01の後編です





「そういえば、堤は自分の隊、つくらないのか? 夏頃、東さんが話題にしてたろ」
「どうしてそれ…ああ、太刀川もいたか」
 堤は掃除したり読書したりと不参加だったけれど、太刀川他が諏訪隊の作戦室にて麻雀をしていた時のことだ。諏訪と冬島ふたり喫煙所に行って作戦室にいない頃合いを見計らって、東から提案された。
 現状維持を保つしかないトリオン器官と上手く付き合いながら、設立して10年も経たない機関の未来を考えれば、指導者、道しるべが必要だった。先輩の東は、部隊の編成を変えながら、後輩を育てる――堤たち同輩の手本で。
 賛同する思考だった。けれど、時間を掛けて悩むには、遅過ぎる提案でもあった。
「堤が隊長てことは…『堤隊』か。おお、包もうとしてる感じだな」
 堤が長の隊。言葉にしてみると何処か包容力を感じるらしく、太刀川が可笑しそうにするも、二宮から冷ややかな視線を刺された。
「太刀川、馬鹿だろ…いや、違うな。昔から馬鹿だった」
「真実を繰り返さなくていいわよ、二宮くん」
「なあ、俺、何かした?」
 賢いと思っていないが、そこまで言わなくて良いと不満を漏らす太刀川に、誰ひとり慰めたり、訂正したりしなかった。やや微妙な間の後、太刀川がわざとらしく拗ねた表情で「もう良い。俺には餅があるもん」と呟けば、加古から「太刀川くんが食べてくれないから、お餅、拗ねて硬くなってない?」と返し、「硬くても俺は食える。あ、加古。硬くならない餅の作り方があるんだぞ」「あなた好きなものに対しては知識豊かね」など相変わらず収集をつける気のないふたりに、堤は「えーと…」と零しながら不本意そうな表情で話の軌道修正をする。
「なんだったっか…ああ、そうだ。東さんの話は、ごもっともな提案だった。後輩を育てる意味でも持つべきだと思う」
 数年前入隊した頃、今に比べると本当に戦闘員が少なくて。それでも年上の人はいて、あまやかされ、時に厳しく、そして褒められ、成長してきた。
 それももう、逆の立場にいる。世の中からすればまだまだ若い年齢であっても、この界境防衛機関『ボーダー』では通用しない。
「でも、オレには隊長に向いてない」
 戦闘員の年長側だからといって、隊長にならなければいけない規律はない。人には人の得意分野があり、技量があり、役割を持つ。堤は指揮をするより補佐が向いていた。
 上手く立ち回る技術を盗み取りたくなるような、存在も必要だ。色々な面での教師、理想が必要とされる。だから、堤の立ち位置も決して悪くない。だが――
「いや、向いてる向いてないの話じゃないな。オレの我が儘だ」
 温厚というより周囲の行動を止めるのが面倒で放置したまま、仏のような顔を維持する堤にしては珍しい、苦しんだ表情だった。隠し通せるものではないと自覚し、隠していたい意地もないらしい。

「いつか、終わりがくる」

 堤の苦笑は、緩やかに開き直りの、頑なものに変わっていく。
「だから、出来る限り諏訪さんの下にいたいし、いるつもりだ」
 隊員の移動がありながら、今の編成になった。疲労を隠さず、けれど真っ直ぐな瞳で「次はどうするかな」なんて零しながらゆるく煙草をふかし、未来を馳せていた諏訪に、ついていけるだけついていくと決めた。

 明日、明後日、穏やかに過ごせるか分からない世界の前線で、日々生きることを選んだ。
 同輩の二宮を通じて、隣にいると思っていた人があっさりいなくなる、認識のあまさを痛感した。
 鳩原がいなくなったあの頃は、他で色々巻き込まれて大変だった思い出もあるけれど。そんな色々も縁のひとつで。
 悪くない繋がり、縁、全てにおいて、ずっとなんて存在しない。

