかい。いつもは厳しい人だからこそ、緩急極めていて、困る。
 やはり早めに戻ってきて良かった。後輩や寮生にもこの思いで「おかえり」と言おう。
 いつだって監督であり教師の雅子から教わる。当たり前のこと、世の中誰でも得るものひとつひとつ、嫌な気をさせない。

「……っ…ただいま、帰りました」

 息を飲んで、身震いを抑え込む福井を横に、岡村は思いを噛み締める。
「ただいま戻りました」
 手に持つ、雅子への贈り物と同様、声にも全ての感謝が伝われば、詰まっていれば良い。岡村は願いながら、気持ちを隠さない、少し寂しい表情で言葉を返した。



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