※紫原2年、Wエースと劉、荒木の夏





 放課後の練習指導の為、校舎と体育館を繋ぐ廊下を歩いていると、部室棟付近で水撒きする生徒に気付く。
 秋田にも日本全国からすれば、ほんの少しだけ短めの夏がくる。北の日本海側にあっても、じめじめした暑さが空気を揺らがせ、強い陽射しが地を焼く。ほんのささやかな時間の効果、気休めに過ぎずとも、撒かないよりは良い。誰が指示したのか不明だが、良いことだと思う。
「……あ? また人選ミスな…」
 その水撒き担当は見慣れた巨躯3人、陽泉高校男子バスケットボール部の問題児、氷室と劉と紫原だった。人の役に立つ仕事、除雪以外であるとは。日頃四方八方で問題を起す為、感慨深くなってしまう。
 彼らの手には水道管に繋いだ長めのホース。水の勢いあり、手に持つ高さもあり、地に落ちる度びたびたと強く跳ね、次第には水溜まりを作っている。
 水撒き出来ていないと呆れ、近寄って声を掛けようとしたところでやっと、雅子は状況を把握した。
 雨でも降ったように、頭から爪先まで、身体の大部分が濡れている。髪の先から雫が落ち、上着は肌に張り付いていた。
 遊びで水掛け合いました、なんて空気がない。はしゃいでいる雰囲気すら消えていた。事故か冗談で水に濡れた、お返しとばかりに水を掛けるワザとの二次災害、そして全身悪化で険悪――答えは出た。
 3人共、キレそうになる気持ちを抑え込もうとしている。後数秒で、悪化するところ。丁度良い間合いで来た。他の教員に見つかると大惨事と思える程、この3人の揉め事は酷い。

「おい、氷室、劉、紫原。今ケンカ始めたら外周追加な」

 険悪な空気にあえて切り込んでいく声。
 やりきれない、持て余す感情を向けようと、3人共ゆらりと視線を動かすも、雅子はあっさり踵を返していて。ガキの八つ当たりなど、真面目に受ける気などない。
 雅子はマネージャーの名前を呼んだ。大声での返事が飛ぶ。
「あー悪い、タオルあるだけ持って来てくれ」
 そして大声で指示し、タオルを貰いに行くべく、雅子は体育館に消えた。


 勝手に命令だけしていなくなる監督の後ろ姿を呆然と見送った後、紫原が盛大な溜め息を吐く。必死に苛立ちを抑えて。
「意味分かんない。室ちん、バカなの」
「水撒きなんて頼まれる氷室が悪いアル」
「だから悪いって言っただろ?」
 じりじりと焼くような暑さ、炎天下でも、『そんなことより』な現状である。
 暑さからして、水は悪くない。上が濡れるなんて、練習でもよくあるから、気にならない方。髪から雫がぼたぼた落ちて邪魔だけれど、すぐ乾く。ここまでは許せた。
 下までびっしょり濡れた。張り付いて、不快だ。これは許せん。最悪だ。舌打ちでは済まない。
「ちょっと、まじで、なに、イライラしてんのに、まさ子ちんもなんなわけ。ねえ、室ちん!?」
 我慢も数秒で吹っ切り、『まさ子ちんなんてしらない』の紫原がホースの先を指で挟み押し、飛沫を氷室に当てる。
「さ、最悪アル! 監督のこと聞く努力、もう少ししろ! このWエース最低ネ、クソが!!」
 劉がキレると、中国人への偏見語尾を捨てるところは、健在だった。教えた福井も、真っ当な岡村もいないので、キレるのも語尾を捨てるのも早い。要するに悪化しており、氷室とケンカするまでの猶予が更に短くなった。今回の悪化原因は紫原だけれど。
 ホースをバットのように振り回しても、水が円を描いて飛んでいくだけ。先端から短く持って振り、ぶつければ痛みもあるが、今でも十分濡れているので効果半減。3人共、拳の痛みは克服しており、重みも強さもあるので、すぐそちらに傾く。

「外周はあまいのか、お前らは……!!」

 ――が、勃発する前に、沈下した。
 部活を盛んに取り組む陽泉高校でも、この身長はそういない。押さえ込める人材が少ない中、このまま悪化すれば、大事に。個々の罰だけでなく、全体の部活動停止の可能性が出てくる。
 この3人でのケンカは非道だ。血の気が多過ぎる。しかもこんな誰しも見つかるような場所で。要するに、雅子には悩んでいる暇などなかった。
 まず、前に進もうとする紫原が持つホースを強く踏んで、進行方向とは反対側に引っ張る。巨躯の力に引きずられないよう、強く、気合いをいれて。すると、無理矢理制止させられた紫原は、弛み、手からホースが抜けてしまう。
「え、あ、まさ子ち…いて!」
 その隙に、紫原の手から離れていくホースを更に自身に引き寄せ、奪った。先端を掴み、水撒きのよう飛沫にさせて、紫原の顔に向ける。
 何事かと振り向いた瞬間、般若の雅子がいて。顔に掛かる水は痛くて。紫原の気抜けた声が飛んだ。
 その場違いな、けれど危機を察し、拳を戻した氷室にも。第三者というか般若の参入に固まる劉にも。ホースから流れる水を勢い良く掛けた。
「人の話も聞けんのか、…ああ?」
 ケンカの仲裁、指導の為、物理的攻撃にしたいけれど、教師という肩書きが邪魔をする。部員の行動もだが、監督の行動も部活全体に影響を及ぼすから。本当に面倒くさい部分だ。
「鼻にっ…えぐい、アル…」
「オレは喉にきたよ…」
「まさ子ちん。俺引きずられたんだけど、どんな力使ったの…」
 どうやら、雅子なりに目を避けた結果、鼻と口に入ったようで、咳き込んでいる。
 止める第一段階は乗り切った、謝る訳にもいかない。
 雅子は慌ててやってきたマネージャーからタオルを受け取り、3人に渡す。その横で、纏う空気が異なると察したマネージャーは逃げた。いつの学年も伝統のように、俊足である。
「で、言いたいことがあるなら聞こう」
 監督の制御も聞かぬ程、怒っていた理由を聞こう。
 耳を傾ける気はあるらしい。
 3人共、結局怒られることに変わりないと思ったけれど。言えるのならば言いたいので、口を開く。

「室ちんが安請け合いしたのに、ホースの水撒き方も知らなかったとか、本気でありえない。しかも室ちんが俺ら濡らして来たから、室ちんが悪い」
「謝ったのに、アツシが我慢しなかった」
「Wエースがクソ」

 拗ねた口調、やや口を尖らせ、不満そうな表情。紫原はいつも通りだが、氷室と劉ですら敬語が抜けた状態で。

「………よく、分かった。先に外周始めてろ!!」
 反省してねえだろ、ガキが!

 言外に元ヤン入れ込みすぎた、気迫に満ちた怒声が飛んだ。



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