 だからこそ、許される限り駄々を捏ねる。誰に軽蔑されても、誰に罵られても、誰に呆れられても――限りあるから、譲らない。堤はそう、決めた。
「だから隊を持ってみたらどうか、という話は、断った」
 堤の気持ちを汲み取った上で、東は諏訪がいない時に提案した。この優しさの感謝を、新編成という形で返せたら良かったのだけれど、気持ちは決まっていて。遅過ぎたからこそ、せめてもとすぐ返答した。
「人それぞれよ。隊員集めだって、隊長の我が儘とか、相性もあるもの」
「まあ向き不向きもあるしな」
 話題に出した太刀川の引き際は早い。言動が読めていたか、東に聞いた後か。ただ直接、堤のと賭場で聞きたかっただけの雰囲気だった。
「堤一押しの諏訪さんなあ…よく分かんないところで勘を使ってくるから読みにくい方だな」
「え…そうだったのか」
 太刀川に苦手があるようにも感じられず、堤は目を丸くする。一方驚かれた側も弱点と思っていないようで、気ままに最後の餅を食べながら「空想理論を持たない、わりと現実主義なくせに、変なところで勘持ってくるだろ?」と問い掛け、もとい確信を声にしていた。
「何をいう。後手でも勝てるだろ」
 それを一刀両断、二宮は強気で言い放つ。しかも異論ないようで「まあ、そうだけど」と頷いていた。
 生意気な言動だが、どちらも理屈を持って的確な指示を出せる。加えて、戦闘面でも個人総合の頂点を争う強さを持つ。読みにくても、瞬時の対応と、技術の差を持って負かしてきた。
 それでも、だ。A級に関わらずどの隊も、予想外な策を錬って実力不足を補い、勝とうとする。その意外性、凡人の中では秀でる諏訪だからこそ持っているもの。
 強さだけでは上手くいかない、愉しいと感じる酔狂な太刀川の隣で二宮も悪くないといった表情を浮かべていた。全く噛み合ないようで、案外似ている部分もあるふたりだ。

「諏訪さんの補佐に散弾銃で蜂の巣食らった過去があってもその強気。さすが二宮」
「おい、その話をするな」

 連携の為、大学生以上の戦闘員を3チームにわけて合同練習――ランク戦紛いの訓練が行われた時のこと。太刀川の囮にわざと乗り、撃ち落とそうとした二宮は、相も変わらずの表情の堤によって、全身穴だらけにされた。
 綺麗に空いていく様も壮快だが、何より不意打ちで空けられた二宮の顔が捨てがたい。太刀川は未だに話題として上げる。
「そんなこともあったわね」
 決着した後、ものすごく不服そうな二宮を前にして、間近で見た太刀川が「堤こわい」と身を震わせながら笑い、隣の加古は「ねえ二宮くん。あなた、堤くんに恨まれるようなことしたの?」と零した。どちらも堤なら情を抜きに撃つと理解している為、冗談で絡んだだけだ。
「堤の『二宮を穴だらけにしたくないか』て発案、諏訪さんに似てきたろ。あの人、風間さんの眉間ぶち抜きたいとか東さんに相談してたし。堤の作戦に乗った俺も俺だけど、仏顔の男が穴空けるとか、本当恐いよな。何度思い出しても震える」
「弧月振り回して首吹っ飛ばす太刀川に言われたくないな」
 トリオン体なら躊躇いなく首を吹っ飛ばす太刀川に、とやかく非難されたくない。だが、散弾銃を好んで使用し、撃ち落とす作戦を錬る諏訪隊に合っているので、穴だらけにしたことは触れず、一部否定した。
「二度目はない。させるか」
 優秀な指揮も出来るのに、基本先陣を切りたがる太刀川が囮でも良いと思わせる案――で悩まされるのも、悪くなかった。ただ興が乗り、隙を作ってしまって。しかも事実はくだらない腹立たしい内容で、殊更敗北感が拭えなかった。
 実際のところ、二宮は同じ轍を踏まないようにする、結果を出す実力がある。戦闘に対し前進をやめない貪欲の二宮は、行動で応えを示していく。それを負かしたい一心で「もう一回、穴空けたい」と思う同輩たちは挑発しそうになるも、柔らかい一声が割り込んだ。


「こんばんは。最後みたいだね、遅くなってごめん」

 最後のひとりだった来馬は一声詫びてから、唯一空席、加古の隣に座る。
 元々迷惑を掛けていない限り、周囲など気にしない面々だ。来馬の到着で、何気なく辺りを見渡してみれば、堤が来た頃よりもっと人気は薄れていた。約束時間から数十分遅れでようやく揃う。
「書類は出したか」
「うん。支部に寄せられた市民の意見、要望、苦情などをまとめたものなんだけど…根付さんに渡したら、一読してくれて。ううん、言い訳だね。お待たせしました」
「仕事していた奴を責めるつもりはない」
「有難う、二宮」
 先程まで戻るとか騒いでいた二宮が、来馬の苦笑を取り除いている。加古から「来馬くん贔屓ねえ」と自身を棚に上げた発言、優しい嘘と思い込んでいた太刀川が「あ、マジで書類あったんだ」と違う部分で驚き、堤は内心「お腹空いた…けど、この面子で言い出したくない…」と全く違うことを思っていた。



「その、相談はもう終わった…のかな?」
 場の雰囲気を感じとったのか、過去の経験から把握したのか。揃うまでのぐだぐださに、待たせた後ろめたさは拭えないらしい。来馬が急かすように隣の加古を見る。
「いえ、まだ。じゃあ、本題に入るわね」
 夜勤や日勤明け、わざわざ支部から、と様々で。徐々に夜も深まる頃合いだ、加古は来馬の振りに、即切り替える。
「今日、あなたたちに相談したいことがあって――」
 少しわざとらしく咳をひとつついてから、口を開く。

「好きな人にね、料理を振る舞いたいの」

 基本、なんでも自身でこなす器量を持つ加古から、弱点、弄れる話題が飛び出した。
 とても面白い、面白いのに、驚愕で他の感情が覆い被さってしまう。息を飲んだ者、呼吸を忘れた者、動揺を隠そうとするも肩が揺れた者、餅を食べる口が動かなくなった者――統一して思考が停止する。
 日勤明け、本部への書類作成の疲労、夜勤始まりで心怠けていたのが悪い。集合のお願いの時点で「これは死ぬ」と危機感を察知したのに、逃げる機会を失っていた。防衛隊員の尊慕を受ける戦闘員上位がこの様になるほど、加古の発言は破壊力半端なかった。
「美味しいて言われたいし、ほら、胃袋から心掴むてのは常套手段でしょう?」
 男女問わず料理の上手い人は、恋愛抜きでも惚れてしまう。その理論は分かる。胃袋大事、美味しい料理最高、単純ながら最強の戦略だ。
「まあ、うん…」
「そう、だな…」
「確かに、その通りだけ、ど…」
「美味しいに越したことは、ないよね」
 太刀川、二宮、堤、来馬の順で賛同する。理解も出来た。けれど、加古の料理で死の狭間、三途の川を見た気がするので、頷きにくい。

 加古の腕前はまったく出来ない、手の付けられない程でもなかった。手際よく、器用に調理していくのに、如何せん独自の創作を織り込む。個性を捨てない、気まぐれでもなく本気で取り組み、試作させる。冗談と思われがちだが、大げさでなく本気で太刀川は一度、堤は二度、死んだ。
 心的障害と言っても過言ではなかった。想像範囲外の創作炒飯を思い出せば、身体はがたがた震える。

 好きな人――そもそもこの時点で、かなり気になる。興味というより揺さぶる話題としてだけれど、『あの加古が』を引っ付けると尚更大きな話題に感じた。

 加古が自身の隊以外でべたあまといえば、1つ年上の風間だ。すぐ思いつくし、有力だが、即認定するのは軽卒である。しかも風間の同輩である木崎や諏訪と仲良く、胃袋掴まされ済み。奪い返せる、容易い相手でもなかった。
「私、炒飯しか得意なものないから、他のレパートリーも増やした方が良いと思ったのよ」
 得意、て何かの冗談か。
 真っ当な指摘すら織り込めない程、台詞に衝撃を受けている。全てが後手、心が加古の進捗に追いつかない。
「えっと…炒飯以外も取り組むのは良い心構えだと思うよ。でも、ここでは作れないと思うんだ」
 流石に今から、もしくは後日、加古の家に行く発想はなかった。加古も男の家に上がり込まないので、防衛機関内での試食と踏んだ。
 打ち合わせなくとも、男4人の心は満場一致、この手の話題なら阿吽の呼吸が取れる。最初にして最善、一番加古に効果ある来馬から回避を試みた。
「大丈夫よ、来馬くん。申請通して、食堂のキッチン借りたから。食堂のおばさんたちの仕事場でしょ、ちゃんと謝礼もしてます」
 界境防衛機関『ボーダー』には多数の非戦闘員がいる。その場のひとつを借りるのだ、承諾だけでなく現場の気持ちに対し、しっかり丁寧に対応していた。
「それにもう、ほとんど出来ているの。待たせないわ」
 加古の影響、正当防衛としてそこそこ料理の腕が上達した4人誰の出番もなかった。
 完成間際で相談もとい強制とは――鬼か悪魔類の何かか。出来る女は序盤で挫かない。否、挫けてくれない。来馬の誘導は失敗に終わる。
「うちの隊員に食べてもらったけど、評価良かったから、大丈夫よ」
 何がどう、大丈夫なのか。
 そもそも一般的に料理の話題で「大丈夫」な発言が出る辺り、大丈夫ではない。
「もう黒江たちに任せれば良いじゃん…なんで俺たちまで……」
 黒江に一任したい太刀川が反論する。山育ちだからか、加古の料理、とくに炒飯を耐え抜く胃持ちの最年少戦闘員に縋りたい。情けないが、三途の川を見たくないので必死だ。
「男の意見も必要でしょう?」
 加古隊は女のみで構成されている。なので残念ながら、同輩が一番、男枠で近しかった。
「味も大事だが、上手くなりたいなら、上手い人に教授してもらえ」
「ああ、レイジさんとか」
「レイジさんは支部配属で、先輩。頼みにくいでしょ?」
 料理が上手いといえば木崎、の流れは自然だ。二宮が提示し、堤も乗っかるも、ごもっともながら何故そこだけ遠慮するのか。ひとつ上だけでこの差はいかがなものか。遠慮の気持ちも分かるが、理不尽過ぎて、もう少し配慮して欲しいと思ってしまう。
「それに炒飯極めるのも良いかと甘んじてたんだけど」
 二宮の「冗談も大概にしろ」が声になる前に、加古は畳み掛ける。
「太刀川くんも頑張ってるから、私も怠けず、見倣おうと決意したの。やるわよ、目標は達成してこそ、目標ね」
「え、俺?」
「太刀川、何頑張ったんだ…」
「レポー…ト、とか?」
 漲る加古を余所に、いきなり自身の名が出ると思わなかった太刀川は驚き、不思議そうな堤と「言ってみたけど無理があった」な表情の来馬――反応は様々だけれど、加古の言い分を理解していない部分が共通していた。
「太刀川がキーケースを持ち始めた」
 時間潰しのやり取りが、加古のやる気に繋がると想定していなかった。内心「どうしてこれに繋がる…」と唖然の二宮から付け足し、太刀川も「それ?!」と目を丸くする。
「太刀川が鍵を大事に…本当に?」
「キーケース…へえ、そうなんだ」
 色々な鍵を紛失するわ探すわ、何度も手伝ってきた堤が疑い、どうして持つようになったか汲み取った来馬も笑顔を零した。
 男同士で滅多と恋愛話をしないので、隠されていた内容に驚くだけ、文句はない。太刀川に大切な人が出来て、その一部がキーケースだと察すれば、加古の『好きな人へのやる気』も頷ける。
「俺ってそんなにダメの認識なのか」
「自覚のない奴が多くて、頭が痛いな」
 炒飯の殺戮といい、人としての駄目さといい、加古と太刀川は無自覚と非理解の幅が広い――と、二宮はうんざりした。
 男4人の脱線に嫌な顔せず、加古は太刀川のことに「そうなの」と賛同したのち、笑みを深くし、止めを刺す。

「だから、作った料理、夕飯に食べていって」

 どうして『だから』に繋がるのか。理解出来ない、したくない。

「いや、俺は夜勤の前に夕飯をとって、空いていない。他の3人で食べてくれ」
 左右埋まっているので動けないが、二宮は断固拒否。太刀川も「俺も俺も! さっきうどん食った!」と盛大に頷いている。失礼にも程があるが、強引に捩じ曲げれば、慣れた近い距離の態度だ。開き直って保身に入る。
「そうね、確かに押し付けがましいし、あなたたちの都合もある。日勤明けや夜勤始まり、夜分に支部から呼んだりと、色々迷惑掛けてるわ」
 常識はある。
 引き際も知っている。
 基本、出来る女で、有能かつ高嶺の花と称されている――のに、この面々だと強引かつ劣化が目立つのは何故だろう。慣れ故、でまとめたくない。
「そう思って、あなたたちにも謝礼? を用意してるの。ギブアンドテイク、ね」
 貸し借りはその場で相殺する。抜かりなく、挟める隙間もない。
「まず二宮くんには――」
 間髪を容れず、加古が懐から携帯電話を取り出し、数秒操作したのち、テーブルの上に置く。
『二宮くんが模擬戦を希望していてね。体調の良い時に一戦お願いしたいの』
『二宮先輩と、ですか…?』
『ええ。二宮くんが嫌なら断って良いわ。私のこと気にせず、遠慮しないで考えてくれると嬉しいのだけど』
『……いえ、倒すべき、越えなければいけない相手です。一戦よろしくお願いします』
「………那須、か…」
 音声録音の再生なので映像はついていないが、十分誰か判別出来た。
 二宮の目の色がじわじわと変わる。様子見の他3人は、緩やかに心が傾いていく様を垣間見た。
「あなたとの模擬戦、引き受けてくれる約束をしたわ。あとはあなたが頷いたら、間に立って日程調整するけど…どう?」
 不足する技術を学ぶ為、目的の為なら、泥臭い手段であろうと、矜持などなかったかのように頭を下げ、教示を乞う。興味や関心、大事なもの、固執するものに対し、割り切って行動する――それが二宮という男だ。
 そんな貪欲さも、那須との模擬戦には上手く結びつかなかった。身体が弱めとあって、ランク戦か防衛任務でなければ本部の滞在時間は短く、見かけることすら少ない。好戦寄りの出水なら機会も巡りやすいが、那須の体質を踏まえると自身の都合で無茶振り出来ず。流石にと配慮し、出水を捕まえる傾向だった。
 要するに那須は出水同様、変化弾を器用に扱う射手――稀な対戦となり得る相手も、加古さえいれば問題突破。正しくは加古が後輩に世話を焼き、信頼を寄せられているから、繋がったもの。滅多にない機会が巡っている。
「…………那須と模擬戦…」
 あ、揺れ動いてる――否、思っていた以上に早く落ちた。
「はい、決定。次は堤くんだけど」
 二宮の反応に、加古は胸元で両手を合わせ、嘘くさいほど笑顔を零す。控えめに言って「二宮くんは解決ね」、言葉を選ばないなら「まさたかちょろい」の表情だ。
 次の矛先は堤に移る。
「どうしても見つからないと探していた本、教授伝で見つけて頂いたの。書庫で埋もれてたから、どうぞって貰ってきたわ」
 堤本人の探し物なら周囲に聞き回ったりしない。同作品でも翻訳違いを探す程、海外小説好きな小佐野の為、大学でも顔の広い加古に相談していた。
「……ぐっ」
 唸る声しか出ず、視線を逸らしてしまう。無意味な、空しい抵抗、そして現実はあまいし厳しい。小佐野が本当に嬉しく、そして幸せな笑顔を零すであろう本が、テーブルの上に置かれた。
 人によっては学生に渡してしまう本、人によっては眉唾の本。価値観からなる歴然とした差があるからこそ、加古は譲り受けられたもの。
「貰う…貰います」
 幻覚だと分かっていても、少し色褪せた表紙がきらきら輝いているように見える。無視出来ない。堤は項垂れたまま、本に手を伸ばした。
「私から、て言わなくて良いから。堤くん伝で渡した方が、喜ぶと思うもの」
「いや、そこはちゃんと伝えるよ」
「そう? 一番喜んでくれる、最善を選んでくれればそれで良いわ」
 堤は自身の手柄にするつもりなどなかったし、加古も手柄を譲るような発言でもなかった。互いに、小佐野が一番嬉しくなる手段を選びたいと思った結果だ。
「それで、太刀川くんは」
「きた。なんだ?」
 難攻不落と思われがちな相手から攻める加古が、容易くふたり落としている。俺は負けない――の気合いでなく、何を交渉するか、期待の相槌だった。
 この時点で、太刀川は受け取る気満々だ。潔く、過去の経験から、諦めている。それなら良いものを貰いたいの開き直り、愉しさに変換していた。大物と捉えるべきか、ただの慣れ過ぎ故の博打と止めるべきか。
「長期任務、遠征があるからレポート前倒しで提出、と聞いたけど」
「そう、そうなんだよ、加古。忍田さんが単位落としたら遠征の許可しないとか理不尽なこと言うし、城戸司令官規律にうるさい筈が、こういうとこ忍田さん任せなんだよ。風間さんも俺だけ外して遠征の提案するし…もーなに、派閥とか関係あんの?」
 太刀川の実力こそ遠征に頼もしく必要だが、他の隊員は学業を疎かにしていなので、贔屓出来ない。太刀川の苦情通り、師匠と弟子故の厳しさと理不尽さを感じるが、慰めにくい、賛同しにくい事柄だった。
「その手伝いとして、資料探しておいたわ。上手く使ってちょうだい」
 誰だって自力で成し遂げるべきだが、悲しきかな、大学生は書き写しも多い。加えて、レポートの締め切りぶっちぎる太刀川を手伝う頻度が多過ぎるので、先手を踏む。最後は太刀川の文章でまとめさせる辺り、周囲にも妥協して頷かせる、二兎追った取引だ。
「太刀川、了解」
 紙の入ったファイルがテーブルを滑るやいなや、太刀川の手が伸びる。勢いよく受け取り、レポートと合っているか確認し、しっかり頷いた。
 早い、誰よりも取引が穏便かつ俊速にまとまる。
 元々勉学の素行が酷い太刀川だ。単位を落とせば遠征に出さないと師匠兼本部長に言われ、風間と諏訪には見捨てられ、迅には逃げられ、忙しい嵐山は本部にすらいない。そして同輩は今、同じく取引をしている。となれば、ここは悪魔と交渉しかない。そう、加古の炒飯、一応料理全般を悪魔と断言しよう――太刀川の内心で、声には出せないが。
「最後に来馬くんは――」
 長方形の箱に、仏語が印字されている。見た目で十分、如何にも女の子に受けそうな洒落た雰囲気が漂っていた。
「防衛隊の女の子たちの間で、お取り寄せが流行ってるの。一緒に頼んだから、鈴鳴支部のお土産にどうぞ」
 回避を試みるが他のように抗わない来馬には、物で釣る必要もなかった。けれど、3人用意してひとりだけないのも、加古に反するらしい。
「うん、有難う。頂きます」
 早い。太刀川以上に、即決だった。
 来馬も隊員とオペレーターにめっぽう弱い。そしてあまいし、大切にしているので、無意識に近いのだろう。受け取ってから、自身の言動に驚いている来馬がいて、男3人「流れってこわいな…」としみじみ感じた。
 自身優先か、配属する隊の隊員優先か理解、餌を用意して、取引している。恐ろしい調査。何処で調べたか、事情を聞くのも恐い。
 しかも交渉の手を用意している辺り、自身の腕前を理解しているのか、単に料理を拒否すると読んで用意したのか。どういう意図か曖昧だが、これも聞きたくない。
 過去、二宮からはっきり「食に対する冒涜だ」と言わしめたこともあるのに、この圧力。惚れた人への愛情、盲目か、そこだけ気づかない恐ろしい欠点か。
 総括して、過去の料理に対する感情は、質が悪い。

「みんな承諾してくれたところで、いっぱい食べて、感想頂戴ね」

 あからさまながら王道な手段を会得する為、意気込みがあって、他の子が言えば可愛い一直線なのに。目標に対するはっきりとした声色と言葉は、容赦なく全身に突き刺さり、震え、そして抉られる。

「私はまず、胃袋で心引き寄せて、捕まえて、離さないように努力、頑張るわ」

 加古の右手が空中で握り拳を作った瞬間、男4人には心を掴み潰される感覚を得た。



それぞれの人がこうむった ちょっとした呪い/の始まり





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